ハリウッドの誕生にも、実はエジソンが大きくかかわっています。
エジソンは電球を発明した際に、電気事業に着手するために設立したゼネラル・エレクトリック社の権利を奪われた苦い経験があり、特許に対する執着には並々ならぬものがありました。
1897年、外国のライバル会社の排除とエジソン社による国内市場の独占を目的に、特許権がある撮影機や映写機の使用、プリントの焼き付けなどを禁止する裁判を引き起こします。
数多くの映画人を相手取った1907年にようやくエジソンの勝利で決着を迎えます。
これをきっかけにアメリカ映画の国内市場の独占を狙ったエジソンは、1908年12月18日に国内外の映画会社を集めて協定を結び、「MPPC(モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー)」というエジソン・トラストを結成します。
エジソン・トラストは映画の製作・配給・興行を独占し、ニッケルオデオンを閉館させ、独立系の映画興行社やフィルムレンタル業者を訴訟と暴力で追い詰めます。
もちろん彼らもただ黙ってやられるわけは無く、その多くは合同して反トラスト運動を始めます。「第二次特許戦争」の開始です。
この闘いは1915年4月にパテント・カンパニーが独占禁止法違反で解散させられるまで続きました。
一方、一部の独立系映画興行社はエジソン・トラストの目を避けるため、当時の映画製作の中心だった東部を離れていきます。
その中で、彼らによって新たな映画制作の拠点として見出されたのが、カリフォルニアのハリウッドでした。
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ではなぜエジソン・トラストに追われた独立系の映画制作者たちは、新たな拠点としてハリウッドを選んだのでしょうか。
それはハリウッドの環境に答えがあります。
ハリウッドは気候が温暖で晴天の日が多いため、天候に縛られることなく外でのロケ撮影ができます。
また、森や渓谷、砂漠や海が近くにあり、舞台設定の自由度も高いです。
移民労働者も急増しており、賃金も非常に安く済みました。
数ある環境の中でも特に重要なのが、メキシコ国境に近いことです。
なぜなら、もしエジソン・トラストとその司法執達使が東部からやってきても、国境を越えてしまえば彼らは手が出せなかったのですから。
そして1910年代、映画業界におけるハリウッド位置を決定づける出来事が起こります。
それが第一次世界大戦です。
アメリカがいかに多くの映画人口を保有し、映画制作にぴったりの環境を持つハリウッドを発見したとはいえ、このころまでは世界の映画市場に大きな位置をしてめいたのはフランスでした。
リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエスと、映画の創生期から世界の映画をリードしていたフランスはやはり強かったのです。
この状況が第一次世界大戦の発生により一変します。
フランスは映画どころではなくなり、映画は完全に製作中断へと追い込まれますが、ヨーロッパ各国と異なり戦場とならなかった無傷のアメリカは世界の映画市場へ躍り出ることとなります。。
これ以降、アメリカ映画は世界の映画市場で常に優位を占めることとなり、今日の栄華へとつながるのです。