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イスラーム科学の発展の背景: イスラーム科学の発展

遊牧民社会

 舞台はイスラム教が誕生する前です。アラビア半島で生活するアラブ人は遊牧を長い間送っていました。遊牧民という言葉はアラビア語でバドウィン「badawī (بدوي) 」といいます。この遊牧民の宗教は多神教でした。「科学」というものを所有していませんでした。7世紀初頭からイスラム教がアラビア半島で普及し始め、イスラム教の主たる法源である「クルアーン」や「スンナ」によって生活や社会における様々なルールが定められました。イスラム教を広げるために行われた征服によってアラビア半島から周辺の国々にイスラム教が広がりました。イスラム科学が誕生した時期も周辺の諸国を征服してから始まりました。しかし、周辺の諸国を征服するだけで、科学の発展が誕生するわけではありません。識字力がとても低く、遊牧生活を送っていたアラブ人がなぜ教育や学問に関心を持つようになったでしょうか。その答えは上述のクルアーンとハディースにあります。

クルアーンとハディース

 イスラム科学の発展の理由の一つであったクルアーンとハディースについて述べる前に、クルアーンとハディースとは何かについて知っておく必要があります。

 「クルアーン(القرآن‎)」は神様(アッラー)から啓示されたイスラム教の重要な法源です。クルアーンは、天使ジブリール(ガブリエル)を通じて長い期間にかけてムハンマド(P.B.U.H)に啓示されました 。そして、ムハンマドはそれを口頭暗記し、教友たちに伝えていました。その理由の一つはムハンマド(P.B.U.H)自身が読み書きができず、また彼の周りにそれができる教友たちも僅かしかいなかったからです。しかし、読み書きができる人によって石や皮などに記入されていましたが、まとまった本の形ではなかったです。ムハンマド(P.B.U.H)の死去後にそういった記入されたものが集められ、紙に移され、本の形にされました。

 

 「ハディース(حديث)」はムハンマド(P.B.U.H)の日常生活の中で語った言葉や行動についての証言をまとめた言行録のことで、イスラム教の重要な法源のもう一つでもあります。彼の言行が収録されたのは彼の死去後の数100年後です。それまで人々の記憶や伝承によって保持されていました。それらの真正を確認し、本の形にするために後にハディースの学者たちが誕生しました。以下の6人がスンニ派の学者たちです。特に前者の二人が特に有名で、収録されているハディースの真正が高いです。

アル=ブハーリー(870年没) 

②ムスリム・イブン・ハッジャージュ(875年没) 

③アブー・ダーウード(888年没)  

④アル=ティルミズィー(892年没) 

⑤イブン・マージャ(896年没) 

⑥アル=ナサーイー(915年没) 

コーラン・ハディースにおける学問への関心について

 イスラーム科学が発展を遂げることができた理由としてクルアーンやハディースの役割について紹介したいと思います。それについてイスラーム研究者の湯川武(元慶応義塾大学名誉教授)の「ハディースに反映されたムスリムの知識への意欲」の記事をまとめて紹介したいと思います。この記事を通してイスラーム科学の発展のきっかけを理解できると思います。

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 アラビア語では「知識」という言葉に当たる「イルム(علم)」という言葉があります。クルアーンやハディースの中に「イルム」という言葉は100回以上出てきます。この言葉をそれらの中から注意深く読んでみると、日常的に使われる「知識」より広い意味を持っていることがわかります。「知識」は宗教的な意味だけでなく、もっと一般的な意味での知的活動に対する奨励としての意味も持っています。「コーランとハディースを通じて言えることは、イスラームという宗教は、知的な理解を要請し、その理解を助けるために適切な教育を奨励する性質を強く持っているということ」です。イスラーム文明において学問や科学が発展したのは、まさにイスラーム自体が持っているそのような性格に負うところが大きいでしょう。

 クルアーンが啓示された背景を見てみると、知識への要求がその段階から始まったことがわかります。啓示されたコーランを学ぶということは、その中の事柄を学ぶ必要性を生みます。その中の語句や内容を理解するためには、ムハンマドや教友たちがそれらをどのように解釈していたかを知る必要があります。また、クルアーンの中の言葉の意味や文法がしっかりしていなければ正しく読むことも意味をとることもできません。コーラン解釈学やアラビア語学が追求されるようになるのも当然です。

 「ムスリム知識人にとっては、『知識』はイスラーム的価値を持つ特殊な知識であると同時に、一般的な知識をも意味したのである。八世紀半ば以降イスラームの諸学問が急速に発展していったのであるが、それと並行してその他の様々な起源の学問や知的活動もさかんに行われるようになった。アッバース朝時代の旺盛な知的活動」を「支えた社会的経済的な基盤はともかくも、イスラームの教えに関わる「知識」のみならず、一般的な意味における「知識」に対する刺激という点で、コーランとハディースの果たした役割は欠くことのできない重要なものであったことは間違いない。見方を変えるならば、コーランで喚起されたムスリムの『知識』に対する欲求が時代とともにさまざまな知的活動へと発展していくなかで、イスラーム文明の持つ雰囲気とでも呼ぶべきものがハディースに反映されるようになり、それがさらにコーランの『知識』を求めよという教えを補強することになったと考えられる。」。

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