Skip to Main Content

地域で取り組むまちづくり: 石川県神子原地区

地方のまちやむらを活性化させるために奮起する人々の姿を追っていきます。

神子原地区ってどこにあるの?

 本ページで紹介する神子原(みこはら)地区は、石川県の羽咋市に位置しています。


大きな地図で見る

国交省-石川県羽咋市神子原地区とは?<http://www.mlit.go.jp/common/000148780.pdf

 

スーパー公務員

 

 石川県は能登半島の付け根に、羽咋市という自治体があります。

羽咋市は、地域のブランド米をローマ法王に献上したことで一躍有名となり、当時メディアでも多数取り上げられました。

そんな羽咋市のまちおこしの裏には、常にとあるひとりの公務員の姿があったのです。

 このページで紹介するその公務員、高野誠鮮さんは、ジャーナリストやテレビの構成作家などの職に就いた後、1984年、30歳の時に故郷の羽咋市にUターンし、市の職員となりました。

 彼に与えられた最初の仕事は市のまちづくり。

高野さんは「能登半島は宇宙の出島」というまちづくりの構想を携え、UFOを目玉にしたまちづくりを進めていきます。

羽咋市には、昔からUFOの目撃情報が多く、古い時代からその手の神隠しの伝説が多数残っている地域なのです。

高野さんのアイデアと行動力は驚くべきものであり、たとえば、レーガン、サッチャー、ゴルバチョフといった当時の各国の指導者たちに羽咋市を紹介する手紙を送り、返事が来ればそれをマスコミに渡して町のアピールに活用しました。

 またまちづくりの目玉である宇宙をテーマにした博物館「コスモアイル羽咋」をつくるにあたって、本物のロケットを展示するためにNASAと交渉を行ったりと、普通では考えられないような数々の取り組みを実現してきました

 こうしたアイデアと実行力で評価されていた高野さんですが、その分高野さんを快く思わない人も多かったようです。

高野さんは2005年に市の農林課へ移りますが、この異動はこうした事情も一因だったと言われています。

 

ローマ法王へ米を献上

 

 高野さんは農林課へ移りましたが、そこで市長から高野さんらに与えられた任務は、神小原地区の過疎高齢化集落の活性化と1年以内の農産物のブランド化でした。

 高野さんが初めに試みたことは、農協を通さない米の流通ルートの確立。

しかし、この案に生産者は猛反対、高野さんの米のブランド化計画に同意してくれた農家はたった3軒しかありませんでした。

 そこで高野さんはすぐに方向を変えます。

まず、今まで石川米と呼ばれていたお米を「神子原米」とネーミングし直し、地域の独自色を強調させます。

しかし、これだけでは十分ではありません。地域外へのアピールが必要です。

そしてそれは高野さんの十八番でもあります。

高野さんは「神子米」→「神の子」→「キリスト教」という連想から、ローマ法王に神子原米を食べてもらって日本を超えて世界中に「神子米」をアピールしようと考えました。

 さっそく高野さんは手紙を書き上げバチカン市国へ郵送します。

数ヵ月後。バチカン市国の大使館から「明日東京に来て欲しい」と電話がありました。

そして高野さんの狙い通り、バチカン市国の大使館に出向きローマ法王宛てに神子原米を献上することに成功したのです。

 この快挙はすぐさまメディアに大きく取り上げられました。

 神子原米は通常のお米の約2倍の価格ながら、全国から注文が殺到する程の人気を獲得し、一大ブランドを築き上げることに成功しました。

 

女子大生と酒が飲める!

 

 先の事例でもそうだったように、新しい取り組みには必ず反発があります。特に、閉鎖的で保守的なコミュニティの場合はそれが顕著です。

高野さんは、神子原地区の少子高齢化を解消するために、現在使われておらず空き家になった住宅を都市部からの移住者へ貸し出す仕組みを考案しました。

しかし、このプロジェクトを地元の住民へ説明しに行った際、その集会場では住民の怒号が飛び交うことになります。

「よそ者は村の秩序を乱す」 「よそ者なんかには家を貸せない」

住民は総出でこの案に反対しました。

「これは一筋縄ではいかない」、そう考えた高野さんは、これまたとある妙案を思いつきます。

それが「烏帽子(よぼし)親農家制度」でした。

この制度は、「酒の飲める女子大生」を募集し、彼女たちは農家にホームステイしながら農作業に従事します。

そして夜は酒を飲みながら住民とコミュニケーションを図ります。住民は元気になってよそ者への耐性もつく。マスコミで話題になるし、役場には体験料が入る。まさに一石三鳥の仕組みでした。

こうして住民たちに外の人への免疫をつけてもらい、当初の空き家の貸出制度も現実味を帯びてきます。

高野さんは、移住希望者へ面接を行い選別をすることを条件についに運用にこぎつけました。

 今ではこの村へ移住してきた人々は12世帯計35人にものぼり、そして彼ら「よそ者」は一人も村から出ていくことなく地域に馴染むことができたようです。


小括

 今回は、高野さんというキーパーソンを中心に、神子原地区のまちづくりの取り組みをいくつか概観してきました。

こうした施策の数々が総体として神子原をどのように変えたのかはまた別途調べたり考えたりする必要がありますが、とはいえ高野さんの取り組みが神子原の活性化に多大な貢献をしたことは間違いないでしょう。

 高野さんのような「スーパー公務員」が、どこの自治体にも存在しているわけでは当然ありません。

しかし、素朴ながらも地域を良くするアイデアをもつ人間は、掘り起こせば案外身近にいるものです。

むしろ重要なのは、アイデアを持っている人間がそのアイデアを表現できる場を作り、その実行を支え後押しする環境を作ることです。

 

 実際、高野さんはその持前の行動力で乗り切りましたが、組織の中には高野さんのやり方に抵抗を示す人も相当程度いたそうです。

まちづくりのような分野では、今までと異なるやり方が求められるため、程度の差はあれ必ず反発を受けてしまいます。

 そんなときに、周囲の抵抗をものともしない人間的資質をもつ人がいればよいのですが、多くの場合は、アイデアを実現に結びつける環境の構築が、今後のまちづくりのキーポイントになってくるのでしょう。