旧石器時代
旧石器時代は今より海水面が低く、人々は大陸からより簡単に渡ってくることができたことから、動物や植物など食物を求めに追いかけてきたと考えられます。
伊都キャンパスでは旧石器時代の終わり頃(今から3万年前から1万6千年前まで)に使っていた旧石器が出土されています。ナイフ型石器や剥片などが中心になっています。出土場所としては、今で言うと理系図書館の後ろ辺り、学生宿舎ドミトリ、協奏館近くです(図1:3・18・27)。いずれも雨などで流されて堆積したものですが、この周辺にいた痕跡として十分であると考えられます。
(図2:出土した石器 『元岡・桑原遺跡群』2019 福岡教育委員会 p1.)
縄文時代
移転する前から、この周辺に縄文時代の遺跡が大いに存在していることが明らかになっていました。元岡瓜尾貝塚や桑原飛櫛貝塚など縄文中頃から後期にかけた貝塚遺跡が発見されています。縄文人は丘陵の端に貝塚を作っています。貝塚というのは、貝類の捨て殻が集められた場所です。ゴミ捨て場の印象がある人もいますが、実際にちゃんとしている墓が貝塚で発見された例もしばしばあります。当時の死についての様態はまだ不可解なところが多いため、当時の生活を忠実に反映している場所と考えてもいいでしょう。
移転に伴う発掘調査では、縄文初期(今から1万3千年前)の遺跡も発見されています。丘陵斜面に石を集めた遺跡や炉の跡なども発見されています。撚り糸文縄文や押し型文縄文が発見されています。発見された位置について、キャンパス南入り口の山とセンターゾーンのローソン(書いているうちにセブンになりました)のあたりと考えていいと思います。(図1:3,58)
(図3:出土した縄文土器 『元岡・桑原遺跡群』2019 福岡教育委員会 p10.)
弥生時代
弥生時代中期頃と考えられる土器はキャンパス南入り口周辺にある丘陵の南側に大量に捨てられたことが発掘により判明されています。ここでは糸島の遺物だけではなく、朝鮮半島の土器や、近畿地方、中国地方で作られた土器も発見されています。木器、銅鐸、琴など祭司に使われた遺物も発見されました。中国で使われた貨幣も発見されていて、奴国が金印をもらった時期と一緒なので、もしかして大陸と交流していたのかもしれません。
(図4:『元岡・桑原遺跡群』2019 福岡教育委員会p11)
弥生時代についてもっと知りたい方こちらへ『農耕の起源を探る:イネに来た道』宮本一夫