はじめに:
科学とはいったい何か考えてみたことありますか?
科学の最初のイメージは、鉄腕アトムやドラえもんだったという方がいるかもしれません。少なくとも私はそうでした。私たちの生活を便利にし、ちから強くしてくれるものだと素朴な期待を持っていました。
実際、私たちの時代においては、科学技術に対する期待はとどまるところを知りません。テクノロジーの発達によって、暮らしが便利になることが期待され、推奨されています。スマートフォンやパソコンがニューリリースされると聞くたびに、どのような新機能が追加されたのかをワクワクしながら待ち、公式発表と同時に、その機能におうじて株価が変動するような時代です。こうした新しい機能や技術は、多くの科学者たちの日々の研究の積み重ねによって支えられています。多くのひとは科学技術の発展を好意的に考えているようです。
しかし他方で、科学者に対する不信も少なからずあります。私たちの生活の隅々にまで科学の影響力が及んでいるため、「科学者」の判断は一般の市民以上に信頼されます。その分、一度不祥事が発覚すると猜疑心と不信感が急速に広がります。最近では、STAP細胞をめぐる理化学研究所の対応や原発の規制委員会、少し遡れば、公害をめぐる企業と科学者の対応など、いくつも事例を上げることができます。
科学者が人間である以上、社会問題や政治的駆け引き、名声をめぐる人間関係に巻き込まれることは必定かもしれませんが、それでも社会は他の学問以上に自然科学の功績に依拠してまわっているように見えます。その意味で、科学をめぐる問題、科学とは何かという問題は、単に科学者や自然科学を専攻する学生だけのものではなく、専門としていない人にとっても重要な関心事であるのは間違いないでしょう。
科学を信頼するということは、どのような根拠に基づいているのでしょうか。そして科学への期待は、いったい何に由来するのでしょうか。今回紹介する二つのTED動画は、科学とはどのような営為なのか、科学者とはどのようなタイプの人間なのかを魅力的に語ってくれています。
TEDに寄せて:
ナオミ・オレスケスによれば、科学が信頼できる大きな理由は、個々の科学者の研究を吟味する科学界・科学者集団が適切に機能しているからです。どんなに新しい科学的手法が開発されても、証拠に基づいて批判的に研究内容を吟味する科学者コミュニティ(学会や学術雑誌など)が存在します。この点で、科学は「保守的」だと言われます。パラダイムシフトの概念が提示されていても、実際にパラダイムが移行したといえるだけの発見は滅多にありません。それは、この科学者コミュニティの厳格なチェックのためだといえます。この科学者コミュニティの存在とチェックの厳格さこそ、科学の信頼性の根拠だというのです。
科学という営みを「無知の追求」として特徴づけるのが、スチュワート・ファイアースタインです。ファイアースタインによれば、科学とは知識を集積し発見する行為ではなく、既存の知識から新たなる無知を探求していく行為です。バーナード・ショーやイマニュエル・カントを引き合いに彼が主張するのは、「科学は答え以上に疑問を生み出す」ということです。科学は既存の知識ゆえに信頼されますが、実際に科学者を突き動かし続けるのは、知識欲ではなく、無知欲なのだという主張は、科学の本性を理解する上で示唆的でしょう。
うまく動画がみれなかったり、字幕がとまって見づらい場合は、ここから直接TEDをみてください。
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