この事業の発案者は,塩税の徴税人であったピエール・ポール・リケです。なんとしてもミディ運河を開通させたいという想いは人並外れており,技術者でなく専門知識に乏しかったのにも関わらず,ありったけの人脈と金脈を駆使して事業をスタートさせました。相当な規模だったため国家予算では足りず,ついにポケットマネーからも投資をはじめました。それでも予算は足りないため,あろうことか娘のお金をぶんどって事業につぎ込みました。結局リケは完成を見届けることなく亡くなりましたが,何かを成し遂げるには何かを犠牲にしなきゃならないというこの世の摂理を表したような人生だったみたいです。
続いては,路(みち)の紹介です。
みち,と言っても,道路や橋,航路や航空路があります。
そのなかでも今回は,道なき道に水路を切り開き,地域の繁栄に大きく貢献した,フランスのミディ運河を紹介します。
(引用:L'official du canal du midi https://www.plan-canal-du-midi.com/ 2022/2/22閲覧)
①ミディ運河をつくる理由
そもそもなぜ運河を作ろうとしたのかというと,
鉄道がまだ登場していない当時では,重い荷物を輸送するのに水運を利用するのが一番だったからです。
ミディ運河開通前は,ジブラルタル海峡を通る大回りの航路で大西洋に行くしかありませんでした。
そこで,もともとあったガロンヌ川と地中海を繋げた運河をつくることで,簡単に大西洋まで行けるルートを作ろうとなったのです。
(googlemapより一部編集)
ただ,この発想自体は大昔からあり,それにも関わらず実現まではいきませんでした。
それは,地形的な問題にあります。
(https://www.canaldumidi.com/Geographie/Ecluses.php のデータを引用・編集,2022/1/19閲覧)
こちらがミディ運河の断面図です。ガロンヌ川にたどり着くには,頂上を一つ越えてからでないといけませんね。
この頂上のことを分水嶺(ぶんすいれい)といいます。
この地形だと,ガロンヌ川の水は分水嶺を超えられません。水が安定して流れないため,夏場だとすぐに干上がってしまいます。
そのため,分水嶺にどうやって水を供給するかが考えられてきました。
そこで,ミディ運河実現のため,土木系学問を集結したプロジェクトが行われました。
②どうやってミディ運河を実現させたか
分水嶺にどうやって水を供給したかというと,
その近くのさらに標高が高い,黒い山(モンターニュ・ノワール)にダムを建設し,そのダムから分水嶺に水を引っ張るようにしました。
(googlemapより一部編集)
そうすることで,ミディ運河の頂上に常に水路に水が引かれている状態を維持することが可能となりました。
このプロジェクトには,以下のような学問の融合によって成功しました。
・測量学
軍事測量を用いた微妙な高低差の計測により,分水嶺の地点,黒い山との関係性などを明確にしました。
・水理,水文学
安全な水路の設計,季節ごとの気象パターンから生じる水系リスクの把握に使われました。
水門の設計にも注力しました。船が浮くために必要な水量,水門の壁が水圧で崩壊しないための設計は,この頃体系化された水理学から得られたものです。
(引用:日本船舶海洋工学会関西支部 海友フォーラム http://k-senior.sakura.ne.jp/2012/120207-kaiyuu-okamoto-unga.html 2022/2/22閲覧)
・建設工学
世界初となる運河トンネルを,重機や爆薬を使わず手作業で開通させました。
船が通れるギリギリの大きさであり,正確な設計・施工が必要だったことが伺えます。
(引用:フランス観光開発機構 https://jp.france.fr/ja/occitanie-sud-de-france/list/observer-les-etoiles-cevennes 2022/2/22閲覧)
・生態,景観学
運河周辺地域の生態系を救い,4万本以上の樹が植えられました。
景観にも配慮されて造られたため,今もなお貴重な観光名所となっています。
(引用:gettyimagesより https://www.gettyimages.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/canal-du-midi 2022/3/16閲覧)
まさに土木のアベンジャーズが生んだ力作です。機会があれば是非運河沿いを散歩してみてください!