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4.1 血統表に頻出の馬
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4.3 著者のイチオシ馬たち
5. はみだしよみもの
5.1 ダービーよりも人気のレース!?
5.2 日本の障害競走・超入門
5.3 サラブレッドと (の) 乳母馬
6. おわりに
7. 参考文献
「三大種牡馬」とは,1990年代の日本の馬産地を席巻したサンデーサイレンス,トニービン,ブライアンズタイムの三頭のことをいう言葉です。2023年現在,直系種牡馬としてはサンデーサイレンスの一人勝ち状態ですが,牝系ではトニービンやブライアンズタイムの名前もしばしば見かけます。
ここではそんな三大種牡馬たちが,資料中でどのように紹介されているかを見ていきましょう。
サンデーサイレンスは父Halo,母Wishing Well,母父Understandingという血統で,1986年3月25日にアメリカで誕生しました。
(掲載: FOALS OF 1986 p. 926)
競走馬としてはケンタッキーダービー (ダート約2000m),プリークネスステークス (ダート約1900m) を勝利しましたが,幼少期に消化器疾患で生死の境を彷徨うなど一筋縄ではいかない幼少期を過ごしました。引退後はアメリカで種牡馬入りするために調整がなされていましたが,結局日本で種牡馬入りしました。
種牡馬としてのサンデーサイレンスはもはや説明不要なほどの功績を残しました。主な産駒は無敗のクラシック三冠を達成したディープインパクト,個性的なキャラクターと種牡馬としての功績の両方で愛されたステイゴールド,高松宮記念 (芝1200m) を制し,種牡馬としては数少ない産駒の中からG1ホースマイネルホウオウを輩出,現在は可愛らしい様子がSNSで話題のスズカフェニックスなど枚挙にいとまがありません。
母父としては平地G1競走9勝を達成したアーモンドアイ,2000年代後半のダート戦国時代を戦い抜き,引退後は東京競馬場の誘導馬として活躍し,SNSをする馬の先駆けとなったサクセスブロッケン,マイルチャンピオンシップ (芝1600m) を勝利し,舌を出す癖から「ぺるぺる」の愛称で親しまれ,京都競馬場で誘導馬になっても相変わらず舌を出しているペルシアンナイトなどを輩出しました。
トニービンは父Kampara,母Severn Bridge,母父Hornbeamという血統で,1983年4月7日にアイルランドで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.XL (40) PART 2 p1694)
4歳までは善戦が続きましたがイタリア調教馬として27年ぶりに凱旋門賞を制するなど堅実に,時に華やかな活躍をしました。その後引退レースとして1988年のジャパンカップを選びましたが,ペイザバトラーの5着に終わりました。
その後日本で種牡馬として繋養されたトニービンは,BNW (ビワハヤヒデ,ナリタタイシン,ウイニングチケットの頭文字をとったもの) のライバル関係でファンを沸かせ,余生を満喫して32歳で旅立った長寿のダービー馬ウイニングチケットや,オークス (芝2400m) を母娘制覇し牡馬とも対等に渡り合ったエアグルーヴ,マイルの女王ノースフライト,日本ダービー (芝2400m) を制し,種牡馬としても成功を収めたジャングルポケットなどを輩出しました。余談ですが,お笑いユニットの「ジャングルポケット」は,東京で強かったジャングルポケットにあやかってつけられたそうです。
母父としては有馬記念 (芝2500m) で無敗の三冠馬ディープインパクトに初めて土をつけたハーツクライやスプリントの女傑カレンチャン,「10年に一頭の障害馬」としてオジュウチョウサンと熱闘を演じたアップトゥデイトを輩出しました。
ブライアンズタイムは父Roberto,母Kelley's Day, 母父Graustarkという血統で,1985年5月28日にアメリカで誕生しました。著者のちょうど10歳年上です (どうでもいい情報)。
(掲載: AMERICAN STUD BOOK VOL.XXX (30) PART 1 p. 2072)
競走馬時代はフロリダダービー (ダート約1800m),ペガサスハンデキャップ (ダート約1800m) を勝利し,競走馬として引退した後は日本で種牡馬入りしました。
主な産駒に「シャドーロールの怪物」と呼ばれた牡馬クラシック三冠馬のナリタブライアン,ダートの賞金王で種牡馬引退後はスズカフェニックスとなかよしツインズを結成したタイムパラドックス,ウオッカとの父娘ダービー制覇を成し遂げ,現在は「牧柵破壊神」のあだ名で牧場スタッフを恐れさせているタニノギムレットなどを輩出しました。母父としては天皇賞 (春) (芝3200m) を大逃げで制し,引退後は京都競馬場で誘導馬として活躍したビートブラックや,デビュー17年目の丸田恭介騎手をはじめ,調教師,生産者,馬主とかかわる人々すべてに初めてのG1競走勝利を捧げたナランフレグなどを輩出しました。
ハイクレアは父Queen's Hussar, 母Highlight,母父Borealisという血統で,1971年4月9日にイギリスで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.XXXVII (37) PART 1 p.602)
現役時代は1000ギニーステークス (芝約1600m。日本の桜花賞に相当) やディアヌ賞 (芝2100m) に勝利するなど,輝かしい成績を残しました。繁殖牝馬としてはプリンスオブウェールズステークス (芝約2000m) を勝利し,種牡馬としても活躍したハイトオブファッション,この次に紹介するウインドインハーヘアの母でもあるバークレアーを輩出しました。
ちなみにハイクレアとその母Highlightは,いずれも前イギリス国王であったエリザベス2世の生産馬であり持ち馬でした。ハイクレアについて書かれた箇所を見ると,生産者のところに「The Queen」という文字が輝いています。あまりにも絵面が強すぎたので実際の写真をどうぞ。
(GENERAL STUD=BOOK VOL.XXXVII (37) PART 1 p.602より引用)
ウインドインハーヘアは父Alzao,母Burghclere,母父Bustedという血統で,1991年2月20日にアイルランドで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.XLII (42) PART 1 p. 320)
現役時代はドイツのG1競走,アラルポカル (現在はバイエルン大賞と改名。芝2400m) を勝利しています。引退後はアイルランドと日本で繁殖生活を送り,キタサンブラックの父ブラックタイドや,無敗のクラシック三冠を達成し,種牡馬としても破竹の活躍を見せたディープインパクトを輩出しました。現在は繁殖牝馬を引退し,ノーザンホースパークでポニーたちと一緒に暮らしています。2024年3月現在でもご健在だそうです。
余談ですが,ウインドインハーヘアの曾孫がイギリスと日本それぞれを代表する障害レースを制覇したという珍しい記録があります。日本では中山グランドジャンプをイロゴトシ (父ヴァンセンヌ,母イロジカケ,母父クロフネ) が,イギリスではグランドナショナルをCorach Rambler (父Jeremy,母Heart N Hope,母父Fourstars Allstar) がそれぞれ制覇しています。ウインドインハーヘアの血統は祖国でも強さを見せつけているのですね。
ダンシングキイは父Nijinsky II,母Key Partner,母父Key to the mintという血統で,1983年にアメリカで誕生しました。
(掲載: AMERICAN STUD BOOK VOL. XXIX (29) PART 1 p. 1972)
競走馬としては出走することなく日本に繁殖牝馬として輸入されたダンシングキイは,オークス (芝2400m) やエリザベス女王杯 (芝2200m) を制したダンスパートナー,菊花賞 (芝3000m) を制したダンスインザダークなど,クラシック競走を制した産駒を多数輩出しました。ダンシングキイの子孫からも重賞で活躍する競走馬が多数輩出されています。
スカーレットインクは父Crimson Satan,母Consentida,母父Beau Maxという血統で,1971年にアメリカで誕生しました。
(掲載:AMERICAN STUD BOOK VOL.XXVI (26) PART 1 p. 633)
競走成績は1戦0勝と現役時代大きな活躍をすることはできませんでしたが,繁殖牝馬としてはダイワメジャーやダイワスカーレットなどの名馬を輩出し,自身も4つの重賞を制したスカーレットブーケや,繁殖牝馬として4頭の重賞勝ち馬を送り出し,現在は「Yogiboで寝転がる馬」ことアドマイヤジャパンにストーキング (?) されているスカーレットレディの母であるスカーレットローズを輩出しました。
ローザネイは父Lyphard,母Riviere Doree,母父Secretariatという血統で,1988年2月9日にフランスで誕生しました。
(掲載: Stud book français TOME 41 p. 1135)
競走馬としてはそこまで輝かしい成績ではなかったローザネイですが,繁殖牝馬としては直仔のロゼカラーやロサードが重賞を勝利しました。さらに,ロゼカラーやその子孫が重賞で活躍したことからローザネイを祖とする牝系は「薔薇一族」とも呼ばれています。
薔薇一族は重賞で活躍するもののG1のタイトルに手が届かない,と言われていましたが,2009年にローズキングダムが朝日杯フューチュリティステークス (芝1600m) を勝利し,薔薇一族に初のG1タイトルをもたらしました。さらに,2022年にはスタニングローズが秋華賞 (芝2000m) を制覇し,薔薇一族に初めてのクラシック競走制覇をもたらしました。
ディクタスは父Sanctus,母Doronic,母父Wordenという血統で,1967年にフランスで誕生しました。
(掲載: Stud book français TOME XXXIV (34) p.271)
現役時代のG1競走勝利はジャック・ル・マロワ賞 (芝1600m) の1つのみでしたが,引退後はフランスと日本で種牡馬として活躍しました。
主な産駒にはオークツリー招待ステークス (芝約2000m。現在のレース名はジョンヘンリーターフチャンピオンシップステークス) を勝利したザラテアや,父と同じくマイル路線で活躍したサッカーボーイ,体質の頑丈さから「鉄の女」という愛称で親しまれたイクノディクタスなどがいます。また,母父として香港ヴァーズ (芝2400m) を勝利し,種牡馬としてもオルフェーヴルやゴールドシップ,オジュウチョウサンなど個性的な産駒を数多く送り出しているステイゴールドを輩出しています。
キングマンボは父Mr. Prospector,母Miesque,母父Nureyevという血統で,1990年2月19日にアメリカで誕生しました。
(掲載:FOALS OF 1990 p.481)
父Mr. Prospectorは20世紀を代表する種牡馬,母MiesqueはG1競走を10勝するなど超良血のキングマンボは,フランス2000ギニー (芝1600m。正式名称はプール・デッセ・デ・プーラン) をはじめとしたG1を2勝しました。その後アメリカで種牡馬入りし,ジャパンカップ (芝2400m) やサンクルー大賞 (芝2400m) を制したエルコンドルパサーや,NHKマイルカップ (芝1600m) と日本ダービー (芝2400m) の変則二冠を達成し,種牡馬としてもロードカナロアやドゥラメンテを輩出するなど大活躍したキングカメハメハ,天皇賞 (秋) (芝2000m) でのミルコ・デムーロ騎手の最敬礼が印象深いエイシンフラッシュの父として有名なキングズベストなどを輩出しました。
ノーザンテーストは父Northern Dancer,母Lady Victoria,母父Victoria Parkという血統で,1971年にカナダで誕生しました。
(掲載: AMERICAN STUD BOOK VOL.XZXVI (26) PART 1 p.1775)
アメリカやヨーロッパで現役生活を送ったノーザンテーストは,引退後日本に種牡馬として輸入されました。主な産駒にはエアグルーヴの母でオークス (芝2400m) を勝利したダイナカール,シンボリルドルフを天皇賞 (秋) (芝2000m) で破ったギャロップダイナ,中山グランドジャンプ (障害2450m) を制したビッグテーストなどがいます。また,母父としても秋華賞 (芝2000m) を制したエアメサイア,日本の短距離路線が充実するきっかけとなったサクラバクシンオーなど数多くの名馬を輩出しています。
現在日本におけるノーザンテーストの直系はかなり先細りしていますが,中国では父父ノーザンテーストのメジロアルダン産駒であるWu Diが種牡馬として活躍しています。
フレンチデピュティは父Deputy Minister,母Mitterand,母父Hold Your Peaceという血統で,1992年1月30日にアメリカで誕生しました。
(掲載: FOALS OF 1992 p.441)
現役時代の重賞勝利はジェロームハンデキャップ (ダート約1600m。現在の名称はジェロームステークス) の1勝にとどまりましたが,種牡馬として日米で活躍しました。主な産駒には芝とダートの両方でG1競走を制覇したクロフネ,宝塚記念 (芝2200m) を制覇したエイシンデピュティがいます。また,母父として日本調教馬で初めてアメリカのブリーダーズカップを制覇したマルシュロレーヌや秋華賞 (芝2000m) とジャパンカップ (芝2400m) を制したショウナンパンドラを輩出しました。
パーソロンは父Milesian,母Paleo II,母父Pharisという血統で,1960年にアイルランドで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.34 p.530)
現役時代は2歳限定戦のG1競走であるナショナルステークス (芝約1400m。現在はヴィンセントオブライエンステークス) を含む14戦2勝と,そこまで華やかな競走生活ではありませんでした。しかし,種牡馬としては日本初の無敗のクラシック三冠馬シンボリルドルフや,天皇賞 (秋) を制したメジロアサマを輩出するなど大きな功績を残しました。また,メジロアサマの血はメジロマックイーンを通じてオルフェーヴルやゴールドシップ,さらにその産駒たちに受け継がれています。
一方,パーソロンの直系種牡馬はトウカイテイオー産駒のクワイトファインなどごく少数となりました。クワイトファインの種牡馬としての活動は,インターネットで定期的に近況が報告されています。
モガミは父Lyphard,母No Luck,母父Lucky Debonairという血統で,1976年にフランスで誕生しました。
(掲載: Stud book français TOME XXXVII (37) p. 724)
競走馬としては重賞勝利には恵まれませんでしたが,引退後は種牡馬としてダービー馬のシリウスシンボリや日本初の牝馬クラシック三冠馬であるメジロラモーヌ,牝馬ながら中山大障害 (秋) (障害4250m) を制覇したメジロマスキットを輩出しました。現在でも香港ヴァーズ (芝2400m) を制したグローリーヴェイズにモガミの血は受け継がれています。
ダンシングブレーヴは父Lyphard,母Navajo Princess,母父Droneという血統で,1983年にアメリカで誕生しました。
(掲載:AMERICAN STUD BOOK VOL.XXIX (29) PART 2 p.2779)
競走馬としては3歳で凱旋門賞 (芝2400m) やキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス (芝約2400m) など,4歳以上の馬が多数出走するレースを制しました。ダンシングブレーヴが勝利した1986年の凱旋門賞には,1985年のダービー馬であるシリウスシンボリも出走していました。
引退後はイギリスで種牡馬入りしましたが,不治の病であるマリー病 (※) に冒された事もあり日本に売却されました。病気に冒されていたこともあり種付け数は多くありませんでしたが,その中からエプソムダービー (芝約2400m。正式名称はダービーステークス) とアイリッシュダービー (芝約2400m) を制したコマンダーインチーフや,十度の敗北を乗り越え高松宮記念 (芝1200m) を制したキングヘイローなどG1馬を複数輩出しました。母父としては牡馬を退け宝塚記念 (芝2200m) を制したスイープトウショウや皐月賞 (芝2000m) と日本ダービー (芝2400m) を勝利しクラシック二冠を達成したメイショウサムソン,2012年の日経賞 (芝2600m) で数多くのG1馬を相手に鮮やかな逃げ切り勝ちを収め,現在はノーザンレイクで猫と暮らしているネコパンチを輩出しました。
※正式名称は肥大性肺性骨関節症。罹患すると骨膜炎や関節炎を引き起こします。ヒトでの症例は多く報告されていますが,馬でもごくまれに発生するそうです。
明治後期,日本では強い軍馬を生産することが課題となっていました。その流れで外国の繁殖牝馬を経由して外国馬の血統を導入し,その産駒を国内の牧場に売却することで外国の血統を広げる試みがなされました。その中で輸入された牝馬たちは「小岩井農場の基礎輸入牝馬」と呼ばれ,これまでに数多くの子孫が活躍してきました。
ここでは,小岩井農場の基礎輸入牝馬たちの中でも,特に活躍した馬に血が繋がっている牝馬を紹介します。
フロリースカップは父Florizel II,母Stirrup Cup,母父Meltonという血統で,1904年にイギリスで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.20 p.827)
フロリースカップの直仔には重賞で活躍した産駒はいませんが,子孫には「マイルの皇帝」とも称されたニホンピロウイナーや大阪杯 (芝2000m) を制したレイパパレがいます。特にシラオキから発展した牝系からは,牝馬として64年ぶりの日本ダービー制覇を成し遂げたウオッカや「日本総大将」スペシャルウィークなど,華やかな活躍をした競走馬たちが数多く輩出されています。
ヘレンサーフは父St. Serf,母Helen Hampton,母父Hamptonという血統で,1903年にイギリスで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL.20 p. 357)
ヘレンサーフの直仔からは重賞を制した馬は出ていませんが,子孫からは桜花賞 (芝1600m) を制したオヤマテスコ,菊花賞 (芝3000m) や天皇賞 (春) (芝3200m) などを制し,プール調教が苦手なことでも有名なヒシミラクル,そして私が一番好きな競走馬であるマイネルホウオウに血が繋がっています。
マイネルホウオウをきっかけに競馬を見始めた身としては,この血統が一番馴染み深いかもしれません。
ビューチフルドリーマーは父Enthusiast,母Reposo,母父fAmphionという血統で,1903年にイギリスで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL. 20 p.715)
ビューチフルドリーマーの直仔からは重賞で活躍した馬は輩出されていませんが,子孫にはクラシック三冠を達成し,種牡馬としても日本の競馬に多大なる影響を与えたシンザンや「マイルの帝王」と称されたニッポーテイオー,阪神ジュベナイルフィリーズ (芝1600m) や秋華賞 (芝2000m) を制したテイエムオーシャンがいます。
小岩井農場があった岩手県の地方競馬である岩手県競馬では,彼女の名を冠する重賞競走であるビューチフルドリーマーカップ (ダート2000m) が1975年 (重賞に格上げされたのは2000年より) から開催されています。
フラストレートは父St.Frusquin,母Hattie,母父Kendalという血統で,1900年にイギリスで誕生しました。
(掲載:GENERAL STUD=BOOK VOL. 19 p.269)
繁殖牝馬としては,牝馬ながら皐月賞 (芝2000m) を勝利し,その後優駿牝馬 (オークス) (芝2400m) を制したトキツカゼを輩出しました。皐月賞とオークスという勝ち鞍はそうそう見ないような気がします。
近年ではダート戦国時代を地方所属馬として果敢に戦ったアジュディミツオーや,高松宮記念 (芝1200m) を制したナランフレグに血が繋がっています。アジュディミツオーは2016年に種牡馬を引退していますが,2025年に初めての産駒が誕生するナランフレグによってフラストレートの血は繋がっていくことでしょう。
1930年代ごろには小岩井農場と同じく,宮内庁が管轄する御料牧場でも外国から繁殖牝馬を輸入し,より優れた競走馬の生産が試みられました。このとき輸入された牝馬を「下総御料牧場の基礎輸入牝馬」と呼び,小岩井農場の基礎輸入牝馬と同様日本の競馬界で活躍した多くの子孫を輩出しました。
小岩井農場と対照的に,下総御料牧場の基礎輸入牝馬はアメリカ産の馬がメインでした。そのため,輸入された馬には星条旗にちなんで「星」の名前がつけられました。
ここでは,下総御料牧場の基礎輸入牝馬たちの中でも,特に活躍した馬に血が繋がっている牝馬を紹介します。
※なぜか下総御料牧場の基礎輸入牝馬たちが掲載されている資料 (AMERICAN STUD BOOK VOL. XIV) は他の資料に比べて表紙の劣化が激しかったです。お取り扱いには十分注意してください。
星旗 (アメリカでの名前はFairy Maiden) は父Gnome,母Tuscan Maiden,母父Maiden Erleghという血統で,1924年にアメリカで誕生しました。
(掲載:AMERICAN STUD BOOK VOL.XIV (14) p.865)
直仔として日本競馬で最初に内国産リーディングサイアーを獲得したクモハタを輩出しました。外国産馬の血統が重視されてきた時代において日本生まれの馬がリーディングサイアー (産駒が最も活躍した種牡馬) の称号を獲得するのは非常に困難であったことは想像に難くありません。
星旗の血を受け継ぐ存命馬の代表としては,レースでの活躍もさることながら多種多様な行動で競馬ファンのみならず一般の人々の心を鷲掴みにしたゴールドシップがいます。
星若 (アメリカでの名前はIma Baby) は父Peter Pan,母Babe,母父McGeeという血統で,1924年にアメリカで誕生しました。
(掲載:AMERICAN STUD BOOK VOL.XIV (14) p.47)
星若は直仔としては天皇賞の前身である帝室御賞典 (芝2000m) を勝利したエレギヤラトマスを輩出しました。子孫には1970年代に「TTG」の名称で親しまれたライバル関係の一頭として人気を博したテンポイントやその半弟で中山大障害 (障害4100m) を制したキングスポイントがいます。
星友 (アメリカでの名前はAlzada) は父Sir Martin,母fColna,母父Collarという血統で,1923年にアメリカで誕生しました。
(掲載:AMERICAN STUD BOOK VOL.XIV (14) p.159)
直仔としては牝馬で日本ダービー (芝2400m) を制したヒサトモを輩出しました。ヒサトモの子孫からはオークス (芝2400m) を制したトウカイローマン,無敗の二冠馬であり,1年ぶりのレースとなった有馬記念 (芝2400m) で復活勝利を遂げたトウカイテイオーが出ています。
パーソロンの項でも紹介するクワイトファインですが,パーソロンだけでなく星友の血も受け継いでいる非常に歴史のある血統の持ち主だということがわかります。