教育とは何かを問うには、それに類似する意味を持った言葉と比べてみる方法も考えられます。以下では、成長、発達、教化、形成(ついでにコラムでは)、勉強と学習という言葉を取り上げながら、教育とは何か考えていきたいと思います。
成長や発達という言葉を普段意識して使い分ける人は、少ないかもしれませんが、両者は学問的には明確に異なるものです。まず成長は、身長が伸びる等、個体の量的な拡大を意味する言葉です。それに対して発達は、成長の内側で生じる質的な転換を意味します。
発達(=Development)という言葉の歴史は、教育という営みを人間が自覚的に捉え直し始めた歴史と重なります。ヨーロッパ社会で18世紀頃から使われ始めた「Develop」は、包み(velop)をほどく(de-)ように、内部に包み込まれた可能性が引き出され、解き放たれること、しまいこまれていた本来の形が表れてくることを意味しました。
このように考えると、私たちは、大学生活を過ごす4年間で身長が30cm伸びるといったような目覚ましい「成長」を遂げることはほぼ「ありえない」としても、大学での講義や実習に加え、部活動やアルバイトなどの様々な課外活動を通じて、人として一回りも二回りも「発達」することは「ありうる」ということになります。成長の過程は遺伝子に組み込まれており、コントロールされているのに対して、発達は環境や文化を個体の内部に取り込むことで起こるものと捉えることもできるでしょう。
以上の整理をもとに教育について説明を試みると、教育とは文化を教材化し、それを子どもと意図的に出合わせることによって、子どもに発達をもたらす行為といえるでしょう。
教育には、教える―学ぶという行為一般を示して使う広い意味と上述の近代的な養育概念を示すものとして使う狭い意味があります。前者の広い意味でいえば、教育は人類の歴史とともに存在してきたことになりますし、後者の狭い意味でいえば、教育は近代社会が産みだしたものになります。
歴史を紐解けば、教育(education)という用語が現在の私たちが使うような上記二つの意味合いで使われ始めたのは近代以降のことでした。狭い用法が先にあり、広い用法は後から人間社会の人づくりの営み全体を捉え返すために当初の言葉の意味を広げて使われるようになったということになります。
教育に類するものの中には、教化と形成という言葉も存在します。教えるという行為を出発点とする点において教育と教化は共通しますが、その目的において教育と教化は別の概念として区別されます。すなわち、一人ひとりの人間に自立するための力を手に入れさせようとするのが教育であるのに対して、社会集団を維持・強化することを目指し、既存の価値や行動様式の内面化を図ろうとするのが教化ということになります。
また規律のある集団行動などは、それ自体が人間の人格等に影響を与えます。このような形成力は行為や行動そのものに内在しており、行為や行動から切り離されては存在することができません。このような作用のことを教育学では形成(forming)と呼び、教育と区別して取り扱います。
日本ではおよそ1960年代以前の学校が一般的になる前の社会で、地域社会が作り出した自前の人づくりの習俗文化が厚く堆積していました。そこで生きて働いていたのは、習俗としての人間形成の仕組みです。もともとは一食分の意味をもつ「一人前」という言葉が、成人期の人間の到達すべき目標を意味するものに転じたのも、この習俗としての人間形成が機能する社会でのことでした。このような共同体社会では「一人前」をめざす人間形成の仕組みがうまく機能していたので、大人は子どもが軌道から外れたときに元に戻してやればいいと考えていました。
この習俗としての人間形成文化の特徴は、本来的には、非文字文化として成立していたことが挙げられます。例えば、三陸地方では昔から「津波起きたら命てんでんこだ」(自分の命は自分で守らなければならないのだから、津波が来たら、とにかく各自てんでんばらばらに一人でも高台に逃げろの意)という言葉が口承で言い伝えられてきました。
このように「一人前」の人間形成システムでは、人生を子どもの時期と大人の時期に大別して捉えました。その境目で行われる通過儀礼(イニシエーション)が成人式です。成人式といえば、私たちは振袖や同窓会をイメージすることが多いですが、社会が異なれば、高いところから飛び降りる勇気を試す機会であったりもします。いわゆるバンジージャンプは、もともとは娯楽としてではなく、儀式を構成する一つの要素だったのです。共同体社会では、ライフ・ステージにふさわしい形成のシステムが作られていました。
生まれてから7歳までは、お宮参り、お食い初め、七五三など子どもの成長ぶりを確認し、励ますためのたくさんの産育行事が行われます。このように多くの行事が行われるようになったのは、乳幼児の死亡率が非常に高かったことに由来します。そのため、昔から数え歳で7歳になるまでは、子どもは、神(祖霊神)の世界に属するものとして考えられてきました。7歳を迎えると、いよいよ神の世界を離れ、今度は神をまつる立場へと移行します。それは「一人前」になるための本格的なしつけが開始することも意味し、子ども組に参加したり、村の年中行事や祭りに参加したりするなどして、社会性や共同体の子ども文化を身に着けていくことになるのです。
近代以前の日本社会では、男子は15歳の正月に成人式を迎え、女子は初潮とともに成人の祝いを行いました。成人した者は、それぞれ若者・娘と呼ばれ、それぞれ若者組、娘組に参加し、集団的に活動します。近年では各地で地域の異年齢仲間集団を復活させ地域社会の伝統的な子ども集団の担っていた人間形成上の役割と意義の見直しが進む地域もあります。