皆さんも知っての通り、旅館や料亭で出される料理には、多くの場合、彩としての「つまもの」が添えられています。
この「つまもの」に使われる葉っぱは、もみじ、イチョウ、椿の葉など一見してどこにでもありそうな種類の木々の葉です。
しかし、この「つまもの」市場のなんと約80%ものシェアを、今回ご紹介する上勝町が独占しています。
ここ上勝町の「葉っぱ」の売り上げはなんと年間2億6000万円にものぼり、地域を支える立派な産業として成長しています。
そして、さらに驚くべきことは、この町で主に葉っぱビジネスに携わっているのが平均年齢70歳を超える農家のおばあちゃんたちだということです。
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かつては貧しい田舎町だった上勝町は、現在葉っぱビジネスの成功で年間4000人を超える視察者が訪れる「成功」自治体として再生しました。さらに葉っぱビジネスの余波によって、近年若者のIターンをはじめとした新たな動きも見られるようになっています。
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以下では、こうした上勝町の歩んだ軌跡を時代に沿って追っていくことで、まちづくりの生の姿を感じてもらえればと思います。
上勝町の1980年代は、激動の時代でした。
戦後、他の過疎地域のご多分に漏れず、上勝町の人口は年々減少しつつあり、また当時の主力産業であった木材やみかんの市場価格も1970年代を境に下落、町は厳しい状態にありました。
こうした上勝町が今の姿に向けて歩みを変えるターニングポイントとなったのが、1981年です。この年、町を局地的な異常寒波が町を襲い、みかんの樹の大半が枯死し、町の経済は大打撃を受け、困窮に拍車がかかりました。
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この危機に立ち向かうべく町から直々に指名を受けたのが、当時農協の営農指導員であった横石知仁さんです。
しかし、当時の上勝町はみかん以外に目ぼしい産業もなく、また高齢化の進展で町の住民の半数近くが高齢者という有様でした。町は非常に暗い雰囲気に包まれていたといいます。
こうした逆境のなか、横石さんが辿りついた答えが、料理のつまものとしての葉っぱを輸出する「彩事業」。
「葉っぱは山に行けばいくらでも落ちているうえに、軽い葉っぱを集める仕事ならばお年寄りの人でも活躍できる」――横山さんはこのように考えたのだと後に回想しています。
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町の外から産業を誘致してくるわけではなく、「今、ここにあるものを使って」、さらに「そこに住んでいる人たちを主役に」まちをつくっていくという横石さんの発想は、今現在からみても新鮮で、ましてや1980年代当時ではよほど斬新なものだったことでしょう。
横石さんはまさにこの町のキーパーソンだったというわけです。
こうして1986年に始まった「彩事業」ですが、実は順調な船出とはいかなかったようです。
当時はまだ「つまもの」市場が確立していないことに加え、町の住民の反応も芳しくなく、事業に賛同してくれた農家はたったの4軒のみでした。
そして、事業はやはり横石さんが思い描いていた通りにはいかず、大量の葉っぱの在庫を抱えて当時は散々な状況であったといいます。
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横石さんは周囲の冷たい視線を感じながら、彩事業には何が足りなかったのかと苦悶していきます。
やがて横石さんが見出した打開策は「情報化」でした。
「つまもの」としての葉っぱには、大きさや色、形に一定の品質が必要な上に、求められる葉っぱの種類は季節によって様々に変わっていきます。
そのため、彩事業には顧客が必要とした葉っぱを必要な量だけ迅速に届けるというシステムを確立することが必要不可欠になるのです。
そこで、1992年には、町の防災無線を利用して、市場からきた注文を逐一農家に一斉送信する試みがはじめられました。
さらに、これも行政の支援の下、協力してくれている農家の各家庭に、高齢者でも使いやすいよう特注で開発されたパソコンを無償貸与します。
このパソコンには、専用のブラウザがインストールされており、そこから各農家の集めた葉っぱの売り上げがランキング形式で見られるようになっています。こうすることで、農家のお年寄りの方々は、ゲーム感覚で楽しみながら前よりも意欲的に葉っぱビジネスに参加してくれるようになったそうです。
そして、今では上勝町のお年寄りの方々は、若者顔負けにパソコンやタブレット端末を使いこなし、市場のマーケティング調査まで行っているそうです。
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こうした情報化の取り組みが功を奏し、彩事業は1994年には売上1億円を突破、1999年には第三セクターとして株式会社いろどりが設立されるなど、葉っぱビジネスはどんどん成長していきます。
2002年にはついに売上2億円を超え、町にとってはもはや欠かすことのできない、町を支える主要産業にまでなったのです。
このように、葉っぱビジネスによって町を再生することに成功した上勝町ですが、この余波は様々な方向へ及んでいます。
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①まちの活気、元気な高齢者
上勝町は、もともとの人口減少と高齢化に加え、平成の大合併に参加しなかったため、今では四国で最も小さな町のひとつとなっています。
2008年時点での高齢化率は48%に達し、全国的にも高齢者の多い地域ですが、地域の高齢者医療費は県内で最も低い水準になっています。
葉っぱビジネスの成功でまちは活気を取り戻し、主役のおばあちゃんたちは「忙しゅうて、病気になんかなっとれんわ!」と日々元気に葉っぱを集めにまわっています。
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②Ⅰターンする若者、新たなビジネス
上勝町の成功は、地域外の人々、特に若者の目には魅力的に映ったようです。
内閣府のインターンシップ研修事業がきっかけとなり、全国からたくさんの若者が上勝町へやってきました。
研修のなかで若者たちは上勝町の魅力に惹かれ、研修後も上勝町へ戻ってくる若者が続出しました。
中にはそのまま彩農家の後継者になったり、新たに起業した人もいます。
町はこの事業を継続し、行政が株式会社いろどりに事業を委託して現在では「いろどりインターンシップ」として継続されています。
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③「エコ」でも先陣、「ごみゼロ宣言」
上勝町は、2003年に「上勝町ごみゼロ宣言」なるものを発表し、2020年までに町のごみの排出量をゼロにするという大目標を立てています。
この「ごみゼロ宣言」は全国で上勝町がはじめて宣言したものであり、これに基づいた高いリサイクル率など、「循環型社会」の先進自治体としても注目を集めました。
近所の山ににあたりまえのように落ちている葉っぱが、町を救う主要産業になる。
上勝町の成功を目にするより以前に、こんな話を真顔でしても、それこそ鼻で笑われておしまいだったでしょう。
まさに灯台下暗し。この発想には感嘆するよりほかにありません。
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また、そうした葉っぱビジネスの成功それ自体も十分見ごたえがありますが、個人的により注目して欲しいのが、葉っぱビジネスの成功が、様々な波及効果をもたらしたということです。
先に述べたような目に見える変化(Iターン者の増加など)も勿論ですが、それ以上に住民たちの意識が変わりました。
かつては少子高齢化と農業の不振で地域の将来すら見通せなかったのが、今では皆が地域に誇りを持って暮らしていくことができるようになっています。
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地域の存続や経済的安定も重要ですが、より根本的なところでは、まちづくりとは住民の誇りの回復が最大の効用であり目的なのではないか、上勝町の歴史を紐解くたびに考えさせられるのです。