大正期の女性作家には、一番活躍した大物は田村俊子だ。彼女は婦人問題を女性の独立欲や両性のまさつという角度から、はじめて創作に表現できた女流の第一人者だ。
水野仙子は「青鞜」派の同人で、「女子文壇」に書いた女流のうち、最もすぐれた小説家だ。彼女の作風は写実主義の系譜に属し、客観性が強く、内面性を重んじる。
田村俊子 明治17年4月25日〜昭和20年4月16日(1884年〜1945年)。小説家。東京生。本名佐藤とし。幸田露伴に入門、最初佐藤露英の筆名で作品を幾つか発表。長編『あきらめ』(明44)はデビュー作となり、主として「中央公論」や「新潮」に作品を発表。『誓言』(明45)、『嘲弄』(大1)、『遊女』(大二。のち『女作者』と改題)、『木乃伊の口紅』(大2)など、女性の解放を官能的な筆致で描き、大正期にもっとも活躍した作家。晩年を中国にとどめ、華字婦人雑誌「女声」を発行。昭和36年、女流新人のため田村俊子賞が設けられた。
水野仙子 明治21年12月3日〜大正8年5月31日(1888年〜1919年)。小説家。福島県生。本名服部てい子。筆名水野仙子は、水仙の花を好むところから用いた。早くから「少女界」、「女子文壇」などに投稿。明治42年2月、「文章世界」の推薦により同誌に『徒労』を発表、田山花袋の激賞を受け、4月上京し花袋門下となり、『四十余日』(明43)、『娘』(明43)などを発表、ほぼ作家的地位を確立、女性らしい繊細な感覚を自然主義的な手法のなかに生かして独自な作風をなした。明治44年、青鞜社に加わり、『安心』(明44)、『女医の話』(明44)などを発表。大正2年『神楽阪の半襟』を「婦人評論」で掲載。その他、『嘘をつく日』(大7)、「輝ける朝』などの作品も代表作群をなした。