【時代背景について】
ゲルマン民族は古代ローマの終焉と大きく関わっています。西暦345年にアッティラ率いるフン族の西進によって北部ドイツおよびスカンジナビアに居住していたゲルマン民族は南下を迫られます。これが世界史でよく言われる「ゲルマン民族の大移動」です。この事件によってゲルマン民族がローマに侵入し、ローマ帝国崩壊の大きな要因の一つになります。
その後、フン族によるローマ侵攻の阻止、帝政末期の軍事力の維持、西方正帝廃止の軍事的・政治的援助などによってゲルマン民族はローマ帝国内で次第に力を強めていき、カール大帝の戴冠によって神聖ローマ帝国が成立し、ゲルマン民族が遂に世俗権力の頂点に立つことになります。神聖ローマ帝国皇帝は選帝侯によって選ばれ、教皇によって戴冠されます。すなわち、神聖ローマ帝国はその名の通りキリスト教と密接に結びついたゲルマン民族の帝国なのです。
(画像:「ゲルマン人とスラブ人の移動地図」©世界の歴史まっぷ)
【作品について】
『ニーベルンゲンの歌』もこの時代背景と密接に結びついています。すなわちこの作品では、ライン河を舞台にしたゲルマン民族のフン族への抗戦や彼らゲルマン民族の神話である北欧神話、そしてキリスト教的騎士道や風習が混然一体となっています。しかしながら、やはりこの時点でのゲルマン民族におけるキリスト教の浸透はローマ人のそれとは異なってまだ表面的であり、作品においても先に述べたキリスト教的要素は上辺だけのもので、ゲルマン的な荒々しさがなお残っています。
作品の形式は叙事詩です。ここで簡単に叙事詩の解説をしておきましょう。叙事詩とは主に歴史的な、あるいは神話的な出来事を韻文の形で歌った詩のことです。現代において、文学と言えば小説などの散文を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、古代から中世にかけての文学の多くは叙事詩のような韻文で語られており、韻律を伴わない散文形式の文学は比較的稀れでした。叙事詩の主題には神話を扱っているものもあるように、必ずしも叙事詩の内容がノンフィクションというわけではありません。いや、むしろ叙事詩の主題が歴史的事件を取り扱っていても、その内容が多分にフィクションを含んでいることがほとんどです。というのも、叙事詩は内容そのものの真偽にではなく、語り伝えるという行為そのものに重きをなしているからです。叙事詩は元来、口承文学でした。それゆえ、世代の経過やより広い地域に伝播することによって、「オリジナル」から内容が変化していく可能性を多分に持っています。しかし、内容に多少の変化があろうとも、民族の歴史や神話を学び、それをまた後世に伝えるということは、その民族にとって大変重要なことでした。それは遺伝子を後世に伝えることと同じ行為であると言えるでしょう。ちょうど、文字通り姿かたちに変化を加えながら血脈が親から子へと伝わっていくようにです。叙事詩を語り伝えるということは遺伝子に載らない、いわば文化的遺伝子を後世に伝えることに他ならなかったのです。
【作品のあらすじ】
さて、話を作品に戻しましょう。作品ではネーデルラントの英雄ジークフリート(ドイツ語ではSieg=勝利、Fried=平和ですので、日本語ならば「勝平」とでもなるでしょうか)の悲劇的な死とその妻でブルグント王国王女のクリームヒルトの復讐が描かれます。
【前編】
ネーデルラントの勇猛果敢な王子ジークフリートはかつて竜を倒したときに、その返り血によって首の後ろを除いて不死身の体になっており、竜討伐に続いて小人族であるニーベルンゲン族の国を征服し、その莫大な富を得ていました。ジークフリートはある時、ブルグント国の王グンテルの妹にクリームヒルトという美しい姫君がいること、そしてグンテルがイースラントの女王ブリュンヒルデに求婚していることを聞き知ります。ブリュンヒルデはその美貌で有名でしたが、同時に大力の女傑でした。彼女は求婚してきた男に結婚を賭けて戦いを挑み、そのことごとくを打ち殺していました。クリームヒルトとの結婚を望むジークフリートはグンテルに恩を売ろうと、グンテルと一計を案じます。その計画とはジークフリートが「隠れ蓑」と呼ばれる透明マントのようなもので身を隠して、ブリュンヒルデとの勝負の際にグンテルを手助けするというものでした。見事ブリュンヒルデを打ち負かしたグンテルはブリュンヒルトと結婚し、グンテルを手助けた報酬としてジークフリートはクリームヒルトと結婚します。
グンテルとブリュンヒルデの婚礼の夜、負けたことに納得いかないブリュンヒルデは寝室でグンテルに挑みかかり、彼を縛って天上からつるし上げてしまいます。翌日、その話を聞いたジークフリートはグンテルに変装し、寝室でブリュンヒルデを組みかかり、押さえつけます。このことでブリュンヒルデは観念し、グンテルに従うようになりました。数年後、クリームヒルトは兄であるグンテルのもとに滞在しているとき、ブリュンヒルデと些細な言い合いから口論になってしまいました。クリームヒルトは怒りにまかせてブリュンヒルデの婚礼の真実を公の場で暴露してしまいます。恥辱にまみれたブリュンヒルデの報復をせんとしてブルグントの騎士たち、およびブルグンド国の重臣ハゲネはジークフリートをおびき出して不意打ちにし、彼の唯一の弱点である首の後ろを突いて殺害しました。ジークフリートを倒したハゲネらは彼が持っていたニーベルンゲンの宝物を奪い、それをラインの川底に沈めてしまいました。クリームヒルトはハゲネへの復讐を誓います。
【後編】
ジークフリートを失ったクリームヒルトはブルグントへの復讐を画策してフン族の王エッツェルと婚姻を結びます。つまり、彼女は強大な武力を誇るフン族を利用してブルグントを倒そうとしたのです。十三年に渡る復讐の計画ののち、彼女はグンテルらを友好を装ってフン族の国に招待します。ライン河の妖精ローレライやフン族の食客になっていた東ゴート族の王ディートリヒの警告にもかかわらず、グンテルらはフン族の宮廷エッツェルブルクに入ってしまいます。遂に時が来たれりと、クリームヒルトは事前に買収していたエッツェルの弟ブレーデリンを使ってブルグントの使節団を襲撃させました。歓待の宴は一瞬にして血の饗宴に変わります。剛勇を誇るブルグントの騎士たちの応戦も空しく、グンテルとハゲネを残して次々に打ち倒されてしまいます。二人の命もあわやというところでディートリヒが間に入り、生け捕りという形ではあるものの、命は奪われずに済みました。
牢獄に繋がれているハゲネのもとにクリームヒルトが訪れ、言い寄ります。「ニーベルンゲンの宝物をこちらに渡すのであれば命を助けよう」と。しかしハゲネは頑として譲らず、クリームヒルトに「グンテル王の命ある限り、宝物のありかは話せない」と言い放ちます。これに対し、クリームヒルトは二人の命を助けるというディートリヒとの約束があったにも拘わらず、兄であるグンテルを斬首し、その首を見せつけてハゲネを脅します。それでも口を割ろうとしないハゲネに対し彼女は激昂し、ハゲネを斬り殺して復讐を遂げます。ディートリヒ配下の騎士ヒルデブラントはクリームヒルトがディートリヒとの約束を破ったこと、また敵とはいえ無抵抗の騎士に対して彼女が非道な仕打ちをしたことに怒り、クリームヒルトを斬り殺します。余りに多くの者たちが命を落としたことに残されたエッツェルとディートリヒが悲嘆にくれて物語は幕を閉じます。
(画像:ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「Kriemhild wirft sich auf den toten Siegfried」)
(画像:ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「Brunhilde beobachtet Gunther」)
(画像:ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「Kriemhild zeigt Hagen das Haupt Gunthers」)
【まとめ】
『ニーベルンゲンの歌』はゲルマン民族の残忍とも言える原始的な荒々しさ、英雄的な激しい情熱、激烈な衝動が目を引きますが、それと同時に優にやさしいロマネスク(幻想的)な洗練が見られます。ジークフリートからアーサー王へと主題を変化させながらも、このロマネスクな愛の描写をより洗練させることで、民族的英雄叙事詩はのちの宮廷文学へと繋がっていきます。ゲルマン民族の英雄たちの運命を悲劇的に歌い上げた『ニーベルンゲンの歌』はその後の宮廷文学への発展の萌芽をはらんだ作品と言えるでしょう。