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作って遊ぼう! 見て学ぼう! 映画の仕組み(映画講座Part1): 第1節:写真の歴史

映画がどのような技術を用いて、どのような歴史を経て誕生したのかを、簡単な工作や動画を通して気楽に楽しく見ていきましょう。 (扱う時代:紀元前〜19世紀末)

目次

・はじめに

・「映画」とは

・写真技術

 -写真の歴史

 -カメラ・オブスクラを作ってみよう

・動画技術

 -動画の歴史

 -フェナキスティコープを作ってみよう

・投影技術

 -投影の歴史

 -幻灯機を作ってみよう

・写真×動画×投影

・映画の発明

・おわりに

映画発明への道筋:写真編(原理)

外界の像を固定する最初の技術は、カメラ・オブスクラと呼ばれる装置です。

カメラ・オブスクラとはラテン語で「暗室」や「暗箱」を意味しており、現在の「カメラ」の語源となっています。このカメラ・オブスクラはいわば巨大なピンホールカメラのようなものでした。原理を説明しましょう。

太陽光や蛍光灯といった光源から放たれた光が物体に当たると、物体の表面を構成する物の性質に応じて光の一部が吸収され、残りが反射光となります。この反射光は物体表面の凹凸に応じて様々な方向へ照射されます。我々はこの物体からの反射光を目で取り入れることで、外界の光景を認識しているのです(なお、反射の際に光がどのように吸収されたかがの違いが、物体の色の違いに対応することになります)。

カメラ・オブスクラ(及びピンホールカメラ)は、密閉した部屋(もしくは箱)の一面に外光を取り入れるための小さな穴(ピンホール)をあけたものです。外界の反射光がこの穴から部屋(箱)の中に入るのですが、穴があまりにも小さすぎるために、ある一方向の反射光しか部屋(箱)の中に入ることができません。このように、物体の様々な場所から様々な方向へと反射された光が、ピンホールによって選択的に部屋(箱)へと透過させられ、穴の向かい側にある壁に当たることになります。この時、反射光の壁に当たる位置は、その光が反射した物体の位置に対応しています。その結果、向かい側の壁に外界の景色が投影されることになるのです。これがカメラ・オブスクラ(及びピンホールカメラ)の原理です。


図1:カメラ・オブスクラ(及びピンホールカメラ)の原理

 

外界の様子を正確に写し取ることのできるカメラ・オブスクラですが、弱点もありました。それは、特定の方向の光以外が部屋の中に入ってこない、つまり光の量が大幅にカットされているため、暗い像しか投影できないというものです。暗い像でも見えるように、カメラ・オブスクラでは真っ暗な部屋(箱)を使っていたのです。この像の明るさの問題を改善したのがレンズの発明でした。凸レンズはある一点から広がる光を捉えたとき、レンズの裏側の特定の位置にそれらの光を収束させる性質があります。この光が収束する位置はその光の発する場所に応じて異なります。そのため、物体の様々な位置から反射された光は、向かいの壁の対応する位置にそれぞれ収束することになり、結果として物体の像が出来ることになります。この像はピンホールの場合よりも多くの光を用いて生まれたものであるため、明るい像となります。ただ、レンズを使うことで、ピンホールの場合は起こらなかった問題も生まれました。それは、レンズを使うと光が一点にしか収束しないために、収束する位置の周辺に壁(投影面)が無ければ、像がぼやける、あるいはまったく写らなくなってしまうということです。。そのため、像がハッキリ写るようにレンズと投影面の間の距離を調節する必要が出てきました。これが「ピントを合わせる」ということです。


図2:レンズの場合

映画発明への道筋:写真編(歴史)

カメラ・オブスクラの大変歴史は古く、原理そのものは古代ギリシャの時代から知られていました。
装置の仕組みは11世紀にアラビアの哲学者・物理学者のアル・ハゼンが初めて文献に記したと言われています。

当初、カメラ・オブスクラは日食の観察などに利用されていました。
ルネサンス期になると、外界の様子を正確に写し取れることから画家が素描のために活用し始め、次第にテント型の携帯式や箱型の手持ち式も発明されていきます。
今ではデジカメで撮影した風景をペイントソフト上で素材として使うことがありますが、それと同じような感覚でしょうか。

図3:箱型カメラ・オブスクラ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Camera_Obscura_box18thCentury.jpg

このカメラ・オブスクラの原理で得た像を科学反応によって固定したものが写真なのです。世界最初の写真は1826年にニセフォール・ニエプスの手によって撮影されました。ニエプスの写真は露光時間が8時間も必要なものでしたが、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって研究が進められ、露光時間が短縮されたダゲレオタイプが開発されます。このダゲレオタイプが開発された1839年が写真発明の年とされています。その後フォックス・タルボットの手による、ネガフィルムから写真を作成するカロタイプの発明なども行われました。

図4:ダゲレオタイプによる最初の写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Boulevard_du_Temple_by_Daguerre.jpg

カメラのシャッター・スピードの高速化はその後さらに進んで行きます。そして1877年に、アメリカのエドワード・マイブリッジによって、走る馬の足運びの様子を記録した連続写真が撮影されるまでになりました。マイブリッジはこの写真を撮るために、農場のトラック上に12台の写真機を並べてそれらに糸を仕込み、疾走する馬がその糸を切った瞬間にシャッターが切れる仕掛けを作りました。1880年に幻灯によってこの連続写真の映写が試みられています(幻灯については次々章「投影技術」を参照)。

図5:マイブリッジによる馬の連続写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Horse_in_Motion.jpg

このマイブリッジの連続写真は多くの人にインパクトを与え、その一人であるエティエンヌ・ジュール・マレイは連続写真を撮影できるカメラ「写真銃」を開発しました。この写真銃が後の映画撮影カメラの原型となっています。

図6:写真銃
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fusil_de_Marey_p1040353.jpg

図7:マレイによるペリカンの連続写真(1882年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marey_-_birds.jpg

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