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【Cuter企画】ブックレビューコレクション: 1 哲学

図書館TA(Cuter)の発案で始まった「ブックレビューコレクション」について、提出されたレビューを掲載しています。

哲学

九州大学附属図書館の請求記号を基にした、
日本十進分類法 1類 哲学の本のブックレビュー一覧です。

ブックレビュー

  • レビュー

    Date2024-02-22

    Name百道どんこ

    数々の社会問題やベトナム戦争での取材経験を含む独自の経験をもとに、繊細な描写と力強いメッセージ性のある作品を得意とする小説家・開高健が趣味の「釣り」について書いた一冊。著者が「釣り」を趣味として本気で追求する姿と、趣味を通じて見た世界が描かれている。釣りをしたことがある人ならば、本書の魚を釣り上げる描写の鮮明さに驚くことだろう。社会問題などへの含みもありながら、趣味を追求する大人というものを強く印象付ける、釣り人のバイブル的作品。
  • レビュー

    Date2024-01-12

    Nameセブン21

    「贅沢」と聞いたとき、パッと想起されるのは華やかな舞踏会です。目も眩むばかりのアクセサリー、贅を尽くした、それでいて動きにくそうな衣装……。しかし現実には、そんな光景は過去の遺物となっています。「贅沢」は何であったのか、どう変遷したのか、そして、「贅沢」とは何なのか。自己顕示欲が暴走するSNS全盛期、改めて読み直したい一冊です。
  • レビュー

    Date2023-08-03

    NameT. Y.

    思考実験とは何か科学の変遷と有名な思考実験から説明している一冊です。自分が普段どのようにして物事を考えているのか整理するのにも役立つので、思考実験そのものに興味がない人にもおすすめです。
  • レビュー

    Date2023-08-05

    NameT. Y.

    〇〇主義と書かれたタイトルを見て読み飛ばそうとしていませんか?これは文系から逃れてきたthe 理系の人こそ手に取ってほしい一冊です。構造主義の考え方はScienceととっても相性が良いです。文系と呼ばれる学問が面白く感じられるようになる観点を提示してくれます。読了後、自分の考え方とマッチしたよーって方は是非、構造主義の後、ポスト構造主義についても調べてみてください。とっても面白いですよ。
  • レビュー

    Date2021-11-08

    Name友村 達夫

    以下の戯文は、いまを去る35年ほど前、大学2年次の友人Aが失意の仏文の同級・中城ふみ子(仮名)に宛てて書いた書評(1986年〇〇大学生協の書評誌に掲載)を、少々改作したものである。 クリエイターN女史の眠られぬ夜のために - 謹呈『批評家を批評する』(マルセル・パニョル著 川俣晃自譯、岩波新書、1954年)- 1. 偏りを有する二項対立 ‘二項対立’という言葉がある。対立関係を表す論理学のテクニカル・ターム。いやでも、ここでは難しい哲学の話をしようというのじゃない。もっと世俗的な対立関係、男と女、教師と生徒、資本家と労働者、原告と被告といったようなものを考える。 こうした関係は、対立の最中にある当事者の心情には深刻なものがあると察するに余りあるけれども、双方の感情を言葉で公然とぶつけ合えることで、双方にカタルシス的な効果もあるんじゃないか。 しかし世の中には、先鋭化された一方向的とも言える不当な・不公正な・横暴な・偏頗な関係があるのだ。一方はひたすら攻撃するのみ、他方は何を言われてもひたすら黙するのみといったような。それは、‘批評家(クリティック)’と‘クリエイター’の関係である。 2. クリエイターの哀れ もちろん、批評家が‘迫害する者’、クリエイターが‘耐え忍ぶ者’である。 批評家は、周到に不具者の偽善を装って、自己を卑下するけれども。以下のように。 「批評家は、うしろを振りむいて、去勢された自分の影を見る。作家になれるものなら、誰が批評家になるだろうか。自分でカラマーゾフの兄弟たちをあそこまで描き出せるのなら、誰がドストエフスキーに手のこんだ洞察を加えようなどとするだろうか。…歌われる詩をつくれるなら、かぎられた自分の存在から、生きた小説を、永遠に生きる作中人物を生みだせるのなら、誰が文芸批評家などになろうとするだろうか」(言語と沈黙(上)、ジョージ・スタイナー、せりか書房、1974年) でもやっぱりそれは偽善なのだ。ドストエフスキー(作家)、武満徹(作曲家)、蜷川幸雄(劇作家)などといったクリエイター達の惨状を見れば。 〇ドストエフスキー:「処女作の成功がもたらした人気は、しかし、長くはつづかなかった。つづいて発表した小説『分身』や『プロハルチン氏』が批評家たちから痛罵され、そのうえ自尊心が強く、交際べたな青年の性格が、サロンで嘲笑と痛罵を買った」(ドストエフスキー小伝(『文芸読本 ドストエフスキー』所収)、池田健太郎、河出書房新社、1976年) 〇武満徹:「でもね、最初のデビュー曲(書評子注:ピアノ曲『2つのレント』)の時だけど新宿で新聞買ってね、ちらっと見たら、きついこと書いてあるんだね。「音楽以前である」と一言。それで終わり。目の前が真っ暗になって…。目の前にちょうど映画館があったから、切符を買って中に入って、真っ暗い中で、一人すみっこで(笑)泣きたいだけ泣いてね、もうおれは音楽をやらなくてもいいと思ったの」(音楽、小澤征爾・武満徹、新潮文庫、1984年) 〇蜷川幸雄:「『NINAGAWAマクベス』は初演当時(1980年)、日本で大して評判よくなかったんだよ。観客のベスト1、批評家のワースト1。」「評価は一貫して「ヨーロッパの本家に似ていないからダメ」。打ちのめされるから頑なになる」(蜷川幸雄の仕事、蜷川幸雄ほか、新潮社、2015年) 3. 快哉!クリエイターの慰めの書:『批評家を批評する』 しかし、こうしたクリエイターの無念を晴らし、批評家に神の鉄槌を振り降ろさんと馳せ参じたアロンソ・フェルナンデス・デ・アベジャネーダがありました。ここに紹介するマルセル・パニョル氏であります。そしてその著『批評家を批評する』です。 著者は、1900年代前半にパリで活躍した劇作家、小説家、映画作家。日本では、映画「愛と宿命の泉」(出演者は、エマニュエル・ベアール、ジェラール・ドパルデュー、イブ・モンタンなど)の原作者として知ったいる人がいるかも。なお翻譯者は、数々の小説や哲学書の名仏文訳が嬉しい劇作家、小説家、フランス文学者の川俣晃自。 劇作家でもあるパニョル氏は、芝居の興行師よろしく、まずは控えめな前口上を披露します。 「世の中には批評というものがあってしきりと作家たちのあげおろしをやっています。そこにまあ批評の批評たるたったひとつの存在理由もあるわけですが。ところがさて批評家たちのあげおろしということになると、そんなことはだれもやっていませんし、批評家たちがつくった傑作を賞めたたえるなどという話もまず聞いたことがありません」 「そこでこのわたしがごめんこうむって、批評家というもの、また批評の仕事というものについてのわたしの考えを申しあげてみたいと、こう思い立ったわけです。批評家の演じる役割、批評家の仕事の功罪、つまるところ批評家はなにをなすべきかについての愚見を申し述べてみたいというわけです」 さて、いよいよ助走開始です。 「批評という商売はこの世の中でいちばん古い商売のひとつにちがいありません。つまり、いつの時代にも、自分ではたらいてものを作り出せないばっかりに、他人のはたらきぶりや他人の作ったものばかりを世にももったいらしく品評することを仕事にしてきた連中がいたにちがいないからです」 段々と筆が乗ってきます。 「こういった尋常でない連中は、明けても暮れても、ぼくのここのところが人なみだったらなあとそのことばかり思いつめ、満たすに満たされない願いにじりじりしているいきおいあまって、つい、虫眼鏡でものぞくみたいに、垂涎おくあたわざるくだんの目的物のすみからすみまで見通してしまう、などということもなきにしもあらずです」 かのフランス古典文学の傑作『ラシーヌ』も無視され葬り去られていたようです。その後で。 「批評というものが犯したあやまち、いたずら、しかもそういう責任を回避しようと計った盗人たけだけしいやり口を一々書き立てようと思ったら、それこそすごく大部な本ができあがってしまうことでしょう」 「すべてこういった批評家たちは、自分の力だけではどうしても世間の注目を惹きつけることのできなかった憐れな三文文士四、五人の寄り合いなのです。世間の喝采を浴びるような作品があらわれたら早速やっつけてやろうと手ぐすね引いて待ちかまえているのです」 終いには、エスカレートして、とうとう宦官までも引き合いに出して、やっつけちゃう始末。 「批評家というやつがこれです。あでやかな美女が九人も遊んでいる詩の花園を詩人がそぞろ歩いて、大きな緑の月桂樹の葉陰でやんわり楽しむありさまをまるで宦官みたいに見ているのですね。もし彼にして足腰達者な人間だったら往来の石ころぐらいはひろって塀の陰からぶつけてやりたくならざるを得ないわけです」 「生産不能な批評家というやつは卑怯者です。俗人の女房に色目を使う坊主みたいなものですね。さりとて女のほうからお返しをするわけもいかず、どうで相撲にはなりませんて」 まだまだ八章あるうちの二章の、それもほんのごく一部を紹介したにすぎないのですが、パニョル氏の呪詛、皮肉、嘲笑はますます白熱化していきます。もちろん所々で、懸命にフランス紳士たるべく礼節を保とうと踏み止まろうとはするのですが、勢い余って思わず…というわけです。きっと君も、涙、涙、涙の捧腹絶倒、欣喜踊躍、手舞足踏することでしょう。 誇り高き血筋の姫君、わが中城女史よ(コロス合唱)、御書帙、お気に召されましたか。またBGMには、かのデカルト師も聴き入ったに違いないリュート曲、件の名手コンラート・ユングヘーネルが爪弾く『何某批評家氏へのトンボ―(追悼曲)』(シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス、1755 Widhalm Swan-neck Baroque Lute、Audivis-Atrée)を御用意させて頂きましたが、いかがでしょうか(書評子注:もちろん、そんな曲は実在しないのですが)。 4. 批評のレゾン・デートル それでもなお、批評というものに存在理由などはありましょうか。この書評自体も一種の批評とすれば、何か救えるものがあるといいのですが。前掲したスタイナーは、「人間を守る読書」を、以下の文章で閉じています。 「伝統的な価値の世界が破壊されてしまったのだから、言葉そのものがねじまげられ安っぽくされているのだから、古典的な表現やメタファーが過渡的な複雑なものに席をゆずりつつあるのだから、読み方の、真の読書の技術が、もう一度つくり直さなければならない。文芸批評の仕事は、人間のすべてをあげていかに読むかを、正確さにおいても、恐怖と喜びにおいても、おしえることにある。創造の行為にくらべれば、その仕事は二次的なものである。しかし、それは今日かつてないほど大切な仕事となっている。それなしには、創造もまた沈黙に落ちこむことになるかも知れない」(言語と沈黙、ジョージ・スタイナー、せりか書房、2001年) 5. さいごに 『批評家を批評する』は、こんなにも愉快な本で、色々と妄想を巡らせてくれるものなのに、過去、識者による岩波新書のセレクションでは一度も選ばれたことがない。なぜ。おそらくは、その多くが批評家でもある選者にとっては華氏451度で焼却すべき焚書の対象、クリエイターには涙に濡れた枕の下にそっと忍ばせておく‘秘匿の書’だったからなのでしょうか。 ●書名    批評家を批評する ●責任表示 マルセル・パニョル著 ; 川俣晃自譯 ●シリーズ 岩波新書 ; 青-175 ●出版者 東京 : 岩波書店 ●出版年 1954.8 ●所蔵    理系図書館2階 文庫新書
  • レビュー

    Date2022-11-12

    Name

    「なぜ僕は存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という、誰もが<子ども>の頃に抱く、しかし大人になると考える事をやめてしまう、この2つの大問題をとことん考える過程を通して哲学という主体的営為の在り方を説いた本
  • レビュー

    Date2022-07-06

    Nameセブン21

    言論は、なぜ自由になされるべきなのか。主観的な「好き・嫌い」を押し付けることの危険性とは。自由という大きなテーマについて考えるとき、常に参照されるべき名著です。

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