横尾文行堂納入分について追記(16.2.8)
『新刻秘伝眼科七十二証全書』を追加(16.2.22)
『国図枢要』を追加(16.3.10)
狩野亨吉は、近代日本を代表する思想家・教育家・大蒐書家であり、その莫大な蔵書の多くは、東北大学に収められ、狩野文庫として全国的に知られています。近年の調査により、九州大学附属図書館が設置される1922年以前に、その狩野亨吉から、実は九州大学も大量の図書を購入していたことが判明しました。九州大学が狩野亨吉より購入した図書は、中央図書館狩野文庫の朝鮮本・人名録・書目類、中央図書館桑木文庫中の数学天文書、医学図書館貴重図書室中の眼科教室旧蔵の類書・医書類、以上三つのコレクションが現在確認されています。総計約2200部8400冊に及び、その中には九州大学を代表する貴重書が多数含まれています。狩野がこれだけのコレクションを九州大学にもたらしてくれたのは、医学部眼科教室初代教授大西克知、理学部の基礎を築いた工学部数学物理学教室教授桑木彧雄といった、九大草創期の人物との親交があったからです。
このページは、2015年が狩野亨吉と大西克知の生誕150周年にあたることを記念し、これまで知られていなかった、狩野亨吉が九州大学にもたらした貴重な図書を紹介するとともに、九州大学の蔵書の基盤を築いた先人たちの功績を顕彰するものです。
出羽久保田藩士狩野良知の次男。帝国大学数学科・哲学科を卒業、金沢第四中学校、第五高等学校を経て、第一高等学校校長となる。1906年、京都帝国大学文科大学初代学長に就任、内藤湖南、幸田露伴ら正規の学歴がない民間学者を京大に招いた。辞職後、書画や刀剣の鑑定・売買を業とした。安藤昌益、志筑忠雄らの思想家を紹介したことでも知られる。また、夏目漱石の友人としても知られ、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生や『それから』の代助のモデルの一人といわれている。その膨大な蔵書の内、10万冊以上が東北大学附属図書館狩野文庫に、日記・書翰類は東京大学駒場図書館狩野文庫に、 古文書類は京都大学総合博物館に収められている。
出典:安倍能成編『狩野亨吉遺文集』(岩波書店、1958)