アーヴィング・ゴフマン(1922-1982)はカナダ出身、アメリカで活躍した社会学者です。
ゴフマンはその研究方法から異端の社会学者とされながらも、アメリカ社会学会の会長を務め、その後の社会学に多大な影響を与えました。
ゴフマンの研究対象は人々の「社会的相互行為」とその場における「相互行為秩序」でした。
難しい言葉ですが、今風に言えば人々の「コミュニケーション」とそれが交わされる場の「空気(あるいはノリ)」に関する研究と言えます。
「そんなものを研究して何の意味があるの?」という疑問はもっともですが、この「空気」はいかにして生まれ、いかにして共有され、いかにして維持されていくのかを解明しようとしたのがゴフマンです。これは我々人間のコミュニケーションによっていかに生活する社会が作られていくのかという問いと不可分です。この問いはさらに翻って、コミュニケーションをとる我々自身の「自己」についても、不気味なリアリティを持って迫ってきます。
「君って○○キャラだよね」
「私って○○な人だから」
「ウケ狙ったのにスベった」
皆さんは日々の会話のなかでこんな言葉を聞いた、もしくは使ったことはないでしょうか?
もし「私って○○な人だから」と知人が自分に言ってきたら、内心「知らねーよ」と思うのは私だけでしょうか?
そして「この人そういう風に思われたいのかな」「そういう自分を演出しているだけだろう」と、その言葉の裏にある戦略を見透かそうとするのも私だけでしょうか?
ただ私はよほど仲の良い友人でもない限りこのようなことを口にしようとは思いません。理由は2つ。1つはよく知らない相手にそんなことを言ったら、場の空気を壊す可能性が大であるから。もう1つはこのように「自分を演出すること」は、無意識のうちに私自身もやってしまっていると自覚しているため、それを指摘するとブーメランのように自分に返ってくるのではないかと考えるからです。
このようなやりとりと私の考えは、ありふれたコミュニケーションの一つといえます。そして、そんなありふれた人間のコミュニケーションを研究対象としたのが、今回紹介する社会学者、アーヴィング・ゴフマンです。
ゴフマンは人々のコミュニケーションを「社会的相互行為」とよび、今でいう場の「空気」を「相互行為秩序」と呼んでいます。
ゴフマンの関心は主に2つあります。1つは、この「空気」はどのように形成され、どのように人々に共有され、その場で維持されていくのか。もう1つは、その中で人々はコミュニケーションを成立させるためにどのように振る舞い、その中でどのような「自分」を相手に見せようとし、「自分」自身を作り上げていくのかです。
「コミュニケーション」について考えることは、我々の社会について、そして我々一人一人の「自己」について考えることでもあるといえます。
このややシニカルでちょっと不気味なゴフマンの社会学を通して、我々の「コミュニケーション」について、余計な詮索を入れてみましょう。