日本で初めて鉛筆を使ったとされている人は誰でしょう? → 徳川家康!
上記のようなクイズを解いたことがある方も多いのではないでしょうか。
実際に、徳川家康の遺品には鉛筆があり、現在でも東照宮博物館にレプリカが展示されています。
最古であるかどうかはともかくとして、相当古いのは確かでしょう。
……えっ、こんなクイズ解いたことない?
すみません、私のコモンセンスがバグっていたかもしれません。
ただ、当時の鉛筆は、あくまでも高級な舶来品。庶民が日常使いするようなシロモノではありませんでした。
明治時代初期には、ドイツから鉛筆が輸入されるようになりますが、数量はわずかにとどまり、一部の人が使用したのみでした。
一方、特使として渡欧した若者たちが製造技術を持ち帰ったことにより、国産鉛筆の製造の端緒も見え始めます。
明治10年代には多くの鉛筆職人が誕生し、手工業で国産鉛筆が製造されていきました。
……が、三菱鉛筆社の社史、『鉛筆とともに80年』は、この時期の鉛筆を以下のように表現します。
(本書については、次頁のコラム:1966年刊行の「プロジェクトX」もご覧ください。)
「これらは試作の段階を越えるものではなく、わが国において本格的な鉛筆製造が開始されるためには、わが三菱鉛筆の創業者、真崎仁六の研究完成まで待たねばならなかった。」 (三菱鉛筆社史編纂室編『鉛筆とともに80年』(三菱鉛筆、1966年)10頁)
きびしいっ!!
社史は、以下のように続けます。
「日本の鉛筆を語るとき、真崎仁六を忘れることはできない。なぜなら、彼こそ、鉛筆工業をわが国にもたらし、こんにちみられる隆盛の基礎を築いた第一の功労者だからである。」 (10頁)
こちらの社史、めちゃくちゃ文章が上手いのです。とにかく読み物として面白い。
しかし、この本にベッタリで書き進めることには不安もあります。
本ガイドが三菱鉛筆のプロパガンダと化しかねません。
特に真崎仁六は三菱鉛筆の創業者ですので、美化して描くインセンティブがどうしても働いているはずです。
焦った私は、別の書物にあたってみました。
石井研堂という人物が著した、『明治事物起原』です。
同書の改訂増訂版(1944年)には、以下のように書かれています。
「鉛筆製造界に一異彩あるは眞崎鉛筆製造所なり。誰にも師事する所なく自家の考案に成る機会方法を使用し、絶対的秘密にして他人を工場内に入れず、又他の工場を見んともせず孤立して営業せり。螺旋口金物にて芯を抑える式の鉛筆特許権を有せり。」 (石井研堂『改訂増訂 明治事物起源』(春陽堂、1944年)926頁:漢字・仮名遣いは適宜改めた)
同書の初版(1908年)には、同様の記載はありません 。
仁六の鉛筆工業は、三菱鉛筆社外から見ても、確かにエポック・メイキングであったようです。
本文でご紹介した『明治事物起原』、実はちくま学芸文庫で復刊されています。
その分量、実に8冊。
長い!!
明治時代の風俗、産業、日用品に至るまで、その起源を丹念に追った本書。
目次を眺めていると、今は無くなってしまったものや、今もあるけれど由来を考えたことはないものなどが並んでおり、興味をそそられます。
本文で引用したのは「鉛筆」の項目でしたが、他の箇所もおすすめです。
ぜひ、パラパラと目次をご覧になった上で、興味の惹かれる箇所をご覧ください。
きっと一つは、面白い項目と出会えるはずです。