明治文壇の天才と呼ばれる樋口一葉は短い生涯だったが、秀作は長く愛読されてきた。小説はもちろん、日記、随筆まで、文章のすぐれたことで定評がある。
それに、三宅花圃は一葉を世に出した女性作家だ。彼女の出世作『藪の鶯』は、近代日本の女性が書いた最初の小説として話題になった。一葉もその刺激を受けて、小説を書き始めたのだ。
三宅花圃 明治元年12月23日〜昭和18年7月18日(1868年〜1943年)。歌人、小説家。東京生。本名は田辺龍子、花圃は筆名。三宅雪嶺と結婚。和歌を桂園派の中島歌子に学び、樋口一葉と同門だった。坪内逍遥の『当世書生気質』を模した処女作『藪の鶯』で閨秀作家の先駆者として知られた。「女学雑誌」や「都の花」などに次々に小説を発表、明治25年3月には短編集『みだれ咲』を春陽堂より刊行、女性作家の最前線で活躍を続けた。大正9年9月に雪嶺と共に「女性日本人」を創刊し、同誌に評論や随筆の筆を執っている。一葉に「都の花」や「文学界」を紹介し、一葉を世に送り出した功績は多大である。主な作品は『八重桜』(明23)『露のよすが』(明28)、『萩桔梗』(明28)、『空行月』(明29)など。
樋口一葉 明治5年3月25日〜29年11月23日(1872年〜1896年)。小説家、歌人。東京生。一葉は筆名、本名はなつ(奈津、夏、夏子)。19年8月に中島歌子の萩の舎に入塾し、和歌を詠む。同門の姉弟子田辺龍子(三宅花圃)が『薮の鶯』を刊行したことに刺激され、半井桃水を訪ね、戯作的手法を学んで、処女作『闇桜』(明25)を書いた。『うもれ木』(明25)、『ゆく雲』(明28)、『にごりえ』(明28)、『十三夜』(明28)、『たけくらべ』(明28ー29)などの秀作は次々と発表され、その中に『たけくらべ』は評論家の激賞を受け、一葉は今紫式部、今清少納言の名をほしいままにした。明治29年初夏のころより身体に変調をきたし、肺結核で没した。