現実を記録するリュミエール兄弟のシネマトグラフから始まり、メリエス、ゼッカ、ブライトン派らの手によって、映画はどんどん進化してゆきました。
そして、ついに現在の映画に見られるような、ストーリー映画が誕生することとなります。
カギを握っているのは、エジソンです。
スクリーン投影式の映画の発明においてはフランスのリュミエール兄弟に一歩遅れたエジソンですが、彼もまたキネトスコープをシネマトグラフと同じスクリーン投影式のヴァイタスコープへと改良することで、映画制作事業に乗り出します
そんなエジソンのもとにやってきたのがエドウィン・S・ポーターでした(1870~1941年)。
当初はカメラ技師としてエジソン社に入社したポーターですが、次第に映画の演出に携わるようになります。
そんな彼が制作した「あるアメリカ人消防夫の生活」(1903年)は、世界最初のストーリー映画と言われています。
本作は、実際に消防車が出動した時の記録映像に、スタジオやロケで撮影した映像を組み合わせることで作りだされたもので、ブライトン派のウィリアムソンが制作した『火事だ!』(1901年)がヒントになったと言われています。
現在に通じる映画の原点ともいえる本作ですが、今日の目には奇妙に見えるシーンもあります。
クライマックスの救出場面を見てみましょう。
まず初めのシーン、カメラは建物内部の様子を映しています。建物の中に消防士が突入して、部屋の母子を救出するまでが1シーンです。
しかし問題は次のシーンです。
場面は建物の外からの視点へと変わります。
そして今度は、消防士が部屋に突入して、母子を救出するまでの一連の流れが、建物の外からどのように見えたのかが流されるのです。
すなわち、全く同じ母子救出のシーンが、建物の内側と外側の双方の視点から描かれているのです。
まるでスポーツ中継のリプレイ映像かのようです。
我々になじみのある映画の文法に従えば、例えば消防士が建物に突入した瞬間にシーンが外側から内側に切り替わるといったように、時間軸に沿った編集がなされることでしょう。
このように、異なる場所で起こっている出来事を、映像を繋げて交互に提示する表現手法をカットバックと言います。
我々にはすっかり身近な表現となっていますが、当時はまだそうした映画の文法がまだはっきりと成立していなかったため、同一の場面の出来事が連続して2度も流されていたのです。
(※ただし、後年になるとカットバックで編集されたバージョンも作られており、公開年が混同されたために本作が「はじめてカットバックを使用した映画」として紹介されるといった事態も起こっていました)
ポーターが作りだした作品の中でも傑作とされているのが、「大列車強盗」(1903年)です。
世界初の西部劇映画でもあります。
「あるアメリカ消防夫の生活」ではまだ未成熟だった時間軸と空間軸の表現が改良され、二つの場所で起きている異なる出来事を交互に描くクロスカッティングという技術も多用されます。
また、映画が終わった後に、強盗団の首領が観客に向かって拳銃を撃つという、ストーリーとは無関係の、ただ観客を驚かせるためだけのカットもあり、ポーターの茶目っ気が伺えます。
ポーターが制作した作品ではありませんが、エジソン社の映画の中には『フランケンシュタイン』を映画化したもの(1910年)まであります。
「フランケンシュタインの怪物」のビジュアルイメージを決定づけた、ジェイムズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』(1931年)よりも前に作られた作品であるため、お決まりの「フランケンシュタインの怪物」像とはまた違った怪物の姿を見ることができます
近年米国議会図書館が2K画像にレストアされたものがネットにアップロードされていたので、そちらを見てみましょう。
(フルスクリーン表示にしたほうが見やすいので、そちらをお勧めします。)
ちなみに、下記サイトで動画データを自由にダウンロードすることも可能です。
https://www.loc.gov/item/2017600664/
本作では場面転換の合間に画面いっぱいに文章が表示されたり、手紙のアップのシーンが何度か登場しますが、これは役者のセリフを録音できないサイレント映画ならではの表現方法です。
文字を使って場面の説明をせねばならないほどに複雑なドラマが、映画の中で展開されるようになったのです。
こうしてカットをつなぐことによって物語を描くことが可能となった映画は、どんどん上映時間も長く、物語も複雑化してゆきます。
G.W.グリフィスの「国民の創生」(1915年)は、アメリカ映画初の長編映画であり、当時もっとも予算を使った大作映画でもあります。
初の長編映画という歴史的な意味だけでなく、ロングショットと極端なクロースアップの組み合わせや、異なる地点や時間での出来事を表すショットの複雑な構成、工夫の凝らされたカメラアングルやカメラの動きなど、技術的な意味でも非常に映画史的に重要な作品です。
ただ、上映時間が3時間以上あるので、見るのは時間のある時に…
「国民の創成」で大ヒットを飛ばしたグリフィスの勢いはとどまるところを知りません。
そして「国民の創成」を超える200万ドル以上の予算を投じて更なる超大作「イントレランス」(1916年)を制作します。
グリフィスの構想では2部構成で各4時間の、総上映時間8時間にも及ぶものでしたが、さすがに興行主の反対に合い、3時間弱に短縮されました。
「キリストの生涯」、「古代バビロン」、「聖バルテミーの虐殺」、「現代劇」をテーマとする4つの物語が入れ代わり立ち代わり登場し、全体を通して時代を超えた愛の葛藤を描く本作の見どころは、何と言っても古代バビロンの風景でしょう(18:00くらいからが古代バビロンの話の最初の部分です)。
高さが100メートル近くあり、3000人ものエキストラであふれかえるバビロン城塞の超巨大セットは今でも語り草となっています。
ただ、4つの話が複雑に絡み合う物語は当時の観客にとっては難解すぎる内容で、上映時間も長かったために、本作はそれほどヒットせず、制作費のもとをとることさえもできませんでした。
余談ですが、芸術工学部の秋の風物詩である、建築現場などでよく見かける鉄骨の足場を「イントレ」と呼びますが、これは本作のタイトルが元ネタです。
本作の巨大なセットの制作の際にこの鉄骨の足場が使用されたため、「イントレランス」を略して「イントレ」と呼ぶようになりました。
以上のように、映画は誕生(1895年)から10年あまりで物語を語れるようになり、20年経つと現在でもあまり見られないような超・長編までもが作られるようになりました。
工場の出口をただ見るだけの2分弱の映像から、ずいぶん遠くまで来ました。
次の章では、1900年代から活発に映画が制作されるようになったアメリカに焦点を当て、そこで映画がどのように人々に消費されたのか、それがどのようにして現在のハリウッド隆盛の状況へと繋がったのかを見ていきます。