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狩野亨吉と九州大学: 武鑑類

近代日本を代表する思想家・教育家・蒐書家である狩野亨吉が、九州大学にもたらした貴重な図書の紹介

狩野文庫武鑑類

 武鑑とは、江戸時代に出版された大名家および幕府役人の名鑑である。現代における紳士録にあたり、実用書として200年以上もの間出版され続けた。
 中央図書館に所蔵される狩野文庫の人名録は、総計83部134冊を数え、江戸時代の武鑑類が中核となっている。武鑑類は書誌・書目類同様、書画骨董の鑑定・斡旋を主な生業にしていた狩野亨吉にとって必須のツールであり、いわば商売道具というべきものである。狩野の最も身近にあり、愛用された書物群といえるだろう。

文政武鑑―武鑑が伝える黒田家の情報―

黒田家の本国と系図
紋所、江戸上屋敷、大名家当主、参勤交代、大名行列、時献上等についての情報
大名火消、船、菩提寺、領知等についての情報


『文政武鑑』 4巻4冊 中央図書館所蔵 650/フ/3

 千鐘房須原屋茂兵衛が文政4年(1821)に出版した武鑑。写真は福岡藩第10代藩主黒田斉清(在位:1795~1834)の時代の黒田家の部分。豊富な情報が限られた紙面の中に凝縮されていることが見て取れるだろう。季節ごとの幕府への献上品として、博多織、博多索麺、博多煉酒等の名産品が見える。

参考:国立国会図書館所蔵『文政武鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)

承応武鑑―揺籃期の武鑑―

 
黒田藩、浅野藩、毛利藩の情報 巻頭


『承応武鑑』 1冊 中央図書館所蔵 650/シ/8

 出版当時の外題、内題がなく、書名は題簽に墨書された「承應武鑑 全」によるが、「武鑑」の書名が現れるのは後のことなので、後世の人による仮題であろう。板元も不明で、裏表紙見返しに「承應二癸巳年」(1653)と墨書がある。九大狩野文庫では最も古い武鑑となる。
 記載事項は、上段に紋所の形状、中段に大名家当主の名前と位階、領地高、紋所の名称、下段に領地名、江戸屋敷の場所、家老の名前と知行高が記されている。写真は福岡藩第2代藩主黒田忠之(在位:1623~1654)の時代の黒田家の部分で、『文政武鑑』と比較しても情報量が圧倒的に少ないことがわかるだろう。大名により記載事項の欠けているものがあったり、丁によって区切り線がなかったり、統一感に欠くところが武鑑出版の揺籃期の様相を示している。

 「武田信興文庫」の蔵書印が捺されているが、狩野文庫には他にも「武田氏圖書印」の蔵書印が捺された武鑑が数点確認され、伝来の手がかりを与えてくれている。狩野家が出羽の出身であることから推すと、出羽由利郡矢島の酒造業者で、香川景樹に私淑した国学者武田信興(1811~1887)の蔵書印か。

増補大成武鑑一件留―武鑑出版をめぐる板元間の攻防―


増補大成武鑑一件留  中央図書館所蔵 650/ソ/3  ※電子画像はタイトルをクリック

 扉題は「文政年中出雲寺源七郎方雕刻仕候増補大成武鑑一件留」。江戸中期以降、武鑑をほぼ独占的に出版していた江戸最大の板元(編集・製作・出版・販売を担当)である須原屋茂兵衛と、幕府の御用達町人(書物師)である出雲寺の両板元が、武鑑の出版を巡って百年にわたり攻防を繰り広げた。本書は文政期(1818~1830)に7代目須原屋茂兵衛茂広と、出雲寺源七郎・富五郎の間で起こった争論と内済(訴訟が和解によって解決すること)の記録である(詳しくは参考文献の藤實久美子『江戸の武家名鑑 : 武鑑と出版競争』を参照)。
 『国書総目録』によれば、他に所蔵が確認されるのは、東北大学狩野文庫のみである。なお、本書は本来書誌・書目類に属するが、武鑑出版に関わる重要な資料のため、こちらに掲載した。