ジャイアントパンダは生息地域の環境破壊や狩猟などにより、レッドリスト(絶滅のおそれのある世界の野生生物のリスト)内で絶滅危惧種に登録されていましたが、2016年には危急種(絶滅危惧種より一段階絶滅リスクが低い分類)に引き下げられました。
現在、パンダの保護活動として、主に生育環境の保全と飼育施設での繁殖研究が行われています。ここでは、これらの活動について紹介します。
(中国保護大熊猫研究中心雅安碧峰峡基地のパンダたち・筆者撮影)
野生のパンダは中国西部の山に生息しています。開発によって生育地が狭まっていましたが、2010年代には1980年代の2倍以上に拡大し、個体数回復の一因となっています。
成果は上がっているものの、課題はまだあります。ジャイアントパンダの生息地は細かく分断されており、野生下での繁殖に支障をきたしています。今後は、離れた生息地同士をつなぐ取り組みが進められていきます。
(詳しく知りたい場合→WWFジャパン パンダの生態と、迫る危機について)
パンダが飼育施設で飼育されるようになった1970年頃は安定した飼育方法を確立することが模索されていました。日本でも、パンダの飼育方法に困っていたことを示すようなエピソードがあります。日本に初めてきたパンダのカンカンが熱を出した際に、町の漢方薬屋に風邪薬を買いに行ったそうです。
その後、1983年に中国四川省の保護区内にパンダ繁殖研究センターが建設されて以来、飼育・繁殖技術が大幅に進歩しました。よりよい方法が常に模索されていますが、やはり自然に近い飼育環境やエサがよいようです。
また、パンダに負担の少ない健康管理のために、動物園でハズバンダリートレーニングというものが行われています。ハズバンダリートレーニングは、動物側に協力してもらいながら、医療行為や世話を行うためのトレーニングです。従来は、全身麻酔をかけて検査(血液検査、レントゲン検査)を行っていたため、頻繁に検査を実施することが困難でしたが、トレーニングの導入により、定期的な検査が行えるようになりました。(参考:ハズバンダリートレーニングを取り入れた健康管理)
パンダは単独で生活していること、繁殖のチャンスが年に数日しかないこと、赤ちゃんが200 g未満の未熟な状態で生まれることなどから、飼育下での繁殖がかなり難しいとされています。よって、飼育施設では、人工授精や飼育方法の技術確立が行われています。
1990年以降、人工授精の繁殖技術の向上だけでなく、人工保育技術の進歩により、飼育個体数が向上しました。
飼育下パンダの約半数は双子を出産しますが、通常1頭しか育てません。そこで、母親が育てないもう1頭を、かつては人間が100%育てていましたが、生存率は著しく低かったようです。
そこで、中国成都の成都大熊猫繁殖研究基地で編み出された作戦が、双子入れ替え作戦です。母親が育てる子と人工保育の子をたびたび入れ替えます。多くの動物は、母親から子どもを取りあげてしまうと自分以外の匂いがするためか、再び戻すことは難しいですが、パンダは寛容なのか、鈍感なのか、人間が取りあげた子も気にせずに育てるようです。この双子入れ替え作戦が初めて成功した1990年以降、産後の子どもの生存率が改善しました。
(写真:中国保護大熊猫研究中心雅安碧峰峡基地の双子パンダ・筆者撮影)
パンダの繁殖・飼育の、いまの最終目標は「野生復帰」とされています。地域の個体数の回復や遺伝的多様性の保持に重要だからです。一般に、絶滅のおそれのある動物について、飼育施設はまず繁殖の手助けをして、数を増やし、野生に返すことを考えます。
野生復帰は1980年代から中国で試みられていましたが、放されたパンダが保護施設に戻ってきてしまうことや、野生のパンダとの縄張り争いで負けてしまうことなどが原因でなかなか実現が難しかったようです。
2010年頃から、中国で考案されたのが着ぐるみです。野生復帰のトレーニング中のパンダと接するときに、ヒトの気配を消すために、パンダの着ぐるみを着るそうです。着ぐるみの効果はまだ明らかになってはいませんが、半野生下で出産や、野生復帰後で数年間生活している報告もあり、野生復帰の成果が上がっています。
WWF(World Wild Fund for Nature :世界自然保護基金)のロゴにはパンダが使われています。
絶滅の危機に瀕した動物を救うために設立されたWWF。言語の壁を越え、世界の人に活動を伝えるシンボルマークとしてジャイアントパンダが選ばれました。
1961年にパンダロゴが生まれてから、何度かイラストが変わりながらも、パンダのシンボルは継続して使われています。
(出典:WWFジャパン パンダロゴが生まれたわけ)