大発見のチャンスにぶつかるのは,それに値する人だけである.
(ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ)
解析力学の威力は目を見張るものがあります.前頁では古典力学(ニュートン力学)に触れました.そこでは運動方程式を解くことで物体の運動を解析していました.解析力学はこのフレームワークをよりシステマティックなものに格上げします.解析力学では運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差分をとった「ラグランジアン」という量が存在します.物理的実在のない不思議な量ですが,このラグランジアンが時間や位置のほんのわずかなズレに対して変化しないことを要請すると,なんと運動方程式が自然に出てくるのです.これは変分原理と呼ばれているもので現代物理学の基礎となっている重要な概念です.
この体系は場の理論のような多自由度のシステムを考える際に非常に有用であることが知られています.場とは電磁気学でも登場した電場や磁場といったものの仲間と思ってください.素粒子理論ではミクロの現象を粒子同士の量子論的な相互作用で記述します.その際,どのような粒子が理論に登場するか,どのように相互作用するか,どのような対称性があるかなどを考慮して模型を構築していく必要があります.しかし,一般に場の従う運動方程式を直接書き下すのは非常に困難です.この時,ラグランジアンを元にして理論を考えていくと,粒子(正確には場ですが)同士の相互作用を首尾よく解析することができます.
現実問題として解析力学の学習で初めに大きな柱となるのは(1)オイラー・ラグランジュ方程式の運用,(2)ネーターの定理あたりです.これらをしっかりと抑えたのち,正準変換やハミルトン・ヤコビ理論といったその他の重要な概念へ進むことをお勧めします.解析力学はそれ自体非常に豊かな数学的構造を持ち合わせている理論体系ですので,闇雲に学びを進めると数学の沼から抜け出せなくなってしまうことに注意しましょう.オイラー・ラグランジュ方程式やネーターの定理はどんなテキストでも必ず序盤で解説されているので,適当に分かりやすいと思うテキストを手に取るのが吉です.
真なることを示し,それを明快に著し,息絶えるまで守り通せ!
(ルードヴィッヒ・ボルツマン)
前頁で取り上げた熱力学において,温度やエントロピーはマクロな立場で導入されていました.ここで取り上げる統計力学は,ミクロな情報からマクロな系を特徴づける物理量を理論的に求める体系です.その意味で,統計力学はミクロとマクロを結びつける学問であると言われます.注意していただきたいのはここで触れる統計力学とは「平衡統計力学」であるということです.平衡統計力学は読んで字の如く「平衡状態を取り扱う統計力学」で,その理論体系はよく確立されています.一方で,非平衡統計力学と呼ばれる分野も存在するのですが,ここでは触れないことにします.
統計力学は「ミクロな世界の力学法則に基づいてマクロな世界を記述する体系」です(田崎2008).ナイーブに考えれば粒子の数が増えれば増えるほど力学の問題を解くのは難しくなるように思えます.ここで興味深いのは自由度が極端に大きくなると,各々の構成要素の力学の問題を完全に解くことなくそれらが構成するマクロな系の物理量を計算できてしまうという,ある種の逆転現象が起きることです.これを理解する上では統計的な考え方をする必要があるのですが,そこで重要となるのが状態数や分配関数といった量です.状態数とは簡単に言えばエネルギーの大きさ等に対する条件を満たす状態の数のことを指します.これに対して分配関数とはあるエネルギー状態についての「重み」を足し上げたものとして定義される量のことです(確率の規格化定数とも考えることができます).これらによって統計力学は統計学に立脚した記述を可能としています.
統計力学の勉強においてまず重要なのは,上述した状態数や分配関数を正確に計算できるようになることです.これらの概念の理解が,その後の自由エネルギーやエントロピー,磁化率といった種々の物理量の計算において必要不可欠となります.よく手を動かして理解する,という観点では『大学演習 熱学・統計力学』(久保亮五)は押しも押されもせぬ名著です.ありとあらゆる問題が網羅されているため,大学院入試の対策本としてもよく名前が上がります.他にも参考文献を取り上げてみましたので,中身を比較してみてください.
大事なのはまだだれも見ていないものを見ることではなくだれもが見ていることについてだれも考えたことのないことを考えることだ.
(エルヴィン・シュレディンガー)
19世紀末,物理学は学問として完成したと思われた時期がありました.力学や電磁気学,熱力学によりこの世の事象は全て説明できると考えられていたのです.そこに一石を投じたのがマックス・プランク(注1)でした.プランクは熱輻射(注2)の理論に取り組む中で,エネルギー量子という考え方を導入し,パラダイムシフトを起こしました.これは通常連続的に変化すると考えられているエネルギーが,なぜかミクロの世界ではとびとびの値を取っていると主張するもので,当時(もしかすると現代の私たちにとっても)の物理的直感からはかけ離れたものでした.このような経緯で誕生した量子力学はその後,急速に発展し,現代物理学を支える2大巨頭の1つとなっています.
量子力学の考え方は古典力学とは大きく異なっており,初めは抵抗感があるかもしれません.しかし,100年前とは異なり,現代は量子論に対する理解も急速に進展しているので,そこまで身構える必要もありません.まず重要なのはシュレディンガー方程式(本項初めに提示した方程式)を解くことでしょう.学び方には様々な流派があり,一概にどれが正解とも言い難いのですが,量子力学の基礎方程式をきちんと解けることは間違いなく重要な能力です.種々のポテンシャル中でシュレディンガー方程式を解く演習を重ねれば,「量子の世界ではボールが有限の確率で壁をすり抜ける」,「水素原子の中には電子の入る軌道がいくつもある」などなど様々な事柄を理解できるようになります.さらに,これからの時代に量子論を勉強する皆さんにとっては,量子もつれ(エンタングルメント)という概念も重要です.これは次世代の量子論を理解する鍵となる概念になります.これも非常に面白いトピックではあるのですが,詳細は量子情報の項に譲りましょう.
理論物理学の観点から量子論の重要性について述べて本項の結びとしましょう.量子論はミクロを記述する理論ですので,ミクロに関連する分野にはほぼ全てに量子論の概念が使われています.素粒子理論においても,その理論体系を記述する上で鍵となるのは場の量子論という量子力学に特殊相対性理論を組み込んだ統一したフレームワークです.詳細は後述しますが,これがなければ粒子の生成消滅といった基本的な事柄さえ理解することはできません.さらに量子論は宇宙論方面でも威力を発揮します.銀河形成や宇宙膨張などは非常にスケールの大きな現象ですので,どこに量子論が効いているのかと思われるかもしれません.しかし,例えばブラックホールの状態やダークマターの正体を考察する際には量子論が大きな武器となります.量子論は,理論物理学を語る上でなくてはならないファクターなのです.
[注1]:マックス・プランク(1858-1947).ドイツの理論物理学者.エネルギー量子の概念を導入した量子論の創始者の1人.量子論を特徴づける定数であるプランク定数にその名前が残っている.
[注2]:物体を加熱することで光が発せられる現象.19世紀後半のドイツでは急速な工業化に伴って,物体が持つ熱と光の関係を詳細に理解することが急務だった.
数学者の名前を挙げよと言われて浮かぶ名前は誰でしょうか.ピタゴラス,ヒルベルト,リーマンなどなど様々な回答があると思われます.では女性数学者の名前を挙げよと問われればどうでしょう.おそらく宙を仰ぐ人がほとんどではないかと思います.本コラムでご紹介するアマーリエ・エミー・ネーターはユダヤ系ドイツ人で,特に代数学の分野で非常に著名な女性数学者です.彼女は理論物理学への影響力も絶大で,かのアルベルト・アインシュタインをして「創造的な数学の天才」と言わしめた人物でした.
理論物理学を専攻されている方で「ネーター」の名前を知らない人はいません.解析力学や場の理論では,どんなテキストにも彼女の名前を冠した「ネーターの定理」が取り上げられています.ここで,ネーターの定理について少しご紹介しておきましょう.この定理は「連続的な対称性にはそれに付随する保存量が存在する」ことを主張します.物理学にはラグランジアンという考えたい模型を定める量があるのですが,これにどのような対称性があるかを見れば,それに対応する保存量を構成できてしまうのです.例えば電磁気学や相対性理論ではエネルギー運動量テンソルという保存量があるのですが,これは座標を動かしても理論(ラグランジアン)が不変である,つまり理論の並進対称性に付随する保存量です.実は力学で登場するエネルギー保存則や運動量保存則もネーターの定理の特殊例に過ぎないのです.ネーターの定理は「現代物理学の発展を先導したこれまでに証明された最も重要な数学な定理の1つ」と評されています.実際,この定理以降,理論物理学では対称性が大きな役割を果たすようになり,今日素粒子物理学の金字塔である標準模型の確立につながっています.
女性科学者としてのネーターの研究人生には逆境も多くありました.19世紀初頭のドイツでは根強い男女差別がありました.才覚に恵まれたネーターはエルランゲン大学に進学しましたが,986人中2人しかいなかった女子学生には講義に参加する権限が与えられず,聴講する場合にも出席したい授業それぞれの教授が許可した場合にのみそれが許されるというものでした.逆境は卒業した後も続きます.卒業後彼女はUniversity of Erlangen's Mathematical Instituteで教職につきましたが,ここでの7年間は無給だったようです.さらに1915年には時の大数学者,ダフィット・ヒルベルトによってゲッティンゲン大学に招待されますが,ここでも文献学者と哲学者による反発に遭います.「軍人が大学に戻ってきて女性のもとで学ばなければならないと知ったときどう思うだろうか?」と,現代では考えられないような主張をされました.それに対するヒルベルトの「候補者の性別が彼女が私講師になることに反対する理由であることが分からない.とにかくここは大学であって公衆浴場ではない.」という返答は非常に有名です.
そのような逆境の中でもネーターは輝かしい業績を多く残しました.抽象代数学やトポロジーに多大なる影響を与え,20世紀最大の数学者の1人に数えられています.数学の議論に没頭するネーターは外見の乱れも気にせず,食事中でさえ「食べ物を絶えずこぼしながら」熱中したようです.ただただ真理を追求し続けたその生き様は何より格好良く感じられます.
参考
1. イアン・スチュアート, 『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』, ダイヤモンド社, URL : https://hdl.handle.net/2324/1001673488.
2. マイケル・J・ブラッドリー, 『数学を現代化した予言者たち : 数と論理からコンピュータへ』, 青土社, URL : https://hdl.handle.net/2324/1001413971.