さて、次はミツバチの進化についてのお話です。
ミツバチの話の前に、ダーウィン、フィッシャー、ハミルトン3人の生物学者の話を紹介させてください。
チャールズ・ダーウィンは『種の起原』でよく知られるイギリスの自然科学者で、この著書の中で自然選択説を唱えています。自然選択説とは、「生物が進化していくときには変異をするもので、その変異がより生存や繁殖に有利なであれば残るし、不利であれば淘汰されて消えてしまう」という説です。例えば自分の天敵に対抗できる変異があれば、それが生存に有利なのでそれは残り子孫へと受け継がれていきます。植物が天敵の動物から食べられないように、葉に棘をつけたり、毒を分泌したりするのはこれで説明できます。
自然選択説は多くの動物の進化の解明につながりましたが、それでは説明できない事象が出てきました。それが性比です。
皆さんはヒトの性比について何かご存知ですか?ヒトは105:100で男女比はおよそ1:1です。性比がわずかに偏っている理由は、先天性疾患や幼少期の疾患が女性に比べ男性に多く、成人になるまでに女性よりも多く亡くなってしまうからといわれています。
ヒトの性比が1:1に調整されたことは、優位な変異が残るという自然選択説では解決できません。ダーウィンもこの壁に突き当たりましたが、結局説明はできずじまいでした。
では一体どうしてヒトはこのような性比に、プログラムされたのでしょうか?
ダーウィンが性比の問題を取り上げてから60年ほどたった1930年に、ロナルド・フィッシャーが初めて性比の問題に進化的説明を行いました。
ある架空の種の集団がいたとしましょう。この集団はいま雌に偏っているとします。つまり多くの母親が娘を持ち、息子を持つ母は少数です。どうやら出生比が雌に偏るような進化を遂げたようです。母親の視点から観ると、娘を持つ場合、その娘から生まれた孫しか自分の遺伝子を受け継ぎません。一方息子の子供を持つ場合、雄は複数の雌との間に子をもうける可能性があるので、自分の遺伝子を継ぐ孫の数は先の例よりも何倍にも多くなるでしょう。この状況では雄の子を生むという性質は雌の子供を産むという性質に比べ優位なものといっていいでしょう。
あるとき偶然に娘が生まれやすい環境のなかで、息子が生まれたとします。息子を持つ親はやはり多くの子孫に自分の遺伝子を残しますが、集団全体で見ると雌が生まれやすいという傾向に変化はありません。ところがまたあるとき、ある母親に突然変異が起き、雄が生まれやすいというものが現れたとします。この親は息子をたくさんもうけるので、多くの孫に自分の遺伝子を受け継ぐことになります。自然選択説では優位な変異は子孫に受け継がれるので、当然息子ばかりを生む遺伝子は優位な遺伝子として孫に受け継がれます。するとどうでしょう、さっきとは違い集団全体で見ると雌が生まれやすい個体の割合が減り、雄が生まれやすい個体の割合が増えることになります。そのうちその差はみるみる縮まり、ついには逆転する日が来ます。すなはち、出生比が雄に偏るような集団になるのです。こうなるとさっきとは話が逆で、息子を持つ母親は自分の子孫を残せない可能性が出てきますが、娘を持つ母親はその娘が複数の雄と子供をもうけることでたくさんの子孫に自分の遺伝子を残すことができます。この状況では雌の子を産むという性質は雄の子を産むという性質に比べ優位なものになるのです。
次に起こる変化を想像してみてください。きっと娘を産みやすいという遺伝子が突然変異で生まれ、自然選択されることでまた性比の偏りがシーソーゲームのように両者を行ったり来たりするでしょう。こうして性比は1:1に安定するとフィッシャーは唱えました。これがフィッシャーの原理と呼ばれるものです。
また、フィッシャーは親の出費にも注目しました。それは子育てに対する労力が雌雄の子で異なる場合、より労力の少ない性別の子供を多く持ち、より労力の大きい性別の子は少ないというものです。
Cm×M=Cf×F
M,Fは雄と雌の子供の頭数という意味で、Cmは一頭の雄の子供に対する出費、Cfは雌の子供に対する出費です。例えば雄の個体が、成長すると体の大きさが雌の2倍になるとすると、親の出費も2倍になり、結果雄の子供は雌の子供の1/2しか生まれてこないことになります。ヒトの場合雌雄で大きく体の大きさに差はないので、親の出費にも差が見られず、性比に影響がないのでしょう。
皆さんは祖先の数を考えたことがありますか? 親が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人、高祖父母が16人・・・と、一世代前の祖先の数はいずれも2のべき乗になっており、n世代前なら2^n人です。 一方、ミツバチの祖先の数は、親が2人、祖父母が3人、曽祖父母が5人、高祖父母が8人・・・とフィボナッチ数になっており、n世代前ならFn=Fn-1+Fn-2(n≧3)人です。
これはヒトとミツバチとで性決定の遺伝子の組み合わせ方に大きな違いがあるためなのです。
【半倍数性】
ヒトは二倍体の生き物です。二倍体とは相同の染色体が2組あるということで、片方が父親由来、もう片方は母親由来で、ヒトは生まれてくるときに両親から一組ずつ遺伝します。つまり46本の染色体のうち23本は父方、23本は母方です。染色体には常染色体と性染色体があって、性染色体は46本のうちわずか2本です。性染色体は大きくX染色体、Y染色体からなっており、父親はX染色体かY染色体のいずれかを提供し、母親はX染色体を提供します。そこで性染色体の組合せは(X,X)もしくは(X,Y)になり、受精卵が(X,X)なら出生時に遺伝子型は女性となり、(X,Y)なら男性になるのです。染色体の数が多すぎたり少なすぎると、生存が難しかったり、奇形が残ることがあります。このように、生存に必要な最小限の染色体が2組の遺伝形式を二倍性とよびます。
二倍性のほかにも三倍性、四倍性の生物もおり、ひっくるめて倍数性と呼んでいます。
一方、ミツバチはヒトとは異なる遺伝形式をもっています。すなわち、メスの染色体は32本、雄の染色体は16本になっています。これは雌が相同の染色体を2組持っているのに対し、雄は1組しか持っていないということです。ミツバチには性染色体というものがなく、常染色体の数によって性別が決定します。母親は産卵時に交尾をしていたら、その子供は、父親由来の染色体と母親由来の染色体を一組ずつ引き継ぐので2組の相同な染色体をもつことになり、必ず雌になります。対して母親が産卵時に交尾をしていなければ、母親由来の染色体1組しかないため、生まれてくる子供は必ず雄になるのです。こうした遺伝形式を半倍数性(Haplodiploidy)と呼びます。
一匹の母親女王ハチから生まれてきた雌のミツバチのうち、一部は女王ハチとなり、残りは働きバチになると知られています。働きバチは母親女王ハチから生まれてくる兄弟姉妹の世話や巣の掃除をしたり、外に出て蜜や花粉を巣に運び、花から花へ花粉を運びます。雄ハチは働バチのように花から蜜や花粉を運ぶことはせず、一部は外に出かけて女王ハチと子を残しますが、残りは何もせず、秋になると死に絶えます。
先の項で取り上げたミツバチは、一つの巣の中で母親女王バチを中心として集団で生活しています。女王バチが1匹に対して働きバチは数万匹もいます。女王バチは次世代を産むことが仕事ですが、働きバチは自分の子供を産むことなくむしろ女王バチの世話をし、次世代の女王バチの世話をもします。生物は自分の遺伝子を効率よく残すためにより優位な進化を遂げるはずですが、働きバチが自分の子供を作らずに他者(働きバチからみたら次世代の女王バチは姉妹)のために働く(=利他行動する)のはいったいなぜなのでしょうか?この疑問は自然選択説だけではどうもうまく説明できませんでした。
※ここから先は難しいので、結論だけ読んでもらってもかまいません。
ウィリアム・ドナルド・ハミルトンは『異常な性比』という本の中で、血縁係数を用いたミツバチの進化の説明を行いました。それは、ある遺伝子を集団内で増加させるためには、それを持つ個体すべてが子を残す方法が最善とは限らず、その遺伝子を持つ個体の適応度(=生き残る割合)が、平均してそれを持たない個体より高ければいい、というものです。一部の個体は自身の命や繁殖を犠牲にして、同一遺伝子の個体の繁殖の手助けをし、その遺伝子の適応度を上げれば、効率よく集団内での遺伝子の頻度を増加させられると考えました。
【ハミルトン則】
B×R-C>0
Cは利他行動のコスト(cost)で、働きバチが女王バチの子供を育てる労力です。Rは血縁係数、Bは働きバチの得る利益(benifit)です。Rは自分と助けた相手が共通の祖先から受け継いだ稀な遺伝子を共有している確率です。Rが十分大きくこの式を満たすことができる時に、その血縁関係のある個体の手助けをする意味があるとハミルトンは説明しました。この不等式をハミルトン則と呼びます。
【血縁係数】
ヒトのように2倍体の生物の血縁係数を考えると、両親の遺伝子を半分ずつ受け継いでいるので、自分を中心に考えると、両親共にR=0.5です。兄弟姉妹も同様に考えると、父親由来で共通する遺伝子の確立は0.5×0.5=0.25、母親由来も0.25なので合わせてR=0.50です。自分の子供は自分の遺伝子を半分受け継ぐのでR=0.50です。
ミツバチは半倍数性のため、雄は配偶子形成時に減数分裂を行わないため、血縁係数はヒトと大きく違います。雄からみた血縁係数と雌からみた血縁係数に違いがあるのです。まず雄の場合、母親由来の遺伝子しか持ってないので母親はR=1.0、父親はR=0です。兄弟姉妹は共通の母親を持ち、遺伝子の半分を受け継ぐので0.5です。娘は自分の遺伝子が全て受け継がれるので、R=1.0、息子はできないのでR=0です。
働きバチである雌の場合、両親の遺伝子を半分ずつ受け継ぐので、両親共にR=0.5です。兄弟は母親由来で共通する遺伝子の確立なので、R=0.5×0.5=0.25です。姉妹は母親由来が0.25、父親由来で特別な遺伝子を持っている確率は、その組が父親由来である確率が0.5、もし父親由来なら自分の姉妹にも必ず受け継がれているので、0.5×1.0=0.5。合わせてR=0.75になります。自分の子供は自分の遺伝子が半分受け継がれるのでR=0.5です。
以上より、働きバチからみると、自分が血縁係数0.5の子供を作るより、女王バチに血縁係数0.75の姉妹を作らせたほうが適応度が上がるといえます。これが働きバチの利他行動の理由と考えられています。血縁係数=0.75から、この考えを3/4仮説と呼びます。
言い換えると、働きバチにとっては、自分の子供よりも自分の姉妹の方が、血のつながりが強いため、自分の子供を作らずに姉妹の世話をするのです。
参考:長谷川眞理子.雄と雌の数をめぐる不思議 、中央公論新社、2001年
利他行動とは何か?
夏になるとよくニュースで、川遊びで子供がおぼれ、助けようとして逆に溺れてしまう事故を耳にします。ヒトは自分の利益や、食べ物、時には命さえも投げて他人のために行動することがります。自分の損失を顧みずすることを利他行動と呼びます。
こうした行動はヒトに限ったことではないようで、集団を守るために自己を犠牲にする様が動物界、植物界にいく例か見られます。動物の例では、ミツバチが例として挙げられ、集団が敵に襲われたとき、働きバチは自分の毒針で敵を退散させます。毒針は一度食い込むと離れないので、攻撃したハチは腹部がちぎれ死亡しますが、その一匹の犠牲で集団が守られるのです。植物の一例ではある種のアリ(Camponotus schmitzi)と共生しているウツボカズラ(Nepenthes bicalcarata)が挙げられます。ウツボカズラは食虫植物として知られ、普通昆虫と共生はしないです。しかしこのウツボカズラはアリに住居を与えるだけでなく、花の蜜や罠にかかった昆虫をも与えているのです。共生関係にあるということはその両者に利益があるわけで、ウツボカズラもアリから利益を受けています。天敵である蚊の幼虫を駆除したり、ウツボカズラに栄養素である窒素を供給しています。