終わりに
ここでは、文学研究の方法論を扱う図書の中で、具体的な分析例が多く比較的読みやすいものを紹介します。また、下記の図書に記載された注や参考文献リストを参照したり、「九大コレクション」でキーワード検索をしたり、九大中央図書館の書架を眺め歩いたりすれば、下記の図書とは異なる視点で書かれた入門書や、より高度な内容を扱った研究書も数多く見つかります。
まず、そもそも文学作品の分析とは何かについて知りたい人は、小野俊太郎『英米小説でレポート・卒論ライティング術』(松柏社、2013年) やトーマス・C・フォスター『大学教授のように小説を読む方法 増補新版』(矢倉尚子訳、白水社、2019年)を手にとってみましょう。前者は文学作品を分析するレポートに初めて取り組む学部1-2年生にも分かるように平易に書かれており、本ガイドと併用すれば作品分析についての基礎的な理解がより深まるでしょう。後者は、文学研究に携わる研究者が作品の中のどのような要素に着目しているのかを、高度な専門用語を使わずに示す堅実な入門書です。ある程度分析の経験を積んだ人も、これらの基礎的な文献を通じて、分析とは何かという根本的な問いに立ち戻ったり、抜け落ちていた基礎を再確認したり出来ます。
文学研究者の作品の読み方や着眼点について大まかに知りたい人には、廣野由美子『批評理論入門――『フランケンシュタイン』解剖講義』(中央公論新社、2005年)を挙げます。類書と異なる特徴は、分析する作品をメアリ・シェリー『フランケンシュタイン』(1818年)に絞り、読者の予備知識を最小限に留めている点です。原作小説を読んだことがなくても、映画などの派生作品を鑑賞したり、ストーリーや設定を知っていたりする人は少なくありません。作品という縦軸が予め決まっているため、本書では分析方法という横軸が自在に動かされ、導き出される作品の解釈がアプローチによってどう変わってくるのかが明快に示されます。
文学理論について更に詳しく知りたければ、ピーター・バリー『文学理論講義――新しいスタンダード』(高橋和久監訳、ミネルヴァ書房、2014年)に進んでみましょう。2009年に出版された原書Beginning Theory (3rd ed., Manchester University Press) は英語圏の大学の文学理論の講義で広く使われており、理論の知見を実際に試せる例題も用意されています。各理論の歴史(興亡)も詳しく記述し、それらの長所にも短所にも目を配っている一冊です。更に、難解と言われる本や論文を読み込むために著者が提案する精読法「SQ3R」(4‐6頁)も必見です。
物語のプロットや語り手について関心がある人には、橋本陽介『物語論――基礎と応用』(講談社、2017年)を推薦します。物語論は物語の仕組みを描き出すための理論で、人は何故物語を面白く感じ、心を揺さぶられるのかについて明らかにするのが究極の目標です。分析対象には村上春樹『IQ84』をはじめとする小説だけでなく、『スラムダンク』や『魔法少女まどか☆マギカ』、『シン・ゴジラ』といったストーリー性のある漫画やアニメ、映画作品もあります。文学理論の知見の応用可能性を存分に示してくれます。
小説で用いられているテクニックについてより網羅的に知りたい人には、デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(柴田元幸・斎藤兆史訳、白水社、1997年)を挙げます。上述の『批評理論入門』は本書を参考にしてコンパクトに書かれたものですが、こちらは計50項目の技法を取り上げ、英語圏を中心とした古今の小説から文例や場面例を引用しつつ解説しています。例えば「書き出し」や「サスペンス」、「信用できない語り手」、「結末」といった項目があります。個々の作品を読んでいないとやや分かりづらい点もありますが、小説技法について調べるためのハンドブックとしても使えます。原書The Art of Fictionも参照すれば、英語文献として論文に引用出来ます。
最後に、解釈について考える上で僕が参考にしている語用論の入門書を紹介します。小泉保編『入門語用論研究――理論と応用』(研究社、2001年)は、言語行為(speech act)や談話分析、ポライトネス(ことばで表される対人的配慮)などの主要な研究分野を抑えるとともに、応用例として小説やジョークの語用論的な分析方法も示しています。扱われる小説は、アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961年)の短編小説「殺し屋たち」("The Killers")です。ジェニー・トマス『語用論入門――話し手と聞き手の相互交渉が生み出す意味』(田中典子[ほか]訳、研究社、1998年)は、語用論の基本的な概念が詳しく解説され、例文には小説からの採例もあります。より新しい研究動向や文献の情報は、加藤重広・滝浦真人編『語用論研究法ガイドブック』(ひつじ書房、2016年)や加藤重広・澤田淳編『はじめての語用論――基礎から応用まで』(研究社、2020年)などの最新の入門書・概説書から得られます。文学語用論(literary pragmatics)という分野もあります。語用論の知見は、小説の中の会話状況を精緻に分析し、新たな解釈を導くための武器となる、と僕は考えています。
崎村耕二『最新 英語論文によく使う表現 基本編』(創元社、2017年)は、英語学・英文学研究室の卒論マニュアルで推薦されている文例集です。本書は「[先行]研究の不足を指摘する」や「関連のある次の論点へ移る」といった論文で用いる事項ごとに英語表現を整理しているため、説得力のある論文に必要な日本語レトリックの知識とそれに対応する英語表現をセットにして学んでいくことが出来ます。また、類義語、例えば"survey"と"inquiry"の間の細かなニュアンスの違いや、それぞれに対応する前置詞などの情報も充実しているため、適宜本書を確認することで英語のミスを減らしていけます。さらに、巻末にはコロンを含む英語の句読法の解説もあります。
英語力を鍛えたいなら、大場健司「大学生のための英語学習ブックリスト」が、参考書を網羅的にまとめていて有用です。
文学の読みなんて結局は先天的なセンスの問題だ、という人がいるかもしれません。
大丈夫、気付きを得るための感性は後からでも身に付きます。子どもの頃からあまり本を読んで鍛えてこなかったからといって引け目を感じる必要はありません。まとまった時間が取れる学生時代なら読むべき作品を次々と攻め落とせていけますし、研究方法を身に着ければ、研究者がやるような形でテクストを分析していけます。練習が、読み手としての君の血肉を形成していくのです。
卒論は君が九州大学の学士号を持つに値する能力があることを示す最大の証明書です。君がこれまで頑張ってきたことを卒論が雄弁に語ってくれます。自分の学問にどのような意味があるのかについて悩み苦しむ人も多いでしょうが、答えを得るヒントは卒論の中にこそあるのではないでしょうか。
難問に突き当たったり、自分が何に関心があるのかがいまいち見えなかったりする時は、中央図書館4階のきゅうとコモンズの中にあるCuterの学習相談デスクに行ってみましょう。酸いも甘いも含めて学びの経験が豊富な院生たるCuterと対話すれば、前に進むための手がかりが見えてくるはず。
中央図書館4階、きゅうとコモンズの中心で学を語る
"[T]he meaning of an episode was not inside like a kernel but outside, enveloping the tale which brought it out only as a glow brings out a haze, in the likeness of one of these misty halos that, sometimes, are made visible by the spectral illumination of moonshine" (Conrad 6).