・はじめに
・「映画」とは
・写真技術
-写真の歴史
-カメラ・オブスクラを作ってみよう
・動画技術
-動画の歴史
-フェナキスティスコープを作ってみよう
・投影技術
-投影の歴史
-幻灯機を作ってみよう
・写真×動画×投影
・映画の発明
・おわりに
現在の形としての映画を発明したのは、フランスのリュミエール兄弟(兄オーギュスト、弟ルイ)です。
彼らは商工業学校を卒業後に父の営む写真館の手伝いをしていましたが、やがて弟ルイが1880年に改良した写真乾板をきっかけに、フランス有数の写真乾板製造会社の経営者にまで上り詰めていました。
リュミエール兄弟が映画を発明するきっかけは、エジソンのキネトスコープを見た父の命令でした。1894年の事です。
開発の際に問題となったのは、連続写真を記録する帯と、その写真の像を滑らかに動かすための間欠機構でした。
前者は1889年にアメリカのジョージ・イーストマンが販売したセルロイド・フィルムによって解決され、後者はルイがミシンから着想した間欠装置によって1894年の秋に解決されました。
こうして動く映像を作り出す機会が1895年2月に完成し、その改良版にシネマトグラフという名がつけられました。これが”シネマ”の語源となっています。
図1:上映中のシネマトグラフ
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:CinematographeProjection.png)
シネマトグラフはエジソンの装置とは異なり、撮影機、映写機、現像機としての機能を兼ね備えています。
さらに手動のため重量も16ポンド(約7.25キログラム)と軽く、持ち運びが容易なためにブラック・マリアのようなスタジオが必須ではありませんでした。
リュミエール兄弟の作品が野外で撮影されたものが多いのは、そのような理由からです。
また、シネマトグラフはキネトスコープと違い、幻灯機を光源とするスクリーン方式によって複数人が同時に楽しむことができるものであり、像もキネトスコープのものより鮮明でした。
リュミエール兄弟によって撮影された映像は、1895年12月28日に、パリのグラン・カフェの地下にあるサロン・インディアンにおいて、入場料1フランで上映され、35人の観客が訪れました。
シネマトグラフはこうして一斉を風靡しましたが、リュミエール兄弟自身はシネマトグラフを単なる科学玩具としか見ていなかったため、映画ビジネス業界で二人が天下を取ることはできませんでした。
では、実際にリュミエール兄弟の撮った映像をいくつか見てみましょう。
1つ目はリュミエール兄弟の経営する工場を撮影した『工場の出口』(1895)です。
(https://www.youtube.com/watch?v=DEQeIRLxaM4)
2つ目は『赤ん坊の食事』(1895)です。
写っているのは兄のオーギュストの一家です。
(https://www.youtube.com/watch?v=QP0oz5gEQ34)
最後に『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)です。
スクリーンの奥から手前へ向かってくる列車に恐怖した観客が、劇場の外へ逃げ出したという伝説が残っている映画です。
(https://www.youtube.com/watch?v=b9MoAQJFn_8)