色々あってイタリアに滞在することになったんですが、大学に入学した頃は、海外に行くことなんてこれっぽっちも考えていませんでした。
初めに、イタリアの魅力にとりつかれるまで、僕がどのように学生生活を送っていたのかちょっとお話したいと思います。
その後、どうやってイタリアの魅力にとりつかれたのかご紹介します。
1年間の闇のような浪人生活を経て、やっとのことで九州大学に入学した僕(工・機械航空工学科)。
当時、海外に行くことなんて頭になかったどころか、「留学してかぶれる人、超ダサいんですけど~」と思っていました。
(愚か者だったんです、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい......)
「日本のこともろくに知らないのに、海外に行くってどうなんだ?」と。
大学に通いながら、休み時間や放課後、暇さえあれば日本の小説ばっかり読んでは、ふむふむと明治の学生気取り。
後に聞いたんですが、当時の僕は周りの友達から「とっつきにくい奴」と思われていたようです。そりゃそうだ。
といった具合に、海外に行くことにほとんど興味はなかったんですが、英語は嫌いではありませんでした。
元々洋楽が好きで(ハードロックやヘビーメタル中心)、英語のカッコ良い発音には強い憧れを抱いていました。
日本文学に溺れる一方、英語の学習を怠らずに学生生活を過ごしていました。
(英語の勉強については、僕の書いたガイド「理系でも獲れた! 独学でTOEICを900点まで上げる方法」にて紹介しています。英語の勉強をしたい方、TOEICで高得点を獲りたい方は是非チェックしてみてください)
英語の小説を読んだりTEDなどの講演を見たりして、徐々に英語の力を蓄えていくにつれ、僕は世界の広がりを感じるようになりました。
英語のおかげで、日本のメディアよりずっと詳しいニュース・情報が手に入るようになったり、TEDの講演をより理解できるようになったり、カズオ・イシグロさんの原著を読めるようになったり、好きだった外国人歌手の最新情報を翻訳される前に手に入れられるようになったり......
英語の力を思い知るとともに、僕の目は、知らず知らずのうちに、日本の内側から外側へと向かうようになっていました。
日本って意外と狭いんじゃないか?
日本の社会ってちょっと変わってるんじゃないか?
日本って世界とかなり違うんじゃないか?
堅苦しい謎の偏見を捨てて、一度は海外へ行ってみたいように思うようになりました。
しかし、そう簡単に海外へ行けるはずもなく。
海外に行きたい! でもお金はない!!
何とかして海外に行けないだろうか、と思いつつ、都合の良い方法は何も浮かびませんでした。
授業も大方終わり、4年生以降で所属する研究室の選択がやってきました。
特に興味のある分野もなく、研究室をぐるぐる回っては説明を聞いていると、ある耳寄りな情報が飛び込んできました。
「うちに来て、ちゃんと研究頑張れば、海外発表もできるよ」
まさに僕の望みを叶えてくれるような研究室じゃないか!
いっぺんに目の色を変えた僕に、教授大先生は「去年は~~に行った、その前は〇〇に行った」など、実例をいくつもポンポンとあげていきます。
ここしかない! 研究テーマも面白そうだし!!(恐らく、海外に行きたいあまり、そう感じられるようバイアスがかかっていたんでしょう)
僕はその研究室へ配属希望を出し、所属することとなりました。
(研究は、機械と生体を組み合わせたような、他にない珍しい分野を扱っています。
詳しくはこちらのガイド「私の卒論ができるまで: 白石隆太(九州大学工学部・2017年卒)」をご覧ください。
※残念なことに教授が2018年度をもってご退官されたため、僕のいた研究室は(変な言い方ですが)、一応ないことになっています)
朝は一番に来て、夜は一番遅くまで残り、(と書くと努力したように聞こえますが、効率が悪いだけです。笑)
必死に研究に取り組んだ結果、学部4年生の9月に韓国、そして修士1年生の5月にイタリアに行くことができました。
イタリアには一週間しかいなかったんですが、それはそれはすんばらしい思い出となり、これを機にイタリア滞在を強く望むようになりました。
学会があったのはガルダ湖というイタリア最大の湖のほとり。ロンバルディア州とヴェネト州にまたがるように位置しています(地図赤丸)。
南北に伸びたひょうたんのような形をした湖の、北に位置するRiva del Gardaという街で学会は行われました。
ヴェネト州の州都ヴェネツィアから電車で二時間、そこからバスで一時間ほど離れたところにあるかなり小さな街だったんですが、その美しさに目を瞠るばかり。
家々の石壁には、小さいけれど丁寧な彫刻が必ず施されていました。
人びとのファッションもカジュアルながら小綺麗。目が合うとニコッと笑って挨拶をしてくれます。
小さな街だからか、街のみんなが互いに知り合いであるかのように、和やかに談笑している姿を至る所で見かけました。
今でもちゃんと思い出せば、そうした風景が鮮明に頭の中に浮かびます。
たった一週間の滞在でしたが、僕はそこで一生忘れないであろう衝撃を受けました。
日本とまるで違うじゃん。こんな国が世界にあるんだ。
ここで生活するってどういう感じなんだろう。
学会を経て、僕はそういう考えを持つようになりました。日本に戻った後、イタリアへ行く方法を模索し、何とかその権利を勝ち取るに至りました。
さて、勝ち取った枠は、給付金付きの1年間に渡る海外研修プログラムでした。
プログラム名の記載は避けますが、「理系 インターン 欧州 一年」等で検索して頂くと、すぐ出てくると思います。
また、CuterにはIAESTE(イアエステ)という海外インターンシップの仲介組織を利用してドイツに滞在した方もいらっしゃいます。
そんな丹生谷さんが執筆したガイドはコチラ → イアエステを利用した研究型海外インターンシップのすゝめ
インターンシップ制度、現地での仕事や生活についてなど、情報がよくまとまっているガイドだと存じます。少しでもご興味のある方は是非丹生谷さんのガイドもお読みください。
僕の参加したプログラム、IAESTEだけでなく、他にも大学内で募集している留学制度など、インターン・留学を通して海外に滞在する機会は、探してみると意外とあります。
どのプログラムが良い・悪いという評価は勿論ありません。自身の目的や経済的理由に適ったものを選ぶのが、その人にとって最善の選択になると思います。海外に行ってみたいと考えている方は、色々な制度を入念に調べ、検討してみてください。
話を戻すと、何とか滞在する権利を頂けた僕ですが、勿論、一年間イタリアで遊ぶ権利を得たわけではありません。
次のような活動を行うことが求められました。
また、住居については、語学学校期間中はホームステイ、インターンが始まると会社の近くでルームシェアをすることも決まっていました。
ちょっと特別な研修プログラムですが、このプログラムを通して、僕に求められていたことは
だと思っています。
将来大物になれるかどうかは分かりませんが、確実に言えることは、日本では得られないような価値観を取り入れることが出来、思考方法が大きく変わったということです。
僕が日本にどう関われるかはともかく、僕自身が大きく変わったことは確かです。
このガイドを通して、海外生活が僕個人にどのような影響を及ぼしたのか、少しでも感じ取って頂ければと思います。
とは言っても、いきなり僕の変化について語るのもなんなので、イタリアでの食生活、イタリア語についてご紹介します。
イタリアについて少しイメージして頂いた後、僕が滞在を通して得たこと・考えたことについてお話しします。
次ページ