出典:武蔵野国鷲宮土師祭 らき☆すた神輿WEBサイト<http://luckystar.wasimiya.com/galley.html>
①作品概要
おたくな女の子「泉こなた」のボケに突っ込む普通の女の子「柊かがみ」を中心とした、
ゆるゆるーな、何でもない女子高生の日常を面白おかしく描く4コマ漫画を元にした斬新な作品。
「あ、それよくあるよねーー」と言った共感できる出来事を素直に描いた生活芝居。
出典:「らき☆すた」オフィシャルサイト/らっきー☆ちゃんねるWEB <http://www.lucky-ch.com>
②放映期間
2007年4月~9月
③聖地となった地域
さいたま県旧鷲宮町(注1)
注1:鷲宮町は、2010年3月に久喜市、菖蒲町、栗橋町と合併して久喜市となった。ここでは、便宜のため、旧鷲宮町の地域を指して鷲宮町と表記する。
はじめに紹介するのはアニメ「らき☆すた」とその聖地・鷲宮町です。
鷲宮町は、アニメツーリズムの代表的な成功事例として、しばしばメディアや研究等で取り上げられています。
ここでは、「らき☆すた」が放映され、鷲宮町が「聖地」となるまでの展開を追っていきましょう。
上述したように、「らき☆すた」は2007年の4月から放映がはじまったアニメです。
放映当初から、主にインターネット上で、登場人物である柊姉妹の自宅が、鷲宮神社をモデルにしているとしてネットで話題になりました。
そして、同神社には既に5月頃から見慣れない若者の姿が目立ち始め、8月には既に「聖地」として活況を呈していたようです。
この点については、下の図を見てもらうと一目瞭然です。
図1:鷲宮神社の初詣参拝客数の推移
出典:山村高淑(2012)「相次ぐ仕掛けでオタク層取り込む :コンテンツツーリズムの成功例に:埼玉県久喜市鷲宮(旧鷲宮町)」『日経グローカル』No. 194。
◆ 地域の取り組み――町を挙げての「らき☆すた」起こし
このように、鷲宮町の事例では、その「聖地」化のはじまりはファンの自発的な訪問によるもので、こうした状況に当初は地元では戸惑いの声もありました。
しかし一方で、地元商工会の対応は素早いものでした。
放映後間もない2007年12月には商工会主催のイベントが開催され3,500人あまりの参加者を集めると、その翌日には『らき☆すた』のキャラクターが描かれた絵馬型携帯ストラップを町内17店舗で販売し、これは開店から30分も経たずに完売してしまったのです。最終的に、このストラップは地区内の約60店舗に並び、これまでに3万5,000個、計2億2,000万円を売り上げる大ヒットとなりました。
その後も商工会は「らき☆すた飲食店スタンプラリー」などのイベントを開催していきますが、こうした動きを受けて町全体が「らき☆すた」を盛り上げはじめます。
2008年4月に旧鷲宮町は登場人物の「柊一家」を特別に住民登録し、その際1枚あたり300円で「特別住民票」をファンに交付しました。交付初日には全国から2,760人ものファンが訪れたといいます。
また、県も同年5月に『らき☆すた』をはじめとした埼玉ゆかりのアニメの舞台を紹介した観光サイト(注1)を開設し、2009年6月には「県アニメツーリズム検討委員会」を立ち上げるなど熱心な取り組みを行ってきました。
◆ファンの取り組み――地域との交流
以上の取り組みは、地域からツーリストであるファンへの働きかけでした。
一方で、その逆―ファンから地域へ―の働きかけも重要です。
地元商工会は2007年夏頃にはすでに鷲宮神社の「聖地」化に気付いており、ファンへの聞き取り調査などを行っていましたが、そこで幾人かのファンがタイアップ企画のアイデアを練るのに協力してくれるようになったといいます。
この時のファンの1人が、その後現在まで続くボランティアスタッフのリーダーとなる人物です。
このボランティアスタッフは、この時期から常時5、6人が商工会の会議などに参画しており、イベント時においてはおよそ15人ほどのスタッフが駆けつけてくれるのだそう。
このボランティアスタッフの存在によって、商工会はファンのニーズを的確につかみ取ることができ、不足していたマンパワーを補うことができ、そしてファンとの交流も生まれるようになりました。
さらに、地域側のイベントも、ファンとの交流を一層促進することにつながり、地域とファンとの協働によるまちづくりが展開されていきます。
ここでは、その象徴的な現象として土師(はじ)祭が取り上げましょう。
土師祭は、9月の第1日曜日に鷲宮神社に奉納されている「千貫神輿」を担ぎ町を練り歩く伝統的な祭典です。
この土師祭を主催する土師祭輿會(はじさいこうかい)が2009年にファンの祭りへの参加を提案し、地域住民とファンが協力して作り上げた神輿(通称「らき☆すた神輿」)が町内を練り歩くこととなりました(図2)。
祭り当日には全国から約120名のファンが神輿の担ぎ手として参加したというから驚きです。
この「らき☆すた神輿」は現在まで続いていて、2013年には神輿の運営がファンに一任されるなど、地域の伝統的な祭りを通した地域住民とファンとの交流はさらに発展を見せています。
図2:らき☆すた神輿
出典:武蔵野国鷲宮土師祭 らき☆すた神輿WEBサイト<http://luckystar.wasimiya.com/galley.html>
以上のように、鷲宮の事例では、そのはじまりこそ「自然発生的」なものでしたが、地元の商工会や行政がファンの「聖地巡礼」にいち早く反応して取り組みを始め、そしてその取り組みは地域とファンとがスクラムを組んで一体的に展開され、現在まで続いているのです。
◆ コンテンツホルダーの対応
最後に、旧鷲宮町とコンテンツホルダーとの関係についてみておきましょう。
まず、コンテンツホルダーはどこの誰なのかという点ですが、そもそも『らき☆すた』は美水かがみ氏原作のマンガ作品をもとにつくられたアニメであり、マンガ版の著作権は美水かがみ氏と出版社である角川書店が、アニメ版では美水かがみ氏と制作委員会の「らっきー☆ぱらだいす」がそれぞれ所有しています。
グッズなどにはマンガ版・アニメ版双方のコピーライト表記がなされているようです。
さて、両者の関係は、2007年9月に鷲宮神社の「聖地」化に気付いた商工会の若手職員2名が、角川書店へ「鷲宮町としてお土産になるようなグッズを販売したい」という問い合わせをしたところから始まります。
商工会は角川書店へグッズの企画提案を行いますが、その際、角川書店側から逆に、鷲宮神社等を利用したファン向けのイベントを企画・開催してはどうかという逆提案を受ける形になりました。
その結果、12月には、商工会と角川書店が共同主催した「『らき☆すた』のブランチ&公式参拝in鷲宮」と題したイベントが開催され、大盛況のうちに終了しました。
その後、角川書店は常に著作権関係の窓口として商工会と関わるようになり、商工会主体で幅広くグッズ展開やイベントが開催されることとなったのは上述の通りです。
このように、鷲宮の事例に関しては、著作権者の1人である角川書店が非常に柔軟な対応をとっていることがわかりますね。特に、
①複雑な著作権関係の中で、角川書店が単一の窓口として機能し、他の著作権者との調整等を行ってきたこと
②また商工会側も、できる限り角川書店側と「win-winな」関係を築けるよう努力してきたこと
は注目してよいでしょう。
結果として、アニメと旧鷲宮町とのタイアップ企画がスムーズに進んだことは、旧鷲宮町が現在でも「聖地」として賑わっている大きな理由のひとつだと思われます。
注1:埼玉ちょ~でぃーぷな観光協会 http://www.sainokuni-kanko.jp/?page_id=1121
<参考文献>
・北海道大学観光学高等研究センター文化資源マネジメント研究チーム編(2009)『メディアコンテンツとツーリズム:鷲宮町の経験から考える文化創造型交流の可能性』北海道大学観光学高等研究センター。
・松本真治・山村高淑(2013)「鷲宮×『らき☆すた』タイアップの経緯とその後の展開年表」アニ玉祭「アニメ・マンガの聖地サミットin 埼玉」配布資料。
・山村高淑(2008)「アニメ聖地の成立とその展開に関する研究:アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察 」『国際広報メディア・観光ジャーナル』第7号。
・山村高淑(2012)「相次ぐ仕掛けでオタク層取り込む :コンテンツツーリズムの成功例に:埼玉県久喜市鷲宮(旧鷲宮町)」『日経グローカル』第194号。
ほか多数