第8回は『医学図書館にある貴重な古医書たち』です。
実は医学図書館は7,000点以上の古医書を所蔵しており、
その中には解剖学の先駆者ヴェザリウス『人間の身体の構造』や『種の起源』『解体新書』の初版本も含まれています。
今回は、これら選りすぐりの貴重書(画像)と関連図書を展示します。
(残念ながら現物は展示しておりません。)
興味のある方は以下のガイドもぜひご覧になって下さい!
九州大学医学図書館には、漢籍、和書、洋書あわせて約7,000点の貴重書を所蔵している。
明治期における西洋医学の導入により、国内の医学界は短期間で大きく変化した。
大学医学部で教鞭を執る教授たちも、広い視野と見識に基づき国内外の関連資料を収集していた。
1982年に、これらの資料の保存・管理のため、附属図書館医学分館に貴重図書室が設置され、医学部諸講座提供の蔵書が貴重古医書コレクションの基礎となった。
江戸・明治初期の和文資料には数多くの写本が含まれ、17・18世紀における蘭学の誕生と普及の解明において極めて重要なものも少なくない。
洋書のほとんどは16世紀から19世紀にかけて出版された刊本である。
ヨーロッパでも数少ない貴重な医書とともにケンペル著『日本誌』のフランス語版やシーボルト著『NIPPON』の初版本なども保存されているのは、歴代医学部教授の高い見識によるものである。
本コレクションは、日・中・欧の医学の歴史のみならず、東西医学交流史や文化史の研究に調査し尽せないほど豊富な資料を提供してくれる。
ミヒェル・ヴォルフガング「貴重古医書コレクション」(『九州大学百年の宝物』)
『五臟之守護并虫之図』 書写年不明 コ-25 眼科/和書7245号
人間ははるか昔から、自身や身近な動物で目にする幾つかの虫について認識し、想像上の虫を病因としたりしていた。
本書は九州国立博物館所蔵『針聞書』と同じく、大変ユニ-クな虫を描いた江戸期の写本。
「五臟之守護并虫之図」4葉半と「五臓六腑砕之次第之明鏡」6葉半の2部で構成されている。
前半は五臓に宿る五仏と体内に巣くう18種の虫が列挙され、後半は内景図とその解説が記されている。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「蟲」(『東西の古医書に見られる病と治療-附属図書館の貴重書コレクションより』)、長野仁「『五臟之守護并虫之図』 について」(『鍼灸』OSAKA24(3)、2008)
ベレティニは人物を具体的な状況に置きながら、身体のできるだけ多くの面を示そうとしている。
手法として人物が持つ臓器、鏡、絵画などを用いている。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「人生の空しさ」(九州大学附属図書館企画展「東西の古医書に見られる身体」-九州大学の資料から-」)
解体新書の原本いわゆる「ターヘル・アナトミア」は、ドイツの医学者クルムス(Johann Adam Kulmus 1689-1749)の”Anatomische Tabelle”(「解剖図表」)の蘭訳本である。
明和8年(1771)、江戸で行われた解剖に西洋の医書を持参した杉田玄白(1733~1817)や前野良沢らは、西洋の解剖図の正確さに驚き、大変な苦労をしながらその本を翻訳し『解体新書』として出版した。
それをきっかけに本格的な蘭学が起こり、西洋医学などは積極的に受容されるようになった。
『解体新書』の扉絵は、上述の「解剖図表」ではなく、「ヴェザリウスおよびワルエルダの解剖学」のオランダ語の訳本(1568ないし1614年刊のアントワープ版)の口絵からとったものと推測されている。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「東へ伝わる西洋医学」(九州大学附属図書館企画展「東西の古医書に見られる身体」-九州大学の資料から-」)
『重訂解体新書銅版全圖』 杉田玄白訳 天保14[1843] カ-31
安永3年(1774)に刊行した『解体新書』の訳に満足しなかった杉田玄白の命で大槻玄沢(1757~1827)がクルムスの『解剖図表』(ターヘル・アナトミア)を訳しなおしたもの。
銅版図は、中伊三郎(?~1860)の作で、木版に比べはるかに精密になっている。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「東へ伝わる西洋医学」(九州大学附属図書館企画展「東西の古医書に見られる身体」-九州大学の資料から-」)
『蘭学事始』 杉田編 明治2[1869] 附属図書館所蔵
文化11年(1814)、82歳の杉田玄白が蘭学創始の時代を回想録風にまとめたもの。
補筆を依頼された大槻玄澤は、日頃の玄白の話や自分の見聞を織り込み『蘭東事始』として、翌年玄白に進呈したといわれている。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「東へ伝わる西洋医学」(九州大学附属図書館企画展「東西の古医書に見られる身体」-九州大学の資料から-」)
鎖国下の江戸時代では、長崎出島のオランダ商館医を通じて、西洋医学が日本に伝えられた(いわゆる紅毛流医学)。
本書は紅毛流外科の写本の一つで、中医風の腫れ物図が附されている。
本草学者白井光太郎(1863-1932)旧蔵。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「気流れる身体と鍼灸」、「外科処置」(九州大学附属図書館企画展『東西の古医書に見られる病と治療-附属図書館の貴重書コレクションよりー』)
ケンペル『廻国奇観』に見られる灸点を示す「灸所鑑」。
ケンペルが日本で入手した一枚の「ビラ」に基づいて刊行された木版画と解説文。
ケンペルによればこのような資料は至るところで販売されていたようだが、原本は残っていない。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「気流れる身体と鍼灸」、「外科処置」(九州大学附属図書館企画展『東西の古医書に見られる病と治療-附属図書館の貴重書コレクションよりー』)
ドイツの博物学者ミヒャエル・ベルンハルト・ヴァレンティ-ニ(Michael Bernhard Valentini, 1657-1729) は、ブショフの著書及び出島商館長クライア-から入手した情報に基づき1704年に刊行された本に灸術について詳細に紹介する。
治療の説明文を元に銅版画家が彫った東洋風の挿し絵に治療点及び灸に火を付けるための線香が見られる。
参考文献:ミヒェル・ヴォルフガング解説「気流れる身体と鍼灸」(九州大学附属図書館企画展『東西の古医書に見られる病と治療-附属図書館の貴重書コレクションよりー』)
日本では近世、出産直後の女性は横になることを許されず、産椅(さんい)という椅子に寄りかかって眠らずに7日間過ごさなければならなかった。
常に側に人がおり、うとうとしようものなら叱られて起された。
この悪習がもたらす害悪について賀川玄悦(1700-1777)が『産論』で述べている。
この『産椅論』は、賀川玄悦の『産論』を引用しつつ、産椅は廃止し、枕を高くして脚を伸ばし楽な体勢で寝かせるべきことを図入りで説明している。
首をつってしまった人、溺れた人を助ける救急法。
図の人物の服装から中国の医書からの抜粋と推測される。
首をつった人を助けるには、いきなり縄を切るのではなく、まず足の下に台をあてがい一人が抱きとめた上でもう一人がよく切れる刃物で切る、といったことが書かれている。
『三才図会』 万暦37[1609]
中国の絵入り百科事典。明・王圻編。万暦37年(1609)刊。106巻80冊。
「三才」すなわち天・地・人のあらゆる事象について、絵図と文章でもって解説する。
江戸時代を代表する類書である寺島良安『和漢三才図会』は、『三才図会』を範としている。
参考文献:大渕貴之「類書」(『九州大学百年の宝物』)