折鶴、かぶと、奴さん…
日本で生まれ育った人なら、一度は作ったことがあるでしょう。これらは伝承折り紙と呼ばれ、古くから日本に伝わる物だと言われています。
そして「折り紙」自体も、日本の伝統文化の一つとして、人々に親しまれています。「折り紙には、日本人の精神性が反映されている」という見方もあるようです。
参考:おりがみの歴史>なぜ日本に折り紙文化がうまれたか(日本折紙協会)
現在、折り紙はOrigamiとして世界的にも有名になりつつあります。
しかしながら、下記の例のように、Origami以外の呼び方をする地域もあります。
また、スペインやフランスには、Pajarita(西)あるいはCocotte(仏)という、折り紙のようなペーパークラフト作品があります。
[1-1] Pajarita |
このように、日本以外にも、紙を折って物の形を作る遊びがあります。
紙あるところに折り紙あり。紙が手に入る地域で、折り紙のような遊びが生まれたのも、自然なことだったのかもしれません。
とはいえ、日本ほど体系的に「折り紙」が作られた地域は、世界中を探してもなかなか見当たりません。
日本人はどのように「折り紙」を楽しみ、育んできたのでしょうか。
ここでは、日本国内での「折り紙」文化の歴史を紹介します。
[画像] | |
1-1 | Pajarita on みたにっき@はてな (2021.03.08参照) |
[参考] | |
ESBLEND スペイン繋がり情報サイト「実は奥深いスペインの折り紙文化」(2021.03.08参照) |
「折り紙付き」という言葉があります。
「彼の実力は折り紙付きだ」などと使います。
辞書を引くと、下記のように解説されています。
鑑定結果を証明する折紙が付いていること。転じて、そのように、事物の価値や人物の力量、資格などが、保証するに足りるという定評のあること。また、武芸や技芸などで、一定の資格を得た人。悪い意味にもいうことがある。
(日本国語大辞典第二版より「おりがみ‐つき」)
ここでいう「折り紙」は、現在の「折り紙」とは違います。
上記の通り「鑑定結果を証明するための紙」のことです。
折り紙の歴史を考えるには、「折り紙」という言葉が表す意味を意識しなければなりません。
そのため、しばしば次のような用語が使われます。
儀礼折り紙:儀礼・礼法として様式化された折り紙
遊戯折り紙:紙を折って物の形を作る遊びとしての折り紙
現在「折り紙」という場合は、「遊戯折り紙」に該当します。
一方で、それとは別に、「儀礼折り紙」と呼べるものも存在します。
「遊戯折り紙」の歴史を見る前に、まずは「儀礼折り紙」の歴史を見ておきましょう。
高麗王貢上僧曇徴・法定。曇徴知五経。且能作彩色及紙墨、幷造碾磑。(高麗王は僧曇徴・法定を貢上した。曇徴は五経に通じており、またよく絵具や紙墨を作り、そのうえ水臼も作った。)
(『日本書紀 2』小学館、新編日本古典文学全集、p563)
[1-2] 御幣 |
これは「日本書紀」推古天皇の治世の記事で、紙に関する日本最古の記録です。
飛鳥時代の610年(推古天皇十八年)、絵具・紙・墨づくりに長けた僧侶 曇徴(どんちょう)が来日したといい、製紙法が伝わったことが示唆されています。
実際にはその前後から日本でも渡来人によって紙が作られていたとも考えられていますが、以降、日本では独自に製紙法が改良され、和紙が形成されていきました。
製紙技術の向上と、紙の普及に合わせて、神社の祓(はらい)・御幣(ごへい)・垂(しで)など、紙による装飾が作られるようになったと考えられています。
紙による装飾や、贈答品の包み方は、次第に様式化され、儀礼として確立されました。
[画像] | |
1-2 | Shinto gohei.jpeg by nnh on Wikimedia commons / public domain (2021.03.08参照) |
[参考] | |
小学館 日本大百科事典より「和紙」(執筆者 町田誠之) | |
小学館 日本大百科事典より「折り紙」(執筆者 菩提寺悦郎) |
[1-3] 『包結記』その一 |
画像[1-3]は、江戸時代中期の1764年(宝暦十四年)に伊勢貞丈(いせさだたけ)が記した『包結記』の一部です。この書物では、礼法の家である伊勢家に伝えられた、物の包み方や結び方にまつわる礼法がまとめられています。
序文には、次のように書かれています。
伊勢家の事は京都将軍家殿中の礼式をつかさとられ小笠原家の射芸をもかねたまひし事はあまねく人のしる所なり
(伊勢家については、室町幕府将軍家の殿中の礼式を管轄なさり、小笠原家の弓術も兼ねておられたことは、多くの人が知る所である。)
ここでは、「あまねく人の知る所」として、室町時代に伊勢家が礼法を管轄していた旨が書かれています。
実際、室町幕府八代将軍 足利義政の時代、政所執事であった伊勢貞親(いせさだちか)が、武家の礼法の整備に大きく影響を及ぼしました。
このように、礼法が整備されていく中で儀礼折り紙も整えられていったと考えられます。
[1-4]『包結記』その二 |
[1-4]は、同じく『包結記』の一部です。
現代人にも馴染みがある形ではないでしょうか?
これは、熨斗袋(のしぶくろ)の作法を示した図です。
儀礼折り紙の大部分は現代では姿を消してしまいましたが、一部はこの熨斗袋のように、現代にも引き継がれています。
…さて、ここまで「儀礼折り紙」について見てきました。
では、「遊技折り紙」はどのように生まれたのでしょうか?
次ページではいよいよ、今日につながる「折り紙」の歴史を見ていきたいと思います。
[画像] | |
1-3 | 国文学研究資料館蔵『包結記』前編、二十三丁裏、二十四丁表 on 新日本古典籍総合目録データベース / CC BY-SA 4.0 (2021.03.08参照) |
1-4 | 同上前編、十丁裏、十一丁表 on 新日本古典籍総合目録データベース / CC BY-SA 4.0 (2021.03.08参照) |
[参考] | |
小学館 日本大百科事典より「折り紙」(執筆者 菩提寺悦郎) | |
吉川弘文館 国史大辞典より「伊勢貞丈」(執筆者 鈴木敬三) | |
吉川弘文館 国史大辞典より「伊勢貞親」(執筆者 二木謙一) |
「折り紙の歴史」ページの記述にあたっては、下記資料を参考にしています。
小学館 日本大百科事典より「折り紙」(執筆者 菩提寺悦郎)
国立国会図書館リサーチ・ナビ 第151回常設展示 本の中の「おりがみ」 (2021.03.08参照)
日本折紙学会 岡村昌夫「折り紙の歴史」 (2021.03.08参照)
五十嵐 裕子「折り紙の歴史と保育教材としての折り紙に関する一考察」(浦和大学『浦和論叢』46,pp45-68) (2021.03.08参照)