みなさんは、いわゆる「お勉強」は好きでしたか?私は、大学への入試勉強の際に、参考書を開くと蕁麻疹が発生する時期があったくらいに大嫌いでした。ただ、言葉の意味を紐解けば、そもそも「勉強」とはそういうものだということが分かります。辞書を紐解けば勉強とは「そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる」(『新明解国語辞典』三省堂、2012年)ことだとされるからです。「お勉強」が好きだった人は、「そうすることに抵抗を感じ」てはいなかったことになるので、その行為は趣味に近いものだったのかもしれません。
この話は、「学習」という言葉にもつながっています。教育学では、できなかったことができるようになること、つまり新たな能力の獲得に際して、人は歓びを見出す生物といわれています。つまり、学びとは本来楽しいものなのです。ロールプレイングゲームに興じるとき、攻略本を読みながら取り組んでいると、なんだか興ざめしてしまう、そんな経験はありませんか。効率的に物語を前に進める上で、攻略本を読むことは有効な手段ですが、思考錯誤の末に新たな展開を見出す過程を通じてゲームを楽しむことを重んじるとき、その過程はひとつの学習といえるような気がします。
ゲーム一つをとっても、そこに有用性や効率性といった主義を持ち込むとき、そこに学びの歓びを奪い「お勉強」に堕す落とし穴が潜んでいると思えば、昨今の教育政策のありように問題を見出すことができる気がします。