ここでは生物の中でも唯一教育という営みを観察することのできるヒト(=人)とは何かという疑問について考えることで、教育とは何かという問題に迫る思想を紹介したいと思います。
ヒトとは何かという疑問に答えるには、ヒトとヒト以外の生物の違いは何かを問うことが考えられます。その答えは、言葉を発するだとか、二足歩行をするだとかいろいろありましょうが、教育もその一つとして挙げられます。
ヒトは、教育する唯一の動物なのです。このことは他の生物と決定的な違いをもたらします。というのも、ヒト以外の生物は、次世代に情報を伝える際に、遺伝子に頼るしかないのに対して、ヒトはそれ以外の手段、つまり文化を形成し教育するという選択できるからです。このように考えることで、教育とはヒトがヒトであることを証明するものと考えられてきました。
ヒトの特徴を考える議論として特に有名なのは、脳の大きさに着目する研究です。スイスの生物学者であるアドルフ・ポルトマン(1897-1982)は、ヒトの脳は近縁の霊長類と比べても約3倍の重さがあることを発見しました。また、ウマやキリンなど他の哺乳類が生後間もなく自立し駆けることができるようになるのに対して、ヒトは生後しばらくの間、自力で生きていくことができないこと、親に保護されながら、時間をかけて発育していくことを指摘し、そのような無能な状態で生まれてくることを「生理的早産」と呼びました。
それでは、ヒトはなぜ生存に関わる基本的な能力を母親の胎内で獲得してから生まれるのではなく、生理的早産するのでしょうか。この答えは2つ考えられています。
一つは、ヒトは二足歩行をするようになり、骨盤が小さくなったことで、胎児の体が産道を通れるうちに出産せざるを得なくなってしまったというものです。
またもう一つは、種の保存を目的に野生のなかで獲物を求めて生きるというシンプルな暮らしをするヒト以外の動物と異なり、ヒトはその能力の産物でもある文明社会に適応して生きていかなくてはなりません。そのため、胎児は出産後に新たな知識・行動を柔軟に習得できるように、他の運動機能などは未発達な状態でも、まずは脳を優先的に発達させて生まれてくるといわれています。
このことから、ヒトは教育と学習によって後天的に他の動物にはない人としての能力を獲得していくことがわかります。つまり、ヒトは教育によって「人」になるということができるのです。
また、このように人は他の動物とは一線を画す能力を獲得する方向で進化してきましたが、そうした能力が人間から進化することを奪ったということも指摘されています。人は、進化せずに進歩することを選択した動物ともいえるのです。
もし教育を受けることができなければ、ヒトはどうなってしまうのだろうか、という疑問を考える上で示唆を与えてくれるエピソードがあります。それは「野生児」と呼ばれたヒトの記録です。
その記録として有名なのは、1800年頃に発見されたアヴェロンの野生児に関するもの(イタール 1975)と1900年代に狼の群れの中で育てられたカマラとアマラに関するもの(シング 1977)ですが、ここでは信憑性の観点から前者を詳しく紹介したいと思います。
南フランスで推定年齢12歳くらいの野生児が発見され、捕獲されたところから物語は始まります。野生児は、5,6歳のころから一人で生きてきたと推測され、発見当時は完全に人間らしさが損なわれている状態でした。そこで、軍医であったジャン・イタール ( Jean Itard ) によって野生児を正常な人間に戻すための教育が行われました。ヴィクトールと名付けられた野生児は、5年間にわたる教育を施された結果、感覚機能の回復などいくつかの改善がみられましたが、そうした機能を完全に回復することはできませんでした。彼は、社会復帰をすることなく、亡くなる40歳(推定年齢;1828年)までひっそりと世話を受けながら過ごしたといわれています。
このように、ヒトは幼い時期に適切な刺激(それは教育だけでなく親からの愛情なども含まれます)を受けることが出来なければ、正常な発達過程を経ることができないとされているのです。
野生児のエピソードを踏まえずとも、私たちは経験的に子どもにとって教育が重要だということを理解しています。しかし、子どもが可能性に満ちた存在だとする考え方が市民権を得たのは実は比較的最近のことなのです。
このような考え方に影響力を及ぼしたと考えられているのが、ジャン=ジャック・ルソーという哲学者が著した『エミール』(1762年;正式には『エミール、または教育について』)という近代教育学の古典です。エミールとは、ある空想上の少年の名前です。本書では、ルソーが家庭教師になったつもりでエミールにどう教育を施していくべきかが物語風に展開されます。「人は子どもというものを知らない。子どもについてまちがった観念を持っているので、議論を進めれば進めるほど迷路にはいりこむ。(中略)かれらは子どものうちに大人をもとめ、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない」(『エミール』上、岩波文庫、18頁)。このようなテキストからは、当時一般的であった子どもを大人のミニチュアとして捉える子ども観に対するルソーの批判的な精神が浮かび上がっています。本書は、後に登場する思想家にも大きな影響を与え、「子どもの発見の書」と呼ばれています。