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ヨーロッパ文学の〇〇主義って何?:古代ローマの文学: ラテン叙事詩:ウェルギリウス『アエネーイス』

啓蒙主義、古典主義、ロマン主義などなど…。文学で必ず出くわすこの〇〇主義をその思想史的・歴史的背景と共に俯瞰します。

ラテン文学の巨匠ウェルギリウス

【ラテン文学の誕生】

古代ローマの文学をラテン文学と言いますが、これは言わずもがなローマの公用語がラテン語であったからであり、「ラテン」と言う言葉はローマ建国神話において初代国王ロームルスの先祖で英雄のアエネーアースが故国ラティウムに由来します。アエネーアースはホメロスも歌ったトロイア戦争の登場人物の一人で、トロイア王家の傍流です。それゆえ、ローマ建国にギリシアは大きく影響を与えていると言えるでしょう。しかし、ギリシアの「ラテン」への影響は「建国神話≒歴史」のみではありません。ラテン文学もまたギリシア文学の影響を受けつつ育ち、開花したのです。

ラテン文学はギリシア文学との接触によって誕生したと言えるでしょう。紀元前三世紀頃、ローマが強大な隣国エトルリアの影響を脱して拡大していきます。この頃にローマは南イタリアおよびシチリア島のギリシア人植民地のヘレニズム文化と出会い、ローマにも文学が生まれたのでした。ラテン文学は最初期こそギリシア文学の翻訳あるいは翻案程度のものでしかありませんでしたが、このギリシア文学の影響下でラテン語の詩的表現も成熟していき、ローマの繁栄とともにローマの歴史的事件や生活を扱った独自の文学へと洗練されていきます。ホラーティウスやオウィディウスといった詩人が活躍した共和制から帝政への移行期および初代皇帝アウグストゥスによる「パクス・ロマーナ」の時代はラテン文学において「黄金時代」と呼ばれ、またアウグストゥス死去から五賢帝時代までのセネカやタキトゥスらが活躍した時代は「白銀時代」と呼ばれます。

(画像:シャルル・ジャラベール『マエケナスの家で朗読するウェルギリウス、ホラティウス、ウァリウス、マエケナス』1846年


【ウェルギリウスと動乱のローマ】

『アエネーイス』を書いたウェルギリウスはこのラテン文学の「黄金時代」を代表する詩人の一人です。紀元前70年に北イタリアの農村に生まれたプーブリウス・ウェルギリウス・マローはその生涯に、紀元前44年のカエサルの独裁と暗殺をはじめとして、キケロら共和派の粛清、マルクス・アントニウスとオクタヴィアヌス(のちのアウグストゥス帝)の熾烈な戦い、オクタヴィアヌスの勝利と帝政の開始といったローマを大きく揺さぶった多くの歴史的事件を体験しました。彼は『アエネーイス』のほかにも『牧歌』『農耕詩』といった詩を書きましたが、これらすべての作品には彼が生きた時代の激動が影を落としています。

確かに、「牧歌」という詩の形態は美しい自然の景色や羊飼いや牛飼いの恋が描写されるものですが、『牧歌』においてウェルギリウスは「牧歌」の先人である紀元前三世紀頃のギリシア詩人テオクリトスを範にしつつ、戦乱によって荒廃した農村と農民たちの苦難を、そして来るべき時代への希望をある種の現実逃避的な性格を持つ牧歌のヴェールを纏わせて歌います。

教訓詩である『農耕詩』は畑作や果樹栽培といった文字通り農耕について歌ったものですが、『牧歌』が単なる牧歌的情景を歌ったものではなかったのと同様に、この『農耕詩』もまた単に農耕についての実用的知識について歌ったものではありません。『農耕詩』が範としたのは紀元前八世紀頃の詩人ヘシオドスの『仕事と日』です。この作品は農耕を通して、神々を敬いながら自然の秩序に従って仕事に励むという人間のあるべき姿や道徳を教える詩でした。ウェルギリウスの『農耕詩』もまた、農耕や神々と人間の関係を通して人間本性を描こうとする作品でした。しかし、ここにも彼の時代が作品に影を差しています。ウェルギリウスは畑作について歌った『農耕詩』第一巻で、農耕という労働は人間の技術と文明の発展のためにそうせざるを得ないよう神が仕向けたものであり、農作業は生存のための休みなき「戦争」であると語ります。しかしその一方で、果樹栽培を扱う第二巻においては果樹という自然の恵みと自然の調和、農民の「平和」が歌われます。この「戦争」と「平和」としての農耕の二面はまさしく、平和を愛しながらも同時に好戦的なローマ人の二面性であり、ウェルギリウスは農耕を通して自らが体験した戦争と平和という人間本性の相対する二つの面を描き出しているのです。

                                                

(画像:イェジー・シェミギノフスキ=エレウテル『農具の手入れ』1683年頃

『アエネーイス』の物語

【第一歌:嵐のなかの航海】

このように激動の時代を生き、歌ったウェルギリウスの最後の作品こそが叙事詩『アエネーイス』でした。ホメロスの『イーリアス』が「イリオス(=トロイア)の物語」という意味だったのと同じように、『アエネーイス』は「英雄アエネーアースの物語」という意味で、「ローマ建国」という神命を背負ったアエネーアースのトロイア滅亡後の長きにわたる放浪と、のちにローマとなる国を築くまでの戦いを描いた作品です。

ギリシア神話やホメロスが物語っている通り、トロイアはギリシアとの十年に渡る戦いののち、知将オデュッセウスの仕掛けた木馬作戦によって滅亡しました。しかし、トロイア王家の者たちのなかで生き残った者が一人いました。その人物こそが『アエネーイス』の主人公アエネーアースです。アキレウスと一騎打ちをしたヘクトールに次ぐ勇猛果敢さを誇る彼はトロイア王家の傍流であり、また美の女神ウェヌス(ギリシア名:アフロディーテ)を母に持つ英雄(Heros=半神)でした。火の海と化したトロイアを自らの父と子を連れて脱出したアエネーアースは生き延びた亡国の民たちとともに、新天地を目指して地中海を放浪します。物語はこの放浪の七年目、目的地のイタリアを目の前にしたシチリア島沖でトロイアの船団が嵐に遭うところから始まります。

 

嵐は神々の女王たる最高位の女神ユーノー(ギリシア名:ヘラ)が海神ネプトゥヌス(ギリシア名:ポセイドン)の子で風の神アイオロスに頼んで起こしたものでした。アエネーアースは母神ウェヌスの父で最高神ユピテル(ギリシア名:ゼウス)によって、のちに世界を支配する国家を築く運命(fatum)に定められていましたが、ユーノーはこの運命を妨げようとして嵐を起こさせたのでした。というのも、ユーノーは神々の代理戦争でもあるトロイア戦争においてギリシア側に味方した神の一柱であり、同時にフェニキア人の国であるカルタゴの守護神だったからです(前ページ『古代ローマの歴史と文化』においてお話ししたように、ローマはのちにカルタゴを滅ぼすことになります)。ネプトゥヌスの助けによって嵐を乗り切ったアエネーアースは北アフリカのリビアに漂着します。そこでアエネーアースの前に現れたのが母神ウェヌスでした。人間の娘に変身して現れたウェヌスはカルタゴの女王ディードーの話をします。曰く、東方のフェニキア人都市テュロスの王女であったディードーは政争に敗れて亡命し、このリビアの地にて新都カルタゴの建設に取り組んでいるとのこと。ウェヌスに彼女を頼るよう助言をもらったアエネーアースは彼女の宮殿を訪れます。自らと似た境遇ゆえにディードーはトロイア一行を歓待します。アエネーアースの身を案じるウェヌスはしかし、彼の身を安全に留めおこうとして、愛の神クピードー(ギリシア名:エロース)を使ってディードーに彼への恋情を注ぎ込みます。さて、トロイア一行を歓待する宴のなか、ディードーはアエネーアースにトロイア滅亡放浪の話をするよう頼みます。

(画像1枚目:ウィリアム・ブーグロー『ヴィーナスの誕生』1879年

(画像2枚目:アンニーバレ・カラッチ『ユーノーとユピテル』1597年


【第二・第三歌:トロイアの滅亡とアエネーアースの放浪】

ここからは物語のなかの物語(枠物語)としてトロイア滅亡の顛末と放浪のなかの苦難と期待が語られます。

火の海になったトロイア、名誉の死を覚悟した戦い、トロイア王プリアモスの死ーーしかし、生き延びるよう母神ウェヌスに忠告されたアエネーアースは街と共に死なんとする父アンキセスを抱え、息子アスカニウスの手を引いてトロイアを脱出します。しかし、その際に彼は妻を見失ってしまいます。彼が妻を探し回っていると、亡霊となった彼女が彼の前に現れて言います。「ヘスペリア(西方)の地へと向かい、そこで新たな王国と妻を得るように」と。彼と逃げ延びたトロイアの民たちは彼女の言葉に従って、西方へと新天地を求めて放浪の旅へと発つのでした。

アエネーアースは続けて亡都を脱出したトロイア人一行の海の放浪を物語ります。たどり着いたデロス島(予言の神アポロ生誕の地)で、一行はアポロ(ギリシア名:アポロン)からの神託を聞きます。すなわち、トロイアの初代の王ダルダノスが生まれた「いにしえの母」なる地へと向かえ、と。アエネーアースの父アンキセスはその地はクレタ島であると判断し、一行は彼の判断に従ってかの島へと向かいます。たどり着いたクレタ島は豊穣なる平和な島で、彼らはここで都市を築き、家族を増やし、田畑を耕して、しばらく平安に暮らしていました。しかし、突然の疫病によって育てた作物も人々も死滅の危機に瀕しました。もちろん、この疫病も神々によるものです。というのも、アポロの神託が指していた地とはクレタ島ではなかったからです。アエネーアースは夢の中で守護神ペナーテスからお告げを受けます。曰く、西方(ヘスペリア)にある「イタリア」という土地こそが神託の地であり、この「イタリア」の地こそがトロイア人の祖先の地である。このお告げによって、一行はクレタ島を離れる決心をし、西方へと帆を広げて進んでいきます。怪鳥との戦い、過去の武勲の追憶、ヘクトルの妻アンドロマケとの再会ーーそして放浪の苦難の物語はイタリアを目前にしたシチリア島での父アンキセスの病死と嵐による遭難によって締めくくられます。

(画像:ピエール=ナルシス・ゲラン『トロイアの陥落をディードーに語り聞かせるアエネーアース』1815年


【第四歌:ディードーの死】

すでにアエネーアースに心を奪われていたカルタゴの女王ディードーはしかし、同時に深い恋の傷も受けていました。というのも、ディードーには貞節を誓った亡き夫がいたからです。しかし、そんな彼女を妹のアンナは説得します。周辺の諸部族に囲まれている新勢力のカルタゴにとってトロイア人を味方につけることは良策であるから、公私の両面で「望みにかなう愛と戦う」必要はないのだ、と。さて一方、神々の世界では、それまで対立していたユーノーとウェヌスがこのアエネーアースとディードーの結婚という点で同意に至ります。つまり、カルタゴの守護神たるユーノーとしてはカルタゴの安寧がこの結婚によって成就され、アエネーアースの母であるウェヌスとしては息子に安全な場所でしばし安息の時を過ごしてもらいたい、というわけです。そして、結婚の神でもあるユーノーによってアエネーアースとディードーは狩りに出かけた際の人気のない洞窟で結ばれることになります。

しかし、このことを知った最高神ユピテルは「ゆかしい世評を忘れて愛し合う男女」に対して、そして何よりもローマ建国という使命を忘れてカルタゴ建設に携わるアエネーアースを使者の神を通じて叱責します。この叱責に動転した彼はすぐにカルタゴを発つ準備にかかります。アエネーアースに捨てられそうになったディードーは狂乱状態になって彼に訴えかけますが、その彼は彼女との結婚の盟約すらも否定します。やはり愛とは呪いと表裏一体のものなのでしょうかーー愛を裏切られたディードーはアエネーアースの人形を置いた燃え盛る薪の山へとその身を投げ、彼が残していった剣で自害します。彼女は自らの命を復讐の女神たちに捧げることで、トロイア人に呪いをかけたのです。イタリアでの戦争でアエネーアースが非業の死を遂げるように、カルタゴ人の子孫がいつかトロイア人に報復の戦争を遂行するように、と。

(画像:オーギュスタン・カイヨ『ディードーの死』1711年


【第五・第六歌:シビュラの予言と冥府巡り】

カルタゴを離れたアエネーアースは再びシチリア島に到着します。この地は彼の父アンキセスの没した地でした。折しもアンキセスの死から一年が経過した時でした。彼は父の供養として競技大会を催します(古代オリンピックがゼウス神祭の捧げものであったように、競技大会はしばしば捧げものとして催されました)。快活で楽し気な雰囲気のなかで行われる競技大会。しかし、ここでもまたアエネーアースは困難に遭います。当時の競技大会は古代オリンピックと同様に女人禁制でした。つまり、トロイア人一行の女性たちはこの競技大会の蚊帳の外だったわけですが、彼女たちは競技大会のあいだに、ユーノーが送った女神イリスに唆されて、海岸に停泊している船に火を放ってしまったのです。アエネーアースがユピテルに祈ったおかげで大雨が降り、なんとか大半の船は炭にならずに済みましたが、この事件に彼の決心は揺らぎます。「運命を忘れるか。それともイタリアの岸を目指すべきか」と。しかしその夜、アンキセスが彼の夢の中に現れて、力ある勇士を選んでイタリアへと渡り、ローマ建国の使命のために戦うようにと語り掛けます。また、かの地にてアポロの巫女(シビュラ)の導きで冥府に住む自分を尋ねるように、とも。父の言葉によって再び決意を固めたアエネーアースは、助言通りに選び抜かれた勇士たちとともにイタリアへと帆を広げます。

さて、アエネーアース一行は現在のナポリにほど近いクーマエというギリシア人植民都市に到着します。このクーマエにはアポロ神殿があり、アエネーアースは父の助言に従って、神殿の巫女(以下、シビュラ)のもとを訪れます。予言の神アポロの霊感を帯びたシビュラはアエネーアースに彼の未来を予言します。曰く、「海の大いなる危難を乗り越えた」アエネーアースを今度は「陸地」で「もっと大きな危難」、すなわち、この地に「着かなければ良かった」と思うほどの「恐ろしい戦争」が待ち受けている、と。そして、その戦争がトロイア戦争の再来であるかのように、シビュラは彼に戦争の原因となるのは(ヘレネーの如き)「異国の花嫁」であり、「もう一人のアキレウスが既に生まれている」と告げます。しかし同時にこの予言された戦争がトロイア戦争の単なる反復ではないこともシビュラは最後に予言します。すなわち、「救いの道がギリシアの都から開かれよう」と。

予言を聞いたアエネーアースは願いとして亡き父アンキセスに会うため冥府を訪れたいことをシビュラに伝えます。シビュラからは冥府に渡るために冥府の女王への捧げものとして黄金の枝を準備することと死んだ仲間を葬ることを言い渡されます。彼はこれをすべてクリアし、シビュラとともに冥府へと渡ります。イタリアへの航海のなかで死んでしまったトロイア人の仲間たち、自死したディードー、惨殺されたトロイア王プリアモスーー過去の不幸を遡るような彼らとの再会を経て、アエネーアースはいよいよ至福の浄土であるエリュシウム(ギリシア名:エリュシオン)に至り着き、そこで父アンキセスとの再会を果たします。

再会に喜ぶアンキセスは息子の問いに答えて、霊魂の運命について話します。曰く、最初は「火の如き精気」であった霊魂が物質と混ざり合って生じたのが人間をはじめとする生物であり、不純な肉体という「牢獄」に閉じ込められているがため、その肉体的=地上的な生のなかで最初は純粋であった霊魂も穢れてしまい、それゆえ霊魂は死後もなお深く染みついている穢れを浄化するために罰の苦しみを冥府で受けるのである、と。アンキセスによれば、冥府での罰を受けて浄化された霊魂はエリュシウムへと送られ、そこで永い時を過ごしたあと、もとの「火の如き精気」へと戻るが、それは少数の霊魂のみであり、なおも物質への執着が残っている大多数の霊魂はレテ(忘却)の川の水を飲んで地上に生まれ変わる。アンキセスはこのように説明したのちに、これから生まれ変わろうとする霊魂を指差しながらローマの未来を語ります。すなわち、アエネーアースの子孫でありローマの都を築く建国者ロムルス、そして同じくアエネーアースの血統を引く第二の建国者たるアウグストゥスらローマの大人物たちと彼らによるローマの世界制覇という未来です。そしてアンキセスは未来のローマ人に対して次のような言葉で呼びかけます。

   「ローマ人よ、心に銘じておくのだ。そなたが熟達すべき道は、

    権威によってもろもろの民を治め、平和のために法を敷くこと、

    服従する者は許し、傲慢な者を制圧することである」(第六歌:八五一から八五三行)

世界の支配と平和の確立ーーこれこそが未来のローマ人の使命であるとアンキセスの予言は締めくくられます。こうして父との再会を果たして冥府巡りを終えたアエネーアースとシビュラは眠りの門を通って地上に戻ります。

(画像:カルロス・シュヴァーベ『エリュシオンの野』1903年


【第七・第八歌:イタリア到着と戦いの始まり】

さて、冥府から地上に戻ってきたアエネーアースは一帯を治めるラティウムの王ラティヌスにトロイア人の定住を願い出る使者を送ります。折しもラティウムはその頃、王位を巡る問題が発生していました。というのも、ラティヌス王にはラウィニアという一人娘こそいましたが、王位を継ぐべき息子は一人もいなかったのです。従って、王女ラウィニアのもとには多くの求婚者が集まってきていました。そのなかでも有力だったのが隣国アルデアの王トゥルヌスでした。王妃アマタからの信頼も厚いトゥルヌスを娘婿にーーラティヌス王もそう考えていたですが、その彼に「異国からやってきた勇士を娘と結婚させよ」という神からの予兆が下ります。そのとき、アエネーアースの使者がやってきたのです。アエネーアースこそが予兆が示した異国の勇士であると悟った彼はアエネーアース一行に土地の分与だけではなく、王女ラウィニアとの結婚までも申し出ました。

しかし、まさしくこの結婚こそがかねてより予言されていた戦争の火種、シビュラの予言した「異国の花嫁」でした。神々の女王ユーノーは復讐の女神を使ってアマタとトゥルヌスおよび土地の農民たちを扇動してトロイア人に対して戦争を仕掛けます。さて、苦境に追い込まれたアエネーアースは夢のなかでテヴェレ川の神から助言を受けます。その神によれば、川を遡った先にパランテウムという地(のちのローマ建設の地)があり、アルカディア地方(ギリシアの山岳地帯)からの移民が住んでいるとのこと。この地を治めるエウアンデル王への加勢の依頼ーーこれこそが川の神からの助言でした。眠りから覚めたアエネーアースは早速このアルカディア人たちの王のもとを訪れます。かねてよりラティウム軍の攻撃を受けていたこの王は援軍と一人息子のパラスをアエネーアースに委ねます。エウアンデル王から受けた援軍とともに向かうはエトルリア地方。というのも、メゼンティウスという残虐な王を追放したこの地の住民たちがこの王に代わる異国の指導者を待望しているとの情報をアエネーアースはエウアンデル王から得ていたからです。さて、エトルリアに到着して住民たちの軍勢を味方につけたアエネーアースのもとに母神ウェヌスが降臨します。彼女は鍛冶の神ウゥルカヌス(ギリシア名:ヘーパイストス)に頼んで作ってもらった武具を息子であるアエネーアースに授けます。彼は武具とともにローマ人の未来が彫られた盾を携えてトロイア陣中の帰路を進むのでした。

(画像:フェルディナント・ボル『ラティウムの港のアエネーアース』1661年


【第九~第十二歌:英雄たちの死と決着】

さて、一方のトロイア軍本陣はというと、ユーノーから唆されたトゥルヌスの軍勢によって攻め立てられていました。烈火の如く攻め立てるトゥルヌスーー彼こそがシビュラの予言した「もう一人のアキレウス」でした。しかし、トロイア軍はアエネーアースの指示を守って相手の挑発には乗らず、砦に立て籠もって総大将の帰還を待っていました。両陣営の激戦が続くなか、天上ではユピテルが仲介役となってウェヌスとユーノーの間で会談が開かれていました。言い争う両女神。収拾のつかなくなった二人の言い合いにユピテルが割って入り、この最高神はどちらの女神の側にもつかず、戦いを運命に委ねることにしますつまり、戦いの行方は神々ではなく、人間の手に委ねられたのでした。トロイア軍の防戦一方のなか、遂にアエネーアースがアルカディア勢とエトルリア勢の援軍を率いて帰還し、両軍のあいだで大規模な会戦が始まります。アエネーアースの活躍、エウアンデル王の息子パラスの勇敢な死メゼンティウス王の回心とその最期ーーこの大戦闘では両陣営ともに多くの死者が出ますが、それでも戦いに決着がつくことはありませんでした。

翌朝、ラティウムの都から死者の埋葬のための一時休戦の申し込みがありました。しかし、アエネーアースはそれに対して次のように返答します。

   「戦死者のために平和

    乞うのか。私は生きている者にもそれを与えたいものだ」(第十一歌:百十から百十一行)

彼はそう言って、トゥルヌスが戦いで問題を解決しようとするのなら、自分との一対一の決闘によって決着をつけるべきだと言い渡します。彼のこの言葉に、トロイア側と同じく多くの死傷者を出したラティウム側も賛同しますーーただ一人、トゥルヌスを除いて。ラティヌス王のもとで講和や決闘についての会議が行われているあいだ、アエネーアースはラティウムへ軍を進めてプレッシャーを与えます。しかし、講和に賛同しないトゥルヌスは会議を中断してそれを迎え撃ちますが、計画していた待ち伏せが失敗してラティウムへと敗走します。誰の目にもラティウム側の敗色が明白になり、ラティウム側は決闘を受け入れることになりました。翌朝、ラティウムの城壁の前で両軍が対峙するなか、アエネーアースとラティヌス王によって決闘の宣誓が行われます。トゥルヌスが勝てば、トロイア人は武力放棄のうえエウアンデル王の治めるパランテウムに退却するが、アエネーアースが勝てば、互いに対等な「永遠の盟約」が結ばれ、両民族の融和と融合がなされるべきである、と。確かに決闘という手段を武力によって受け入れさせたのはトロイア側でしたが、この宣誓は決して一方的なものではなく、ラティウム側(というよりもトゥルヌス)に対してかなり譲歩したものでした。というのも宣誓によれば、アエネーアースが勝った場合、インペラトル(統治権)は敗者であるトゥルヌスに委ねられ、アエネーアースはラウィニウム(「異国の花嫁」である妻ラウィニアにちなむ都市)という地に住んで、宗教と祭事のみを司ることになっていたからです。

しかし、トロイア人との共存や共生ではなく、その排除を求めるトゥルヌスにとってこの決闘の条件は受け入れ難いものでした。それゆえ、この宣誓を聞いたトゥルヌスはユーノーの唆しもあって休戦協定を破り、戦闘を再開させます。大乱戦のなかで戦場を駆け巡りながら殺戮を繰り広げるトゥルヌスと憤怒に駆られて彼を追いかけるアエネーアース。彼はトゥルヌスに決闘を受け入れさせるためにラティウムの都に火を放ちました。王宮では王妃アマダが絶望のあまり自殺し、燃え上がる王都からは悲鳴が上がります。ここにきてようやくトゥルヌスはアエネーアースとの決闘に臨みます。

さて、天上では人間の決闘に先んじて神々のあいだの決着がつけられます。ユピテルがユーノーに運命に抵抗するのはやめるよう言い渡し、ユーノーはトロイア人がその独自の言語や風習を失ってイタリア人に完全に同化することを条件にトゥルヌスの敗北を承諾したのでした。しかしながら、ユーノーはトゥルヌスが敗北することを「承諾」しただけであって、運命は依然としてアエネーアースとトゥルヌスの決闘に委ねられたままです。

決闘の末、勝ったのはやはりアエネーアースした。トゥルヌスの投げた巨石はアエネーアースに届かず、アエネーアースの放った「運命の槍」はトゥルヌスに届き、彼の太腿を貫いたのです。トゥルヌスは跪き、敗北を認めて懇願します。どうか亡骸だけは老父に返してほしい、と。トゥルヌスのこの言葉にアエネーアースはとどめを刺すのを躊躇します。そのときでした。トゥルヌスの腰に戦死した若き友パラスの剣帯があるのが、彼の目に入ったのです。それはトゥルヌスが一騎打ちにてパラスを討ち取った際に戦利品として奪い取ったものでした。トゥルヌスが履いている友人の武具を目にして激昂したアエネーアーストゥルヌスの胸を剣で貫きます。アエネーアースは冥府で「服従する者は許す」ことを父アンキセスから教えられていたにも拘わらず、復讐の念に駆られてトゥルヌスを殺してしまったのでした。

(画像1枚目:アンゲリカ・カウフマン『トゥルヌスに殺されたエウアンドロスの息子パラースを悼むアエネーアース』1786年

(画像2枚目:ジャコモ・デル・ポー『アエネーアースとトゥルヌス王の戦い』1700年頃


『アエネーイス』はウェルギリウス自身の死によって物語の結末は語られないままに未完で終わっています。では、ウェルギリウスは『アエネーイス』を通して何を描こうとしたのか、なぜアエネーアースをして最後にトゥルヌスを殺させたのか。次のページでは「戦争と平和」をテーマに『アエネーイス』を少し深読みしてみようと思います。

next: ちょっと深読み:『アエネーイス』における戦争と平和

ウェルギリウスに関する参考資料