九大文学部では、以下のような研究室でジャンヌ・ダルクに関連する分野を学べます。研究したいテーマがあれば、まず教員に相談してみましょう。
西洋史学: ジャンヌ・ダルク、及びその背景となる中世ヨーロッパ史。
仏文学、英語学・英文学、独文学、美学美術史: ジャンヌ・ダルクを主題とした文学・芸術作品。
哲学・哲学史: 西洋中世哲学、宗教哲学。
基幹教育や学部の授業ではフランス語やラテン語の授業もあります。
このガイドを通して、ジャンヌ・ダルク論の全体像を示してきました。
以下、結びとして、私の修論について少し話したいと思います。
2017年1月に提出した修士論文の題目は"King Arthur, Joan of Arc and Huckleberry Finn: Anachronic Mixture of the Medieval and the Modern in Mark Twain's Works"です。トウェインの作品の中に見出せる中世と近代という異なる二つの時代の混合を、中世を舞台にした作品に近代的価値観が投射されていたり、19世紀アメリカを舞台にした作品に前近代的要素が混ざり込んでいたりしている状態を指摘して明らかにすることを企図しています。
アーサー王物語やジャンヌ・ダルクに代表される中世ヨーロッパの文化はゲームやアニメをはじめとする日本のサブカルチャーに好んで取り入れられていますが、19世紀のアメリカでも、都市的で洗練された文化を有する中世をこれからのアメリカ社会・文化の規範とすることを企図する中世主義(medievalism)が流行していました。
ただ、受容する側が中世を必ずしも肯定的に見ていたわけではありません。例えばマーク・トウェインは、『ジャンヌ・ダルクについての個人的回想』ではジャンヌを讃えるような語りが目立つ一方、彼女の周囲の人物に関しては必ずしも肯定的に語られているとは言えません。また、『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』ではジャンヌと同じく中世の象徴たる円卓の騎士に対する風刺と憧憬が同居しています(Furukawa (2017)も参照)。
また、上記の作品のように登場人物の一人を語り手(一人称の語り手)と設定する小説を読む際には、その語り手の言っていることが本当に正しいのか、勘違いや偏見に満ちていないかについても考える必要があります。信頼出来ない語り手(unreliable narrator)という批評用語もあります。
このような考察を通して、最終的には個別の作家論・創作論にとどまらず、人間が海外の歴史・文化を自文化に取り込む過程の一端を明らかにすることが出来たら、と考えています。これは日本において海外を対象にした人文学を営む意義の一つと言えます。
日本語で読めるジャンヌ関連資料は今や相当数に上ります。ここからさらに歩みを進めて、本ガイドでは学術的著作から文学作品・視覚文化にまで学際的に目を配り、研究で得られた知見を織り交ぜながら、私なりに「日本から発信するジャンヌ」を目指したつもりです。
総じて、農家の娘から世界の聖女になったジャンヌ・ダルクは、これからも何かしらの形で世界の文化や社会の記憶に残り続けるでしょう。草葉の陰で本人がどう思っているのかはともかく。