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教育学をかじる(1)―学校と教育学の誕生―: 2.教育学の誕生と発展

本ガイドは、教育学の入門的なガイドとして基礎的な議論を平易なことばで紹介することを目指しています。

2.1 教育学はいつ生まれたのか

 教育学が体系的なものとして確立されるようになるのは、近代(18世紀後期以降)だと言われています。

 それまでの共同体社会(例えば、それはかつての「ムラ」であり、現在では「国家」などがイメージされます)では、職人の親方が弟子にみて、まねをさせるようなやり方(「徒弟制」といわれます)で社会は形成されていました。

 一方、近代社会では、社会を生きるための新たな営みとして、自覚的に次の世代を育てることが目指されるようになったといわれています。

 教育学の古典として有名な『エミール』(1762年)の著者ルソーや、J.ロック、J.H.ペスタロッチなど教育学を語るうえでは欠かすことの出来ない先達は、「子ども」という存在に特別な価値を発見したことで、「教える」という行為を探求しました。こうした研究が、教育学の系譜を生み出したといわれています。

 

図2-1 ジャン=ジャック・ルソーの自画像

 19世紀初頭になると、近代社会を担う人間形成が目指されます。主に教育の目的を倫理学、方法を心理学に求めながら、ヘルバルトらを筆頭に研究がすすめられました。ここでの社会の担い手に対して行われる教育は、文化伝達の基礎として位置付けられました。ヘルバルトによる教育学が普及した背景には、近代という時代が国家を担う新しい人材(国民、産業人)をどのように育成するかという課題が認められたこと、その課題の解決にむけて教育に期待が寄せられた点は見過ごせません。

 このような背景のなかで、学校やその担い手としての教師を育てる制度が生まれていきます。

 教育学は、価値ある存在としての「子ども」をいかにして育てるかという要請と国家(社会)の構成員をいかにして育てるのかという要請、この2つの要請のなかで誕生したといえるのです。

 


図2-2 ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトの自画像

2.2 教育学はどのように発展してきたのか

 以上で紹介したお話は、目の前の子どもに何を教えればよいのか(what)、どのように教えればよいのか(how)という疑問から生まれたものでした。E.デュルケームは、こうした疑問に対する研究のことを「ペダゴジーとしての教育学」(注1)と呼んでいます。

 デュルケームが「ペダゴジーとしての教育学」という考え方を提唱したのにはわけがありました。それは「ペダゴジーとしての教育学」と区別される「教育科学」という学問の存在を主張したかったからです。「教育科学」は、政治や経済と同様に社会を構成する現象の一つとして教育を科学的に捉えようとする態度から生まれたのです。

 ここからは時代の移り変わりのなかで、「教育は私たちの生活にどのような影響を及ぼしているのか」といった疑問にも回答が求められるようになったことがわかります。「教育科学」の登場は、教育学が取り扱う対象を幅広いものにしました。ただし「こうした教育科学でいえるのは、『ある条件の下では、ある事象が起きやすい』ということまで」なのであるという点には自覚的である必要があるといわれています(広田 2010:46)。つまり、どのような教育が「よい」ものかという疑問には、直接的に答えようとしているわけではないんですね

 ただし研究者は、研究対象を定めた瞬間に、自分の「思い入れ」(価値規範)を表明することになってしまうということ、そうした表明はとても政治的な行為であるということを自覚しておかなければなりません。

 


図2-3 エミール・デュルケームの自画像

注1:ペダゴジー

ペダゴジーという言葉は、ギリシャ語の子ども(pais)と導くもの(agogos)の合成語を語源とします。また、子どもを教育する技術やそれについての知識・考え方を意味するものです。

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