映画は、その誕生したての頃は定期市などで出される見世物の一部として上映されていましたが、やがて映画が人気を博してくると、余興としてミュージック・ホールなどの出し物に組み入れられるといった事例が見られるようになり、露店興行もどんどん活発化していきます。
中でも積極的に映画を受容したのが、アメリカでした。
映画がアメリカで大きく受け入れられたのには、アメリカならではの事情があります。
それは移民の問題です。
アメリカには世界各地から異なる言語を話す移民たちが入ってきており、彼らは英語で制作された大衆娯楽を楽しむことができませんでした。
そんな彼らにとって、目で見るだけで楽しめる映画は非常に分かりやすく、誰もが気軽に楽しめる娯楽だったのです。
このような理由で、アメリカは世界最大の映画市場となり、映画産業も拡大してゆきます。
アメリカの映画興行もヨーロッパと同様に、最初は露天興行から始まりました。
しかし、ヨーロッパが露天興行で発展していくのに対して、アメリカの映画興行は異なる発展を遂げることとなります。
それがニッケルオデオンの発展です。
ニッケルオデオンとは小規模な常設の映画観のことです。
1905年にピッツバーグでハリー・デイビスとジョン・P・ハリスが始めた映画館がその原型とされています。
彼らの映画館は5セント銅貨1枚で入場することができ、週6日開館、15分ごとに観客を入れ替えるシステムで、毎日7000~8000人もの入場者数を叩き出しました。ニッケルオデオンの「ニッケル」は、この5セント銅貨のことを意味しています。
デイビスとハリスの映画館の大繁盛をきっかけに、ニッケルオデオンはアメリカ全土へ広がります。
1908年末にはその数が約1万館にも登ったそうです。
ニッケルオデオンは長編映画が一般的になるのとともに衰退することとなりますが、アメリカの映画人口を爆発的に増加させるきっかけとなりました。
そしてもう一つ、ニッケルオデオンが果たした大きな役割があります。それは、ニッケルオデオンをきっかけに多くの新規映画興行主が誕生したことです。
彼らの多くは移民であり、ニッケルオデオンで蓄えた資産を基に次世代の映画界を担うリーダーとなりました。彼らの興した映画事業はやがて以下のような映画配給会社へと発展していく事になります。
ワーナー・ブラザーズ社
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ユニヴァーサル映画
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/sl/1/13/Universal_pictures_logotip.jpg
パラマウント
https://en.wikipedia.org/wiki/Paramount_Pictures#/media/File:Paramount_Pictures_logo_(2010).jpg
20世紀フォックス
https://en.wikipedia.org/wiki/20th_Century_Fox#/media/File:Logo_20th_century_fox.jpg
MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)
https://en.wikipedia.org/wiki/Leo_the_Lion_(MGM)#/media/File:MGM_Ident_1938.jpg
どれもみなさん一度は目にしたことのあるビッグネームばかりではないでしょうか。