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アーヴィング・ゴフマンの社会学〜ありふれた「コミュニケーション」を考える〜: おわりに

アーヴィング・ゴフマンの社会学を通じ、我々にとってありふれた「コミュニケーション」について考える。

おわりに

ここまでありふれたコミュニケーションを、ゴフマンの社会学におけるいくつかの概念を通して考えてみました。

ここでは最後にもう少しだけ、ゴフマンの社会学が私たちの生活にどのような考え方をもたらすのか、考えてみたいと思います。

参考文献

個人のせいでもなく、社会のせいでもなく

これまでゴフマンの社会学に触れ、どのような感想を抱いたでしょうか?

おそらく快く思わない人の方が多いのではないでしょうか。

ゴフマンは私たちの日常に細かな観察の目を入れ、人々の行為を規定する「相互行為秩序」と、そのなかで何とか「自分」を保とうとあの手この手を使う私たちをあぶり出しました。それははっきり言って余計な詮索です。他人にとやかく言われたくないことでしょう。

ただ、その余計な詮索のおかげでわかったこともあります。それは、人間は個人の心理のみでも、社会の構造のみでもなく、人々が集まる場でコミュニケーションを交わすことによって世界を作り上げていくということです。

ゴフマンが「相互行為秩序」という概念を通してコミュニケーションを分析したのは、それまで主流とされていた、人々の行動を個人の心理的要素に還元する心理学的傾向や、社会構造から人々の存在について考えるマクロ社会学的な傾向から距離を置くためです。

私たちが生きる世界は、個人のみ、社会のみに還元されるものではなく、ある程度の秩序を保ちつつ、生活する場の状況や人によって様々に変化し、構築されているという、ある意味当たり前に感じることを、ゴフマンはありふれたコミュニケーションからあぶり出しました。そしてその世界には、当然ですがいい面も悪い面もあります。しかもその悪い面は、私たちが何気なく生活しているだけなのに、私たちのせいで生まれてしまっているように感じます。だから不快に感じるのかもしれません。

しかしだからといって、「世界がよくならないのは私たちのせいだ」という結論では、「個人のせいだ」「社会のせいだ」と言うのとほとんど変わりません。どの論調にせよ、そのなかに私たちは所属してしまっています。単なる責任転嫁や自己反省のポーズではなく、何気ないコミュニケーションのなかで、自分はどのような「相互行為秩序」のなかで、どのような「役割」を期待され、演じようとしているのか、あるいは演じないようにしているのか、それを自覚しながらコミュニケーションを続けていくことが必要だと思われます。それだけで、「空気」を読むだけでなく、その「空気」を少しずつずらし、変えていくことができるでしょう。「相互行為秩序」は所与のものではなく、コミュニケーションによって作られ、変化していくものであり、その秩序の変化によって社会が作られていくプロセスそのものが、ゴフマンの描く世界です。

「空気」を読むことに飽きたならば、ゴフマンの社会学を下敷きに、「空気」を変える日々のゲームに興じてみてはいかがでしょう。

ただし、勝敗にはこだわらない程度で。

                    

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松岡 智文
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本ガイドは図書館学習サポーター/図書館TA(Cuter)として勤務した際に作成したものです。

勤務期間 :2016年4月~2021年3月
当時の身分:大学院生(博士課程)
当時の所属:九州⼤学大学院地球社会統合科学府