漢方医学 (東洋医学)は、今から西暦500年より前の紀元5〜6世紀の奈良時代に、中国でおこなわれている医学(中医学)が導入されたものです。
漢方の「漢」とは、中国の主要な民族であった「漢民族」の意味で、漢民族の国(=中国)から入ってきた医学という意味でした。
そして、江戸時代前期までの日本の医学といえば、漢方が唯一でした。
ところが、江戸時代以降に、オランダ(阿蘭陀)医学が日本で発達し、臨床現場でも用いられるようになりました。
長崎の出島に来たオランダ人の医師から西洋の医学を教わるようになったためです。
蘭方医学が入ってくるまで、漢方は単に「医学」とよばれていましたが、オランダ医学(=蘭方)の出現で、日本の医学にも種類が出来たため、
呼び方で区別しようとした結果生まれたのが「漢方」というわけです。
「漢方医学」という言葉が浸透していったのも、江戸時代後期からであり、実は割と最近(?)の話なのです。
漢方医学と大元の中医学の違いは、実際に用いられている処方の違いから実感することができます。
現に、中国の古典医書にも、同じ漢方薬でも「中医学」と「漢方医学」では中身に違いが見られることが多い、と書かれてあります。
例を挙げて見てみましょう。
【小柴胡湯(ショウサイコトウ)】は、超 超 超 メジャーな漢方薬の一つですが、中国で用いられる際には、
柴胡(サイコ)・黄芩(オウゴン)・党参(トウジン)・甘草(カンゾウ)・生姜(ショウキョウ)・半夏(ハンゲ)・大棗(タイソウ)
の7つが配合されています。
しかし、漢方医学の処方では「党参」の代わりに「竹節人参(チクセツニンジン)」が用いられます。
中医学の配合からメンツを入れ替え、日本独自の生薬としての竹節人参(もとになるトチバニンジンは日本だけに自生)を配合したものが、
漢方医学における【小柴胡湯】になります。
そのほかでは
【大建中湯(ダイケンチュウトウ)】【呉茱萸湯(ゴシュユトウ)】【半夏瀉心湯(ハンゲシャシントウ)】
などの漢方薬で、人参の代わりに竹節人参を用いることがあります。
このように、漢方医学は中医学で処方される漢方薬の配合に、日本独自の植物を織り交ぜることで、
外来の方法を日本の風土や人種に適したかたちに変化させたもの
とも言えるようです。