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1. イントロダクション
2. 競走馬の血統・基本用語
3. 資料の読み方
4. 資料からたどる名馬たち
4.1 血統表に頻出の馬
4.2 日本競馬を賑わせた外国馬たち
4.3 著者のイチオシ馬たち
5. はみだしよみもの
5.1 ダービーよりも人気のレース!?
5.2 日本の障害競走・超入門
5.3 サラブレッドと (の) 乳母馬
6. おわりに
7. 参考文献
ヒシアマゾンは父Theatrical,母Katies,母父Nonoalcoという血統で,1991年3月26日にアメリカで誕生しました。
(収録: FOALS OF 1991 p. 362)
外国産馬はクラシック競争に出走できず,古馬G1でも出走できるレースが限られていた時代に阪神3歳牝馬ステークス (芝1600m。現在のレース名は阪神ジュベナイルフィリーズ) とエリザベス女王杯 (当時は芝2400m) を制し,ジャパンカップや有馬記念などでも「シャドーロールの怪物」ナリタブライアンやマヤノトップガンなどの錚々たる牡馬たちと渡り合いました。
引退後はアメリカで繁殖牝馬として繋養され,2011年に繁殖牝馬を引退したのち28歳で生涯を終えました。産駒が重賞を勝利することはありませんでしたが,初年度産駒のヒシアンデスは2023年1月に亡くなるまでハルウララと同じ牧場で繋養されていました。Twitter (現X) でヒシアンデスの名前を検索すると幸せそうな彼の生活ぶりを垣間見ることができます。
青と白の勝負服を着た騎手がまたがっている馬がヒシアマゾンです。
タイキシャトルは父Devil's Bag, 母Welsh Muffin, 母父Caerleonという血統で,1994年3月23日にアメリカで誕生しました。
(収録: FOALS OF 1994 p. 577)
競走馬時代はスプリンターズステークス (芝1200m) やマイルチャンピオンシップ (芝1600m),安田記念 (芝1600m),そしてフランスのG1レースであるジャック・ル・マロワ賞 (芝1600m) を制するなどの輝かしい成績を残し,短距離,マイルを主戦場とする馬としては初めて年度代表馬に選出されました。
引退後は種牡馬としてNHKマイルカップ (芝1600m) を制したウインクリューガーやフェブラリーステークス (ダート1600m) を制したメイショウボーラーを輩出し,種牡馬引退後はヴェルサイユファームとノーザンレイクでメイショウドトウや猫,羊たちと共に引退生活を送りました。SNSでも悠々自適な引退生活の様子が共有されていたことは記憶に新しいことと思います。
タイキシャトルの活躍は2011年のJRAのテレビCMでも取り上げられており,1998年安田記念を表現する「大雨のなかの無敵」というフレーズは当時競馬を知らなかった幼い私の心に強烈な印象を残しました。2010年代初頭のJRAのCM,どれもカッコよかったんですよね。
グラスワンダーは父Silver Hawk,母Ameriflora,母父Danzigという血統で,1995年2月18日にアメリカで誕生しました。
(収録: FOALS OF 1995 p. 15)
無敗の4連勝で朝日杯3歳ステークス (芝1600m。現在のレース名は朝日杯フューチュリティステークス) を勝利し,「マルゼンスキーの再来」とも称されるほどの素晴らしい素質を見せつけました。しかし,故障で当時の外国産馬が春の大目標に定めるNHKマイルカップ (芝1600m) には出走できず,その後も故障に悩まされ続けました。しかし,故障続きの中でも宝塚記念 (芝2200m) や有馬記念 (芝2500m) を勝利するなど,強豪馬が揃う1995年生まれの競走馬の中で存在感を見せつけました。
種牡馬としてはジャパンカップ (芝2400m) を制覇し,種牡馬としてもモーリスを輩出するなどの活躍を見せたスクリーンヒーローや2000年代中盤の障害競走で活躍したマルカラスカル,宝塚記念を制したアーネストリーを輩出しました。2024年現在は種牡馬を引退し,とある牧場で功労馬として繋養されています。
エルコンドルパサーは父Kingmambo,母Saddlers Gal,母父Saddler's Wellsといういう血統で,1995年3月17日にアメリカで誕生しました。
(収録: FOALS OF1995 p. 425)
外国産馬であったためクラシック競走への出走は叶いませんでしたが,3歳時にNHKマイルカップ (芝1600m) とジャパンカップ (芝2400m) を制覇して最優秀3歳牡馬に選出されました。翌年は海外を拠点に競走生活を送り,フランスのG1競走サンクルー大賞 (芝2400m),フォワ賞 (芝2400m) を勝利し,凱旋門賞 (芝2400m) で当時の日本馬最高着順の2着を記録しました。その功績が評価され,日本で出走がないながらも1999年の最優秀5歳以上牡馬 (現最優秀4歳以上牡馬),JRA年度代表馬に選出されました。
引退後は2000年に種牡馬入りするも2002年に亡くなってしまいました。しかし,数少ない産駒の中から菊花賞 (芝3000m) を制したソングオブウインド,ジャパンカップダート (ダート1800m。現在の名称はチャンピオンズカップ) を制したアロンダイト,川崎記念 (ダート2100m) などを制し,G1級競走9勝を挙げたヴァーミリアンを輩出しました。
また,天皇賞 (春) (芝3200m) など長距離レースの常連であり,2014年まで現役を続けたトウカイトリックもエルコンドルパサー産駒です。引退後は京都競馬場で誘導馬となるべく訓練を行なっていましたが,放牧中の事故により誘導馬としての姿を見せることなく亡くなってしまいました。彼が誘導する天皇賞(春),どのような光景になったのでしょうか…。
ピルサドスキーは父Polish Precedent,母Cocotte,母父Troyという血統で,1992年4月23日にアイルランドで誕生しました。
(収録: GENERAL STUD=BOOK VOL.XLII (42) PART 1 p. 459)
初勝利は3歳の夏と遅かったものの,長い下積みを経てドイツのG1バーデン大賞 (芝2400m) を勝利し,アメリカのBCターフ (芝2400m) 制覇や凱旋門賞 (芝2400m) 2年連続2着など安定した成績を残しました。そして引退レースとなった1997年のジャパンカップ (芝2400m) で天皇賞 (秋) を制したエアグルーヴを破り,華々しく引退しました。
引退後は日本で種牡馬入りしましたが,残念ながら繁殖成績は振るわず故郷のアイルランドに買い戻されました。ピルサドスキーについては,そのレースぶりや繁殖成績よりも1997年ジャパンカップのパドックでの珍事を強烈に記憶している読者の方もいらっしゃるかもしれません。このガイドでその珍事について詳細に触れることはしませんが。
ファインモーションは父Danehill,母Cocotte,母父Troyという血統で,1999年1月27日にアイルランドで誕生しました。
(収録: GENERAL STUD=BOOK VOL.XLIV (44) PART 1 p.528)
ピルサドスキーの半妹 (母親が同じだが父親が違う) であるファインモーションは,無敗で秋華賞 (芝2000m) とエリザベス女王杯 (芝2200m) を制しました。その後も札幌記念 (芝2000m) を勝利し,マイルチャンピオンシップ (芝1600m) や安田記念 (芝1600m) で牡馬を相手に健闘するなど重賞戦線で活躍しました。
引退後は繁殖牝馬として有力種牡馬との種付けが行われましたが受胎せず,検査の結果医学的に子をもうけることが難しい体質だと判明しました。現在はとある牧場で功労馬として余生を過ごしています。
メイショウドトウは父Bigstone,母Princess Reema,母父Affirmedという血統で,1996年3月25日にアイルランドで誕生しました。
(掲載: GENERAL STUD=BOOK VOL.XLIII (43) PART 2 p. 1924)
1999年にデビューし,堅実に勝ち星と重賞での経験を積み重ねていたメイショウドトウですが,2000年には天皇賞 (秋) (芝2000m),ジャパンカップ (芝2400m),有馬記念 (芝2500m) のすべてでテイエムオペラオーの2着と屈辱を味わいました。しかし2001年の宝塚記念 (芝2200m) で宿敵テイエムオペラオーを下し,ついにG1馬の称号を手に入れました。
種牡馬としてはG1馬を輩出することはかないませんでしたが,種牡馬引退後はタイキシャトルと共に余生を過ごし,タイキシャトル亡き後はノーザンレイクで繋養されている牝馬や新たに加わったネコパンチと引退生活を送っています。ヴェルサイユファームにいた時はヤギやエゾタヌキ,ノーザンレイクに移動してからは牧場猫のメトさんといった馬以外の動物とのエピソードが非常に多いことも特徴です。メイショウドトウの引退生活については調べれば調べるほどほのぼのした気持ちになります。
現役時代のメイショウドトウ
引退後のメイショウドトウの様子。メトさん (猫) に乗られている様子が競馬ファン以外にも人気を博した。
モンジューは父Sadller's Wells,母Floripedes,母父Top Villeという血統で,1996年4月4日にアイルランドで誕生しました。
(掲載: GENERAL STUD=BOOK VOL. XLII (42) PART 1 p.810)
3歳時にフォワ賞 (芝2400m) と凱旋門賞 (芝2400m) を制し,その勢いのままジャパンカップに挑戦しましたが,「日本総大将」であったスペシャルウィークの4着に敗れました。その後もアイルランド,フランスでG1競走を制し,2000年に競走馬を引退しました。
種牡馬として親子での凱旋門賞制覇を成し遂げたHurricane Run,エプソムダービー (芝約2400m) を制し,種牡馬としても成功をおさめたMotivaterを輩出しました。母父としては世界の逃亡者ことパンサラッサに,母父父としてタイトルホルダーやメロディーレーンを輩出するなど,競走馬としても種牡馬としても日本との縁が深い馬だといえます。
画面奥の青とオレンジの勝負服の騎手がまたがっている馬がモンジューです。
ホーリックスは父Three Legs,母fugafuga,母父Moss Trooperという血統で,1983年にニュージーランドで誕生しました。
(掲載: N.Z. STUD BOOK VOL.XXV (25) PART 2 p.1409)
オーストラリアやニュージーランドの重賞戦線で経験を積んだホーリックスは,1989年に「笠松の星」オグリキャップや菊花賞馬のスーパークリーク,1988年覇者のペイザバトラーなど豪華なメンバーが揃うジャパンカップ (芝2400m) に出走しました。それまでオセアニアから遠征してきた馬の成績が良くなかったためか9番人気でしたが,低評価を見事覆し,レコードタイムでジャパンカップを勝利しました。ちなみにホーリックスは2020年にアーモンドアイに破られるまで東京2400mコースのレコードを保持していました。
繁殖牝馬としてもメルボルンカップ (芝3200m) を制したブリューを輩出するなど活躍し,ニュージーランドの競馬殿堂入りも果たしています。
ベタールースンアップは父Loosen Up,母Better Fantasy,母父Better Boyという血統で,1985年にオーストラリアで誕生しました。
(掲載: AUSTRALIAN STUD BOOK VOL. 36 PART 1 p.291)
現役時代はオーストラリアのG1競走であるコックスプレート (芝約2000m) やオーストラリアンカップ (芝2000m) を勝利し,1990年にはジャパンカップ (芝2400m) でも勝利を挙げています。
現役時代からせん馬であったベタールースンアップは子孫を残すことはできませんでしたが,引退後は30歳で亡くなるまでヴィクトリア州のLiving Legends farmという功労馬繋養施設で余生を過ごしました。
九州大学附属図書館で利用できる年代の資料には掲載されていませんが,オセアニア (オーストラリア,ニュージーランド) で生産され,活躍した競走馬は他にも数多くいます。
代表的なところでは高松宮記念を制したキンシャサノキセキ (日本調教馬),短距離のスペシャリストであったブラックキャビア (オーストラリア調教馬),そして香港のマイル路線を圧倒的な強さで蹂躙する一方,出走前後に誘導馬にからむ様子がSNSで話題のゴールデンシックスティ (香港調教馬) がいます。
そして2023年に牝馬クラシック三冠を達成したリバティアイランドの母であるヤンキーローズ (オーストラリア調教馬) もオーストラリア出身です。探してみると他にもオセアニアに縁の深い日本の競走馬がいるかもしれませんね。