はじめに:
ある言葉に触れて、心が洗われるような気持ちになったことありますか?
私が思い出すのは、三好達治の詩「鴎」(かもめ)の一節です。「ついに自由は彼らのものだ」
作曲家・木下牧子の合唱曲として初めて聞いた言葉でした。
当時、高校生だった私は「いったい、どんな自由を鴎が得るというのだろうか」と疑問でした。むしろ、鴎はもともと自由なのではないか。ついに自由が鴎のものとなるのはどのような時なのだろうか。そのように考えながら、何度も口ずさむにつれて、自分のもっていた「自由」のイメージが少しずつ変わっていきました。
「心が洗われる」とまでは言えないかもしれませんが、この詩の一節から、見知った言葉が氷解するような感覚、そのような詩の魅力を自分なりに感得したように思えます。
友人や崇拝する歌手の言葉や文学、はたまた自分の独り言に触れて、世界が開かれ、心が洗われることもあるでしょう。
一つの詩を何度もなんども反芻すること、詩や短歌を詠むこと、批評すること。詩的言語の世界の味わい方はたくさんあります。
古臭くなった言葉にメロディーを与えることで、そのような言葉の触発力が蘇ることもあります。木下牧子やナタリー・マーチャントのように。
世界や人との関係性を変容させる詩の力を目の当たりにしたい方は、サラ・ケイの動画をぜひご視聴ください。
うまく動画がみれなかったり、字幕がとまって見づらい場合は、ここから直接TEDをみてください。
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