Skip to Main Content

日本古典籍 所蔵資料解説: 古今和歌集遠鏡

附属図書館研究開発室等の事業において電子化された日本古典籍を中心とする資料とその解説をまとめたものです。また、活字本の対応ページから検索できる資料もあります。

解説

人文科学研究院 今西祐一郎

 

 

 本居宣長の『古今集遠鏡』は、寛政九年刊行の版本で流布し、近代になっても「歌謡俳書選集」版(昭和二年刊)や吉川弘文館、筑摩書房による二度の『宣長全集』においても、版本の翻字が提供されてきた。
 周知のように、版本には宣長の俗語訳と解釈のほかに、ところどころ、『遠鏡』の出版を宣長に慫慂し出版に尽力した横井千秋による、「千秋云」で始まる千秋の説が細字で記入されている。
一方、本居宣長記念館には「清書本」といわれる写本が存在し、他にもそれに類する写本が二,三見いだされる。筑摩書房版全集では、「内容は刊本とほぼ同じ」と述べるにとどまり、それ以上の紹介はなされなかった(第三巻『遠鏡』解説)が、実は記念館蔵写本には刊本が備える「千秋云」がすべて無く、また『遠鏡』本体の俗語訳、解釈の部分においても、少なくとも言い回しの次元ではかなりの相違が見いだされる。
 反町茂雄『弘文荘名家真跡図録』(昭和四十七年六月)において「本居宣長自筆草稿、鈴屋の印あり」として紹介された『古今集遠鏡』巻五の零本は、『図録』掲出部分に関するかぎり、記念館蔵「清書本」と一面の字配りのみならず、仮名の字母まで完全に一致する。反町氏の「自筆草稿」を認めれば、記念館本はその忠実な写しということになろうか。
 また、『国書総目録』の『古今和歌集遠鏡』項の最初に「国会(自筆)」として掲出される国会図書館蔵写本も、字配り、字母は異なるものの、「千秋云」をすべて欠き、俗語訳、解釈の部分も記念館「清書本」と完全に一致する。

 

 

 宣長記念館に自筆稿本として所蔵される写本『遠鏡』については、岩田隆氏が、新出の横井千秋宛宣長書簡に拠って、自筆稿本ではない可能性を指摘した。

  • ○宣長が千秋に対して自筆稿本の写しの提供を求めていたこと
  • ○宣長記念館所蔵の稿本『遠鏡』は宣長筆と酷似するものの自筆とは認めがたいこと

などの点から、宣長記念館蔵写本は宣長自筆稿本ではなく、宣長の求めに応じて横井千秋から届けられた写し、宣長書簡中の用語でいえは「叩本」ではないかと推定する(『宣長学論攷―本居宣長とその周辺―』)。
 とすると、巻五のみしか残されなかった『弘文荘名家真跡図録』所載本が、宣長自筆稿本であり、本居記念館本はその写しということになるのであろうか。
 ところで、近時、宣長記念館蔵本と酷似する写本が出現した。六巻六冊、各葉の字配り、行数、使用字母にいたるまで寸分違わない一本である。しかし、時に「レ→ト」、「ユ→エ」、「カ→コ」、「ヌ→ス」、「ナ→ト」、「ク→ウ」、「ツ→フ」、「ツ→ワ」など字形の似たカタカナの誤記が見られ、宣長自筆などではもとよりあり得ず、おそらくは宣長自筆本もしくは「叩本」たる宣長記念館本の、きわめて丁寧で忠実な写しであると考えられる。
 ただし、この新出写本でいささか気になるのは、蓋に「本居宣長翁自筆 古今集遠鏡」と墨書された古色を帯びた桐箱入り、という点である。しかし中身は前述のように自筆本とは認めがたいゆえ、伝来の過程で中身がすり替わるような事情があったのかもしれない。

 

 

 写本『遠鏡』の内容について「刊本とほぼ同じ」であるという筑摩書房版『全集』第三巻の指摘が正確でないことは、すでに岩田隆氏が前掲書において一,二例を挙げて言及しているが、稿本・版本間の膨大な数にのぼる異同は、宣長の推敲の痕を示す資料としてはなはだ興味深い。
 その一端を紹介する。

  • 285番 恋しくは見てもしのばむもみぢ葉をふきな散しそ山おろしの風

 稿本では、まず、

  •  紅葉ハモウ散テシマフタガ今カラモ 恋シイ時ニハ此紅葉ヲ見テナリトモ思ヒダサウ ニ ヨソヘフキチラシテヤルナヨ 山オロシノ風ヨ

という訳を付け、それに続けて割注の形で、 

  • 譯ノ思ヒダスハ忘レテアリシコトヲフト思ヒ出スニハアラズ其物ノアリシ時ノ事ヲイ ロ/\ト思ヒツヾクルヲ云ナリ

と説明を付し、さらにその後に、

  • 餘材打聞ともに恋しくはといへるにかなはず。

と、国学の先行注釈書である契沖『古今餘材抄』および賀茂真淵『古今集和歌集打聴』の解釈の適否に言及する。
 それに対して板本では、稿本の訳を推敲した、

  • 紅葉ハモウ散テシマウタガ 今カラモ 散タ紅葉ノ恋シイ時ニハ 此紅葉ヲナリトモ見テ愛セウニ ソノヤウニヨソヘフキチラシテヤルナイ コレ山オロシノ風ヨ
    (太字は推敲箇所)

という訳を付けるのみ。訳としては稿本の「フキチラシテヤルナヨ」が「フキチラシテヤルナイ」に、「山オロシノ風ヨ」が「コレ山オロシノ風ヨ」に推敲されて、一段と俗語訳の色彩を強めることになるが、違いはそれだけではない。
 稿本にあった「譯ノ思ヒダスハ忘レテアリシコトヲフト思ヒ出スニハアラズ其物ノアリシ時ノ事ヲイロ/\ト思ヒツヾクルヲ云ナリ」という割注は、訳を「思ヒダサウニ」から「愛セウニ」に替えたことによって不用になったのであろう、板本では削除される。
 ただし、この「思ヒダス」から「愛スル」への変更は、結果的には、次に掲げる契沖『餘材抄』説の採用にほかならない。

  • こひしくはとは紅葉の事也。見てもしのはむとはかたみを見て人をしのふといふやうに、後にしのふにあらす。見る/\愛するやうの心なり。万葉集にかやうによめる事おほし。

 稿本では末尾に「餘材打聞ともに恋しくはといへるにかなはず」という、契沖、真淵への批判が記されていた。その意味するところは判然としないが、板本ではそれも削除される。その削除は、契沖の「愛スル」説を採用したことと関係があるのかもしれない。
 このように、285番歌では、稿本から板本への過程で宣長説は圧縮されることになったが、その一方で、宣長訳の後に『古今集遠鏡』の出版に預かった門人横井千秋のコメントが付されている。
 

  • 千秋云 此もみぢ葉は、ちりしきたる落葉をいへる也、見てもといふにて然聞えたり、せめては落葉を見ても也、ももじあはれ也
  • 285番歌とは逆に、板本で増補される場合もある。
  • 749番 よそにのみきかまし物を音羽川わたるとなしにみなれそめけむ

 板本の訳は、

  • タヾヨソバカリ聞テ居ヤウデアツタモノヲ アウデモナシニ ナニシニ此ヤ ウニナレソメタコトヤラ ナマジケニナレナジンテ ソシテ逢ハレヌノハサ テ/\ツライモノヂヤ

であるが、稿本では「ナマジケニ」以下を欠く。板本の段階での書き足しである。
 その他、

  • 200番 君しのぶ草にやつるゝふるさとはまつ虫の音ぞかなしかりける

の場合、

  • (稿本)人ヲ待ツト云名ユエカ一入カナシウ聞ユルワイ
    (板本)人ヲ待ツト云名ユヱカ一入カナシウ聞エルワイ

と、ほぼ同じ訳であるが、稿本の「聞ユル」が板本では「聞エル」と動詞の活用が一段化して、より俗言に近い言い回しに替えられている。

  • 367番 かぎりなき雲ゐのよそにわかるとも人を心におくらさむやは

では、

  • (稿本)限リモナイ遠イ雲ヨリアチラノ国ヘオレハイクヂヤガ
    (板本)限リモナイ遠イ雲ヨリアチラノ国ヘワシハイクヂヤガ

一人称「オレ」が「ワシ」になっている。「おれ」と「わし」については、時代、男女、階層などの違いに応じて多様にして微妙な分布を示すことが報告されているが(『講座日本語の語彙・語誌?T』所収「おれ わたし わし わっち」彦坂佳宣)、宣長におけるこの推敲は、「おれ・わし」問題にひとつの材料を提供することになろう。

 

 

 本データベースでは、『古今集遠鏡』の稿本と板本それぞれの画像データベースを作成するとともに、上述のような稿本から板本への興味深い推敲過程を明示すべく、両本対照の画像データベースをも併せ作成した。