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★素粒子理論に至る道: 計算のフォローと行間埋め

現代物理学を一眺め

式の解釈

物理学書を読む際の重要な要素の一つとして,計算をきちんと理解することが挙げられます.ここでの「理解した」という言葉は程度問題ではあるのですが,主に2つの意味を含意していると考えれば良いでしょう.

1. テキストの計算を自力でフォローできるか.
これは主に前提知識の有無を問うています.物理学書に記述されている計算は,初めてみる場合は面食らってしまうかもしれませんが,実はそのほとんどは微分積分と線形代数を習得していればフォローできるものばかりです.テキストの計算を追えない場合は適宜文献を参照するか,もしくは思い切って別のテキストで復習から先に始めるかを検討する必要があります.

2. 計算の意味を理解しているか.
先述の技巧的な観点からすると,これは別の次元の話になります.物理学書を読み進めている中で,これまでに培った知識を駆使して行間を埋めることはできたけれども
「で,この計算は結局何者なの?」と疑問を抱くことが少なくありません.これは高等学校の学習でも経験した方は多いかと思います.例えば,

  • なぜその近似を用いているのか.(理論や問題の背景に対する理解)
  • なぜその式を考えていくのか/必要があるのか
  • 計算結果にはどのような意味があるのか

計算を遂行して満足するのではなく,これらの観点に基づいて式を理解するというのが重要になってきます.

    

Fig6. 執筆者が一般相対論を勉強していた際のノート.GoodNotesにテキストを読み込み,適宜ページを追加して計算の確認をしていた.
GoodNotesについては過去のガイドを参照.

特に自分がきちんと計算の意味を理解できているかどうかを見極める方法として効果的なのが,「他人に自分の言葉で説明してみる」というものです.これについては「知識の整理法」のページで説明することにしましょう.

テキストも時には嘘をつく

計算をフォローしながらテキストを読んでいく際には,誤植が含まれている可能性も念頭においておく必要があります.中学校,高等学校までの教科書は文部科学省による検定を経てみなさんの手元に届けられますし,4年に1度の改訂を繰り返すことでアップデートもされています.従って,内容に間違いがあることはほとんどありません.しかし,大学で習う物理学や数学のテキストとなると話は変わります.一般の学術書にそのような検定制度はなく,内容に関する画一的な枠組みも存在しません.すると,テキストが有名かどうかに限らず多かれ少なかれ誤植が含まれている可能性をふまえつつ読み進めることが大切になってきます.

 

よくある誤植としては,まず記号のミスが挙げられます.これは例えば\(\alpha\)と書くべきところを\(a\)と書いてしまっているといった具合のミスです(誤植ではないのですが,断りなく記法,つまりノーテーションが突然変わっているというトリッキーなパターンもあります).次によく見受けられるのが式全体の係数が異なるという事例.これはきちんと計算しなくては気づくことができません.あるいは,物理的・数学的に完全に内容が誤っているということも稀にあります(実際僕が修士論文で参照していた有名な文献にも間違いが含まれており,危うく嘘を書いてしまうところでした).

 

このように誤植が出てしまうのはある程度仕方のないことです.特に専門性が高くなればなるほど編集する際の難易度も上がるので,どうしても誤植などには気付きづらくなってしまいます.しかし,読む立場としては死活問題で,内容が間違っているということであればその後の学習にも大きく影響する可能性があります.そこで重要になるのはテキストを批判的に読むことです.批判的に読むとは,テキストの文言を鵜呑みにするのではなく,きちんと自分の言葉で納得できるまで読み込むこと指します.本当にその計算は正しいのか,なぜその主張が成り立つのかと疑いながら読んでいくということが非常に重要なのです.

Fig7. 非常に有名な場の理論のテキストの一節.実はこのどこかに誤植が含まれている.
(Sydney Coleman, "Aspects of Symmetry", Cambridge University Press (1985), URL : https://hdl.handle.net/2324/1000952063

Column6 : 物理にも方言あり?

意外かもしれませんが,物理や数学にも方言のような独特の文化が存在します.ここではその中でも選りすぐりの3つをご紹介しましょう.

まずよく耳にするのは「叩く」という表現です.これは何らかの数式を微分することを指しています.例えば,「こいつをxでたたく」といった風に使用します.意味は「この数式をxで微分する」と言った具合です.ちなみに数式や記号を指す際に「こいつ」という風に人格を持たせたような指示語を用いるのも物理や数学でよく耳にする表現です(興味深いことに,英語でも「This guy」と全く同様の表現をします).

次に物理屋や数学屋がよく使うのは「気持ち」という言葉です.「この式変形の気持ちがわからない.」,「ここでの筆者の気持ちはというと〜」,このような塩梅で連発するわけです.僕自身もこの言葉を1日に1回は必ず使っているような気がします.ここでの「気持ち」とは,論理展開や式変形の動機といった「筆者の思考」のことを指しています.つまり上の言葉を言い直すなら,「この式変形の目的がわからない」,「ここで筆者が述べている主張の根拠はというと〜」となるわけです.物理屋がテキストや論文に目を通す時は,常にこの「気持ち」を読み取ろうと必死です.

最後に,これは素粒子物理独特の文化ですが,目上の人に対して「さん付け」で呼ぶ文化が存在します.大学院生も例外ではなく4,50代,あるいはもっと上の年代の先生に対しても遠慮なく「さん付け」する事が多いです(さすがに大御所の方にもなると躊躇われますが).ですので,よく素粒子物理学を専攻する学生が他分野の先生をさん付けして機嫌を損なうという事件が発生しています(笑).このような風潮には素粒子物理周辺,特に素粒子理論に広がる「年齢や立場に関係なく,誰でも対等かつ自由に議論する」という精神が反映されているようです.起源については定かではないのですが,一説には仁科芳雄先生が日本に持ち込まれた「コペンハーゲン精神」が活きているとされています.コペンハーゲンの精神とは
①わけへだてのない協力の精神
②型にはまらない自由な討議
③ゆとりとユーモアのある探究
を尊重する精神で,ボーア研究所の研究者の間で共有されていた精神でした.1923年から5年半,ボーア研究所に留学した仁科芳雄先生は,その自由闊達な風土を持ち帰り,日本の素粒子物理学研究を世界と闘えるレベルにまで引き上げたとされています.

物理や数学の教科書は堅苦しい表現の多い印象があるかもしれませんが,物理屋や数学屋が日常的に使う言葉には独特で興味深い文化が潜んでいます.そのような文化に着目してみるのも面白いかもしれません.