辻村深月作品を初めて読んだのは高校生の頃でした。
本屋で何気なく手に取って、”主人公の名前と作者の名前を一緒にするなんて、いったいどんな作者だよ…。”と思いながらレジへと持っていったのを覚えています。
学校に閉じ込められた8人の高校生。開かない扉、無人の教室、5時53分で止まった時計…。閉じ込められた世界の中、学園祭の最中に死んだ同級生のことを思い出すものの、その顔と名前は思い出せない…。薄れていった記憶、その理由は…?
登場人物の視点を変えながら、またそれに合わせて登場人物の悩みや思い、生い立ち、登場人物の関係性がつまびらかにされていきます。そこで明かされる、言葉にされる真実は全てが望ましいとされるものとは限らなくて…。
やがてたどり着くこの現象、物語の真実とは…?
”冷たい校舎の時は止まる”では当時自分が抱えていたほどではないにしても、感じていた悩みを言葉にされてしまいました。
当時からおぼろげにいつか文章を書いてみたいと自分の鬱屈とした気持ちも書き溜めて、秘蔵していた自分にしてみれば、”先をこされた!してやられた!”という、何様だというような悔しさもありました。ですが、それと同時に、自分だけだと思い込んでいた孤独な悩みも誰もが抱えることがあるものなんだと安堵し、自分の気持ちを分かってくれる人もいると救われた気持ちにもなりました。そして何より先の読めないストーリー展開に続きが気になってしょうがなく、ぐいぐいと引き込まれていきました。
誰もが感じたことはあっても言葉にできないでいる、または憚っている心のひだが描かれていたり、予測できない、予想の先をいく展開、結末を迎える物語が辻村深月作品の魅力ではないかなと思っています。