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前述したように、恐怖管理理論は、人間の社会行動の多くが死の不安によって引き起こされていると考える理論です。
他の動物とは異なり、人間は、自らがいずれ死にゆく運命にあることを認識する認知能力を持っています。
その一方で、人間は、他の動物と同じように、生存欲求を持っています。
この矛盾は、「実存的不安(Existential anxiety)」と呼ばれる強い精神的不安定を引き起こします。
Greenbergらは、人間が、実存的不安を緩衝するために、文化的に構築された不安緩衝装置を用いていると主張します。
オリジナルの理論では、文化的不安緩衝装置として、「文化的世界観(Cultural worldview)」と「自尊心(Self-esteem)」の2つが挙げられています。
文化的世界観とは、その文化で共有された規範や価値観であり、私たちの生きる世界に秩序を与えてくれるものです。
自尊心とは、自分が文化的世界観にうまくコミットできているという自信のようなものです(一般的に使われている自尊心の定義とは少し異なります)。
文化的世界観は、人間に象徴的・具体的の2種類の不死概念をもたらします。
具体的不死概念とは、文化的世界観の中で直接的に言及される不死概念を指します。
例えば、キリスト教をはじめ多くの宗教では、生前よい行いをした人々が天国で永遠の命を得るとされています。
これはまさに具体的不死概念です。
一方で、抽象的不死概念とは、自らが信奉した文化的世界観の中で、自分の一部が永続的に「生き続ける」という不死概念です。
例えば、Aという個人が死んでも、Aが属していたBという集団は存続し続けます。
もしAがBで共有された規範や価値観に強くコミットしているならば、同じような価値観を持つ集団Bが自分の死後も存続していくことは、自分の一部が永遠に生き続けるかのような感覚をAにもたらすでしょう。
このように、文化的世界観は、死の不安への対処のために非常に有用なものです。
人間は、ある特定の文化的世界観にコミットする(≒自尊心を得る)ことで、うまく実存的不安を緩衝しているのです。
本研究は、文化的不安緩衝装置の中でも、より集団と関わりの深い文化的世界観に焦点を当てます。そのため、以下の説明では、文化的不安緩衝装置の中でも文化的世界観のみを取り上げますが、同じことは基本的に自尊心にも当てはまります。
さて、この恐怖管理理論の仮定から導き出される仮説として、MS(Mortality Salience)仮説とCAB(Cultural Anxiety Buffer)仮説の2つがあります(下図参照)。
MS仮説とは、実存的不安が顕現化した時に、人が、文化的世界観の働きを強く求めるようになるというものです。
「強く求める」とは、具体的には、文化的世界観を正当化し、価値を確かめることを指しています。
文化的世界観を正当化する1つの手段として、「他の文化的世界観を信じる個人を攻撃する」というものがあります。
自らの信奉する文化的世界観と異なる世界観を信じている個人の存在は、しばしば自分の世界観への脅威となります。
自分たちの世界観が絶対的に正しいのであれば、他の世界観を信じる人などいないはずだからです。
したがって、このような他者に攻撃を加えることによって、自らの世界観の正当性を確認することができるのです。
これを踏まえると、外集団成員への攻撃行動というのは、恐怖管理理論の文脈では、文化的世界観の希求行動と考えることができます。
実際に、過去の研究では、死の不安を顕現化させられた人々が外集団の成員に対する評価を下げることが分かっています(Greenberg et al., 1990)。
一方で、CAB仮説とは、逆に、文化的世界観の働きが弱体化すると、実存的不安が顕現化するというものです。
上述したように、人は、(文化的世界観をはじめとする)文化的不安緩衝装置を用いて死の不安が顕現化するのを抑えつけています。
したがって、不安緩衝装置の働きが弱まれば、必然的に死の不安の抑えつけも弱まり、実存的不安が顕現化すると考えられます。
CAB仮説に関する実証研究はあまり多くありませんが、Schimel, Hayes, Williams, & Jahrig (2007)は、カナダ人の参加者において、カナダを侮辱する架空のホームページを読んだ人の方が、単語完成課題において死関連語を完成させやすくなったり、死関連語の処理が早くなることを示しました。
さて、この2つの仮説を組み合わせて考えると、以下のような予測が得られます。
文化的不安緩衝装置の働きが弱まると、実存的不安が顕現化し、それによって、文化的世界観の希求、つまり外集団への攻撃行動が生じるというものです。