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4.2 日本競馬を賑わせた外国馬たち
4.3 著者のイチオシ馬たち
5. はみだしよみもの
5.1 ダービーよりも人気のレース!?
5.2 日本の障害競走・超入門
5.3 サラブレッドと (の) 乳母馬
6. おわりに
7. 参考文献
イギリスでは国民的に愛されている障害競走ですが,日本における障害競走の知名度は「絶対王者」オジュウチョウサンの大活躍があったとはいえ平地競走に比べると圧倒的にマイナーであると言わざるを得ません。G1レースは中山グランドジャンプと中山大障害の2つしか開催されておらず,しかも土曜日の開催です。
そして,中山グランドジャンプは翌日に牡馬クラシックレースの初戦である皐月賞,中山大障害は翌日に一年を締めくくる豪華メンバーが出走する有馬記念が開催されるとあって,意識しないと見逃してしまうことも多いです。
絶対的な強さを誇ったオジュウチョウサンが引退した今,「スターホースが居ないのなら障害競走を見る意味なんてないんじゃない?」と考えている方も多いかもしれませんが,とんでもありません!!!
絶対王者が引退した後も,障害競走には変わらず魅力的なメンバーが揃い,栄光を求めてしのぎを削り,熱いレースを繰り広げているのです。
このセクションでは,障害競走の魅力を知ってもらうため,障害競走の魅力がたっぷり詰まったレースを映像と共に紹介します。
※基本的には全人馬が無事に完走したレースを紹介しています。しかし,一部のレースには落馬や転倒などのショッキングなシーンが含まれます。
個別の動画でも注意喚起は行いますが,動画の視聴は自己責任においてお願いいたします。
○「さあ,前王者か!現王者か!」2017年 中山大障害
2015年に春秋障害G1を制覇したアップトゥデイトでしたが,怪物オジュウチョウサンの前に幾度となく敗北を喫します。そんなアップトゥデイトが2017年の中山大障害で取った作戦は,後続に大差をつける大逃げでした。少しでも飛越を失敗すれば命も危うくなる,まさに捨て身の作戦に場内は騒然とします。
アップトゥデイトが大逃げする後ろでオジュウチョウサンは淡々とレースを進め,今か今かとその時を待っていました。そして,最後の障害を飛越したアップトゥデイトに猛然とオジュウチョウサンが迫ります。
「さあ,前王者か!現王者か!青い帽子二頭の追い比べに変わる直線!!」の名実況の通り,直線は前王者アップトゥデイトと現王者オジュウチョウサン二頭のマッチレースの様相を呈していました。そしてゴール手前でオジュウチョウサンはアップトゥデイトを差し切り,かつてアップトゥデイトが叩き出したレコードを3秒以上更新して勝利しました。
そして時は流れて2022年,過去の名勝負のランキング投票がJRA主催で行われました。投票可能なレースのラインナップを見た障害競走ファンは歓喜したのです。「あの大障害がある!!」と。
三冠馬3頭が激突した2020年ジャパンカップやウマ娘にも登場した名馬たちが登場する数々のレースの中に,障害競走ファンの心を震わせた2017年中山大障害がある。その喜びは計り知れませんでした。
結果発表動画では,続々と平地競走の名前が呼ばれました。その度に「これはまさか…!?あの大障害が一位なのでは!?」と期待が高まります。
そして,二位を獲得したのがこの中山大障害でした。惜しくも一位は三冠馬3頭が激突したジャパンカップに譲り渡したものの,強烈なインパクトを残した名勝負が多くの人の心を動かし,知名度で圧倒的に勝る平地G1競走を凌駕するほどの票数を獲得したことにSNSでは喜びの声があふれました。
○絶対王者,復権 2021年 中山大障害
同年の中山グランドジャンプでメイショウダッサイの5着に敗れたオジュウチョウサン。10歳という年齢もあり,「もう限界なのでは」という声も聞こえていました。
実際,中山グランドジャンプの後に骨折が発覚し,復帰戦の東京ハイジャンプでは62kgというハンデの影響もあってか3着に敗れました。しかし,中山大障害では猛然とレースを進め,中山の大障害コースを知り尽くした相棒,石神深一騎手のリードに応えて数々の障害をクリアしました。そして,最終コーナーで他馬を引き離して久しぶりの栄冠に輝いたのです。
私が初めてリアルタイムで見たJ・G1レースがこの中山大障害でした。出走前のファンファーレ,オジュウチョウサンの強い走り,そして全人馬が無事にゴールした感動が私を障害競走ファンにしたと言っても過言ではありません。
○前人未到の記録を打ち立てて 2022年 中山グランドジャンプ
前哨戦の阪神スプリングジャンプを3着で終えましたが,「負担重量が全馬等しいJ・G1なら戦えるのでは?」という声のなか挑んだオジュウチョウサンにとって7回目の中山グランドジャンプ。いつものようにビレッジイーグルが先頭に立つ中,オジュウチョウサンは好位を追走し,じわじわと位置を上げていきます。そして最終直線でブラゾンダムールとの叩き合いを制しました。このレースでオジュウチョウサンはJRA調教馬としては最高齢でのG1競走勝利,JRAのG1競走9勝,そして同一G1競走を6勝という前人未到の大記録を打ち立てたのでした。
個人的なこのレースの見どころとして,惜しくも3着に敗れたマイネルレオーネが見せたとんでもない末脚を推させていただきます。大外からかっ飛んで来た赤と緑の勝負服の小柄な馬を見るたび「なんだこの馬!!」と毎回驚かずにはいられません。
○沈む太陽もまた美しい 2022年 中山大障害
※カメラアングルの関係でわかりにくいですが,1頭落馬した馬がいます。幸い競走中止した馬も騎手も (2024年3月時点で) 元気に走っていますが,閲覧の際は少し注意してください。
年末の中山大障害の前哨戦である東京ハイジャンプで,オジュウチョウサンはまさかの9着に敗れてしまいました。リアルタイムでこのレースを観戦していた私にとっても非常にショックな出来事でした。
その数日後,オジュウチョウサンのオーナーから中山大障害を最後に引退すること,そして引退式を執り行うことが発表されました。オジュウチョウサンの引退を決意させたきっかけとなった出来事についてオーナーが語った記事を読んだ時は胸にこみあげるものがありました。
レース当日,オジュウチョウサンは全ての障害を無事に飛越し,全盛期であれば「これは勝ったな」と確信させる位置で最後の直線に入りました。しかし,全く脚が伸びず,先頭集団から突き放され,6着でレースを終えました。リアルタイムで見ていて泣きそうになったレースはこれが初めてです。
この年の中山大障害は圧倒的一番人気が馬券内どころか掲示板にも入れない,という普段ならブーイング待ったなしの結果でした。しかし,場内には勝者ニシノデイジーを,そして,最後まで無事に走り切ったオジュウチョウサンや他の出走馬を讃える暖かい拍手と歓声が響いていました。
レースは1枠1番で6着,奇しくもオジュウチョウサンが初めてG1に挑んだ2015年中山大障害と同じ枠順,そして着順でした。
1着が当時6歳のニシノデイジー,2着が当時5歳のゼノヴァースと,世代交代 (3着馬が当時10歳であったことは一旦見なかったことにします) を見届けて無事に走り切ったオジュウチョウサンの姿,そして引退式で「離れたくない」と声を震わせた長沼厩務員の姿は今でも深く心に刻まれています。
○濡れた重馬場も障害もなんのその 2023年 中山グランドジャンプ
オジュウチョウサンが引退して初めての中山グランドジャンプ,一番人気に推されたのは2022年の中山大障害を制したニシノデイジーでした。しかしスタートで大きく出遅れ,コースの状態が悪いことも重なってかその後のレース運びもスムーズではありませんでした。その一方,イロゴトシは中段から澱みなくレースを進め,じわじわと位置を上げていきます。そして最後から2つ目の障害の飛越で先頭に立ち,状態の悪い馬場をものともせずに最後の障害も飛越,2着以下に中山グランドジャンプ史上最大の着差をつけて完勝しました。
この勝利でイロゴトシは自身だけでなく騎手,調教師,馬主,生産者,そして馬産地としてはかなり零細である熊本県に初めてのJ・G1勝利をもたらしたのです。私はこういう初物づくしの勝利に非常に弱いです。
○障害競走の良血,年間無敗で新王者へ 2023年 中山大障害
オジュウチョウサンが引退して1年,このレースで注目されていたのは,この年無敗で東京ハイジャンプを制したマイネルグロンでした。父ゴールドシップ,母マイネヌーヴェルという血統の彼は,父方の近親にオジュウチョウサン (父ステイゴールド),母方の叔父にマイネルネオス (父ステイゴールド) という二頭のJ・G1馬を持つなかなかに珍しい血統背景の持ち主です。
レースは大障害コースの常連ビレッジイーグルと昨年覇者のニシノデイジーが引っ張るかたちで進みましたが,障害で才能を輝かせた血脈と大障害コースを知り尽くした石神深一騎手のリードが合わさったマイネルグロンにもはや敵はありませんでした。最終コーナーを回ってくる頃にはもはや独走態勢に入り,2023年全勝で中山大障害ウィナーの座を,そして2023年度最優秀障害馬の座を射止めました。
ちなみにこのレースで初めてJ・G1にジョッキーカメラが導入されました。
※落馬,競走中止がないので安心して閲覧できますが,映像酔いするのでその点は十分お気をつけください。私はゲッロゲロに酔いました。
ここでは少し見るのに覚悟が必要ですが,どうしても紹介したかったレースを紹介します。
○恐ろしきオセアニアの老雄 2007年 中山グランドジャンプ
(※) 競走中止した馬がいます。画質等の関係で鮮明にはわかりませんが,視聴の際には注意してください。
2005年,2006年と中山グランドジャンプを勝利したカラジは2007年も来日し,同一G1競走三連覇を初めて達成しました。同一G1競走連覇数記録は2019年にオジュウチョウサンが塗り替えるまでカラジの手にあったのですから,本当に恐ろしい馬です。
カラジは2008年も中山グランドジャンプに参戦すべく来日しましたが,屈腱炎を発症してそのまま引退となってしまいました。
しかし,10歳でのG1競走初勝利や12歳でのG1競走勝利を達成したJRA調教馬は未だ存在しません。カラジの活躍から10年後に登場した絶対王者オジュウチョウサンも,ついぞ12歳での勝利を成し遂げることなく引退しました。カラジの樹立した最高齢G1競走勝利記録を塗り替える馬は今後出てくるのか,それくらいとんでもないことを成し遂げた競走馬なのです。
○灼熱の障害王者へ 2011年 中山グランドジャンプ
(※) 最終障害に転倒シーンがあります。著者である私自身も見返すのに覚悟がいるほどショッキングな映像なので,閲覧は自己責任でお願いいたします。
2011年は東日本大震災によって中山競馬場もコースが使用できなくなるほどの損害を負い,本来中山競馬場で行われるはずだった皐月賞は東京競馬場での開催となりました。しかし,大障害コースを使用する中山グランドジャンプはどうしても中山競馬場で行う必要があったため,コースの復旧を待っての開催となりました。
2011年7月に行われた中山グランドジャンプは,メジロラフィキが終始先頭でペースを作りました。マイネルネオスは後方からのレース運びとなりましたが,じわじわと前方に進出しました。最終直線では転倒した馬の影響を受けながらも闘志を失うことなく,2007年に中山大障害を制したメルシーエイタイムをとらえて4260mの長丁場を制しました。そしてこのレースは,3年間勝利がなく,障害競走に活路を求めた柴田大知騎手が初めてG1競走の栄光を勝ち取ったレースでもあります。その後,2012年にマジェスティバイオと中山グランドジャンプを,そして2013年にマイネルホウオウとNHKマイルカップを制し,グレード制度導入後に平地と障害の両方でG1競走を制覇した二人目の騎手となりました。
「ステイゴールド産駒でJ・G1を勝利した馬といえば?」と聞かれてマイネルネオスの名が真っ先に出てくる人はあまり多くないことと思います。しかし,この勝利がステイゴールド産駒の障害競走での活躍を予見したともいえるでしょう。
初心者の方が障害競走を見る時のポイントを私なりにまとめてみました。
1. 観客をも臨戦体制にするファンファーレ
障害競走の出走を告げるファンファーレには,一般,特別,J・G2以下の重賞で使われるものとJ・G1でのみ使われるものの二種類があります。いずれもリズムが独特で聞いただけで気持ちが昂ります。特にJ・G1のファンファーレは以下でも述べる「緊張と緩和」をまさに表現したようなファンファーレと言えます。
2. 多様な血統を探す楽しみ
平地G1競走では,生まれも育ちもエリート中のエリートたちが出馬表に名前を連ね,期待された通りの結果を残しています。しかし,障害競走はいわゆる「良血」とはいえないマイナーな血統の馬や小規模な牧場で生産された馬も数多く出走しています。G1競走を制した馬だとシングンマイケル (父シングンオペラ,母父トウカイテイオー),ニホンピロバロン (父フサイチリシャール) があげられます。現役馬ではマイネルヴァッサー (母父メジロブライト) など,平地ではほとんど見ない名前が登場する馬もいます。
平地G1競走であまり見ないような血統や生産牧場を探すのも障害競走の楽しみといえるかもしれません。
3. 緊張と緩和の先にある歓喜
各馬が障害を飛越する際は映像越しでも場内の張り詰めた雰囲気が伝わります。そして全馬が無事に飛越を終えると拍手が鳴り響きます。そしてまたぴん,と張り詰めた空気が漂ってきます。私は障害競走を競馬場で見たことはないのですが,それでも各馬が障害飛越に挑むときは祈るような気持ちで画面を見つめています。そして最終直線に入り,平地での力比べとなったら張り詰めた雰囲気が一気に解き放たれ大歓声が響きます。その緊張と緩和の先に栄光を掴み取った馬を讃え,最後の一頭が無事に入線するまで拍手が鳴り止まない。それが障害競走を見る一番の魅力だと感じています。
もちろん落馬や転倒,そして厳しい現実を突きつけられる機会が平地競走よりも多いのは事実です。それでも全人馬の無事を願い,全人馬が無事に入線したら祝福を投げかけるファンが多いのが障害競走の一番の魅力ともいえるかもしれません。