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狩野亨吉と九州大学: 桑木文庫の数学天文書

近代日本を代表する思想家・教育家・蒐書家である狩野亨吉が、九州大学にもたらした貴重な図書の紹介

桑木文庫

 桑木文庫は、近代日本を代表する物理学者であり、九大理学部の基礎を築いた工学部教授(くわ)()(あや)()が、工学部数学物理学教室に蒐集した科学史文献を、理学部移管後に斯く称したものであり、国内有数の科学史コレクションとして広く知られている。桑木は狩野亨吉と科学史研究を通じて交流があり、実業家鮎川義介より資金を得てその蔵書を購入し、総計484部1229冊(桑木文庫和漢書の約3分の1に相当)を数える。桑木文庫については、不明図書以外は目録データが整備されており、近年では数理学研究院により電子化も進められ、展覧会等でも紹介されているが、その中には狩野からもたらされた貴重書も少なくない。

 桑木から狩野宛の書簡(大正7年12月25日、東京大学駒場図書館狩野文庫所蔵)によれば、桑木が日本の科学史文献を蒐集し始めたのは、『暦象新書』と『窮理通』を狩野から借りたことが契機だったことがわかり、桑木文庫の成り立ちにおける狩野の影響力の大きさを表すものと言えるだろう。

桑木彧雄(1878-1945)

 東京出身。東京帝国大学物理学科卒。同大学理科大学講師、助教授、明治専門学校教授を経て、九州帝国大学工科大学数学物理学教室教授となり、後に設立される理学部の礎を築いた。アインシュタインの相対性理論の日本への最初の紹介者として知られる。後、松本高等学校校長、日本科学史学会初代会長。書簡・日記等は早稲田大学図書館に収蔵される。

天経或問発揮―幕府天文方が伝えた天文書―

 

 


 松永良弼著『天経或問発揮 中央図書館所蔵 桑木文庫/和書/0018  ※電子画像はタイトルをクリック

 明の游芸が書いた『天経或問』は、江戸中期以降もっとも読まれた天文学の入門書であり、本書は、関流和算家松永良弼(1692?~1744)による『天経或問』の注釈書。江戸幕府天文方渋川景佑(1787~1856)の蔵書印「明時館図書印」が押印されている。『国書総目録』によれば、他に所蔵が確認されるのは、東北大学狩野文庫のみである。

参考文献:「天経或問発揮」(東北大学狩野文庫本翻刻、平山諦, 内藤淳編『松永良弼』松永良弼刊行会、1987)

暦象新書―狩野亨吉を驚かせた志筑忠雄の天文書―



 志筑忠雄訳『暦象新書』 3編6冊 中央図書館所蔵 桑木文庫/和書/0141 

 本書は、長崎阿蘭陀通詞の志筑忠雄(1760~1806)が訳述した蘭系天文書。その原著は、オックスフォード大学の天文学者J.ケイル(John Keil、1671~1721)がラテン語で著した『真正なる自然学および天文学への入門書』(Introductiones ad veram Physicum et veram Astronomiam、1725)を、オランダのライデン大学教授ルロフス (Johan Lulofs 1711~1768)が蘭訳したInleidinge tot waare Natuur-en Sterrekunde(1741)。下編の末尾に付された「混沌分判図説」が、カント・ラプラスの太陽系成因に関する星雲説と類似した内容を持っていることを初めて指摘したのは狩野亨吉であった(「志筑忠雄の星気説」)。
 なお、桑木は狩野より借りた『暦象新書』により志筑忠雄の稀世の偉人たることを知ったと書簡にあるが、あるいはまだ狩野の手元にあった本書を借りたのかもしれない。

参考文献:平岡隆二「和算資料の電子化(7):江戸の天文暦学」(『木這子』29-3、2004)

塵劫記―数学書のベストセラー―

 吉田光由著『塵劫記  中央図書館所蔵 桑木文庫/和書/0325 ※電子画像はタイトルをクリック

 和算家吉田光由(1598~1673)が寛永4(1627)年に著した、中国明の程大位『算法統宗』に日本に残存する知識を加え、実用を旨とし、社会生活に必要な数学の問題を網羅した数学の入門書。改訂版や異版が多数出版され、江戸時代を通じてベストセラーとなった。桑木文庫にも多種多様な『塵劫記』 が所蔵されているが、狩野からもたらされたものが少なくない。
 写真の個所は九九による掛算である。『塵却記』は士農工商の全ての階層に滲透し、日本人の数学力を飛躍的に高めた。

参考文献:梶原壌二解説「塵劫記」(「桑木文庫に見る江戸時代における我国近代化への準備―中国数学の摂取―」)

研幾算法―「算聖」の高弟―

  建部賢弘著『研幾算法 天和3年(1683)刊 中央図書館所蔵 桑木文庫/和書/0416 ※電子画像はタイトルをクリック

 建部賢弘(1664~1739)は関孝和(1642~1708)の高弟で、 師の『発微算法』(1674)が、佐治一平の『算法入門』(1681)に批判されたことに発奮して本書を弱冠20歳で著し、佐治を批判した。関の評価が定まらない時期に、建部が師の業績の解説書を著したことにより、関は後に「算聖」と崇められ、関流算法はめざましく発展していくことになる。

参考文献:梶原壌二解説「研幾算法」(「桑木文庫に見る江戸時代における我国近代化への準備―中国数学の摂取―」)、竹之内脩「研幾算法 (数学史の研究)」(『数理解析研究所講究録』1392、2004)

国図枢要―国絵図のつくり方―

  『国図枢要』 寛政9年(1797)澤木奥太郎写 中央図書館所蔵 桑木文庫/和書/0391

 本書は、江戸時代の測量術の一大流派を成した清水流の祖とされる清水貞徳(1645~1717)が、国絵図作製の要領を体系的に記したものである。
 本書が成立した元禄期は、幕府の命により諸藩で国絵図が作製された時期であり、本書の測量技術と当時の国絵図や記録を比較することによって、諸藩の測量技術を窺うことができる。例えば、自国が作製した国絵図の不備が一因で、佐賀藩と背振山を巡る国境争論に敗北したばかりの福岡藩は、その反省を踏まえ、元禄国絵図作製における測量技術の水準がきわめて高かったことがわかっている。
 なお、清水流の測量術書は、九州大学には他に樋口文庫にも所蔵されている。

 本書は壬生藩医渡部邁(わたなべすぐる、1842~1914)の舟形印(号の棹舟に由来)が押印されている。明治42年(1911)に売り出された渡部文庫を、狩野が悉く購入したため、東北大学や九州大学の狩野文庫に、渡部の蔵書印が多数確認できる。

参考文献:川村博忠『近世絵図と測量術』(古今書院、1992)、小林茂 [ほか] 編『福岡平野の古環境と遺跡立地 : 環境としての遺跡との共存のために』(九州大学出版会、1998)、鳴海邦匡近世日本の地図と測量 : 村と「廻り検地」』(九州大学出版会、2007)、『誠心院聡姫と壬生七傑』(「郷土の偉人顕彰作業」実行委員会、2016)

参考:「東北大学デジタルコレクション和算資料データベース」(林文庫本の『国図枢要』全文画像収録)