快楽主義を主張するキュレネ派の祖であるアリスティッポスは、「わたしたちはすべてのことにおいて、快楽を求める」と論じています。つまり、私たち人間はできるだけ快楽を感じ続けるために、快楽の感情——いわゆるポジティブ感情を得る機会や時間を増やす行動をしているという考え方です。
もしこの考えが正しいのだとすれば、愉快や興奮の感情を喚起するためによりエキサイティングなゲームを開発したり、安らぎや落ち着きの感情を喚起するために可愛い動物の動画を視聴させるだけで、人間は満たされて幸福になれるぞ!!やったぁ!
ネガティブ感情は研究が進み、危険からの逃避、害毒の排除など生存に有益な行動を促すという役割を持っていることは、すでに明らかになっていました。これに対し,喜びなどのポジティブ感情は,その存在意義が明確でなく,あまり研究されてきませんでした。
また、バーバラ・フレドリクソンがマーシャル・ロサダらと共同で行った研究によると、ポジティブ感情が量的なある「転換点」を上回るとき、心理的フローリシングと呼ばれる心理機能が人間として考えうる最適な状態へと導かれる好循環が生み出されることがわかっています。具体的には、ポジティブ感情の割合が全体の75%を上回ると、最適なメンタルヘルスとウェルビーイングの状態が安定化すると言われています。
これらのことから、ポジティブ感情を意識してデザインを行う際には、ポジティブ感情がもたらす短期間の快楽だけでなく、ポジティブ感情がもたらすリソース構築やメンタルヘルスの最適化の作用も意識する必要があります。
ポジティブ感情を最重要としてデザインを行うとき、それは「快楽志向」のデザインであると言えます。ここでは、快楽志向のデザインを行う際に、意識するべき点を紹介します。
ポジティブ感情とポジティブシンキング
まず、ポジティブシンキングは、ポジティブ感情と異なることに注意してください。
ポジティブシンキングは、真正性(本人から生まれた偽りのない感情であるということ)が欠けています。ネガティブな経験をした際に、ネガティブな感情を抑制しポジティブなこととして捉えて、自分が幸せであるように見せかけることは、むしろウェルビーイングに有害です。ネガティブ感情を抑制することで、ポジティブ感情とネガティブ感情のバランスが崩れてしまうからです。
先ほど、ポジティブ感情が75%の割合を超えるとフローリシングを促すことができると述べましたが、実はポジティブ感情の割合が高すぎてもダメなのです。具体的には、ポジティブ感情が約92%の割合を超えると、フローリシングへの好循環が崩壊してしまうと言われています。
2種類のポジティブ感情
ポジティブ感情は、進化的、神経学的、生理学的に2グループに大別できます。「興奮と衝動システムのポジティブ感情」と「親和と沈静システムのポジティブ感情」です。
興奮と衝動システム:ドーパミンや交感神経系の活動と関係している。よいものを探求する意欲を生み出す(例:誇り、熱中、欲望)
親和と沈静システム:エンドルフィンやオキシトシン、副交感神経の活動と関係している。他者への気遣いなどの行動を促進する(例:平穏、思いやり、愛)
興奮と衝動システムと、親和と沈静システムはどちらも重要です。バランス良く2つのシステムが組み合わさることで十分に機能するようになります。これまでのテクノロジーは購買意欲を煽るために興奮と衝動システムによるポジティブ感情を喚起させることを重視していましたが、このような方法では長期的なウェルビーイングは望めません。ウェルビーイングを意識したデザインがしたいなら、親和と沈静システムも意識することが重要になる。
ピーク・エンドの法則
人間は、実際の経験とその記憶にはズレが生じます。私たちがある出来事を体験した際、すべてのことを均等には記憶することはなく、体験の中でもっとも強い刺激がある「頂点(ピーク)と最後(エンド)」を強く記憶します。これを「ピーク・エンドの法則」といいます。この人間の特性から、多少の苦痛を伴うような体験であっても、その苦痛を長く穏やかにする(苦痛のピークを作らない)、最後に何かしらのケアをする、ようなデザインにすることで、全体としてポジティブな体験にすることができます。快楽志向のデザインを行う際には、このピークエンドの法則を頭に入れておくとより良いデザインができます。