Skip to Main Content

日本古典籍 所蔵資料解説: 竹取物語絵巻

附属図書館研究開発室等の事業において電子化された日本古典籍を中心とする資料とその解説をまとめたものです。また、活字本の対応ページから検索できる資料もあります。

解説

附属図書館研究開発室特別研究員 田村 隆

附属図書館研究開発室特別研究員 今西祐一郎

 

平成22年度の研究開発室事業として、『吾妻鏡』に続き文学部国語学国文学研究室所蔵の『竹取物語絵巻』の画像データベースを公開する。巻子本3巻から成り、近世中期頃の書写と思われる。本書は昭和35年3月18日に姫路の古書肆「白雲堂」から購入したもので、白雲堂は戦前は神戸で営業し、主人の古家実三は社会運動家としても知られる。本書は本学に受け入れられた後、昭和57年の第11回貴重文物展観「物語文学―竹取・大和・宇津保・源氏物語―」(目録は「大学広報」438号に掲載)、平成7年の第36回「奈良絵本―室町末期から江戸中期にいたる絵本・絵巻―」、平成12年の第41回「平安朝文学入門―竹取・伊勢・源氏の世界―」などに出展されてきた。

 

 

 三巻のうち、上巻は「今はむかし」から「火にやけぬ事よりもけうらなる事かぎりなし」まで、中巻は「かぐや姫このもしがり給ふにこそありけれ」から「国王の仰せ事をそむかはや(ママ)ころし給てよかし」まで、下巻は「此内侍帰り来て」から結末の「其けぶりいまだ雲の中へたちのぼるとぞいゝ伝へたる」までである。描かれた絵はわずかに各巻2図ずつの計6図と少ない。また、天地の余白を中心にかなりの虫損があるのが惜しまれる。 

 下図を参照されたい。下巻の後半に描かれたかぐや姫昇天の場面である。かぐや姫を迎えに来る天人に対し、守る人々は「弓矢を帯し」、嫗は「塗籠の内にかぐや姫を抱かへて」いる様子が記されている。だが、それらの抵抗も天人の前には無駄に終わり、かぐや姫は月に帰って行く。本文に「雲に乗りて」とあるその乗り物の中に座るのがかぐや姫である。悲しみに暮れる翁と嫗の姿も描かれている。


 

かぐや姫の昇天

 この絵を、繰り返し刊行されて流布した絵入板本『竹取物語』と比較してみると、絵の構図が酷似していることは一目瞭然である。絵巻と同じく文学部国語学国文学研究室が所蔵する無刊記版(茨城多左衛門板)を掲げよう。人物の仕草にいたるまで一致していることが確認できる。本文についても若干の異同はあるものの両者は密接な関係にあると思われ、おそらくはこの板本に基づいて絵巻が製作されたのであろう。


 

無刊記版(文学部国語学国文学研究室蔵)

 九大本の絵巻と板本の関係について、徳田進『竹取物語絵巻の系譜的研究』(桜楓社、昭和53年)は、

九大蔵竹取物語絵巻は近世中期以後との所記よりも遡って、近世上期の、それも正保前の初期に近いころの作品であったのではあるまいか。絵巻の天地の虫害の跡の多いことと筆つきとはこれを記する。尤も逆に正保二(ママ)年版か寛文版かの通行本挿絵入り竹取物語から着想執筆したとの考え方もできるが、それならば通行本の挿絵を全部収めたであろうにかぐや姫月を見て泣くの絵が無いのは、どうしたことであろうか。それゆえ正保版は九大蔵竹取物語より後に補加したものと思われる。これは別の拠本、例えば奈良絵本から得たのではあるまいか。

と指摘する。別の箇所でも、「通行本挿絵入り竹取物語は九大蔵竹取物語絵巻乃至この系統のものの影響下に成り、且つ九大蔵竹取物語は正保以前に成立していたのである」と再説される。正保三年版にはまだ絵が備わっていないので、九大本の絵巻が絵入板本に先行したとしても「正保以前」を証するものではないが、その点を差し引いても絵巻から絵入板本へという先後関係には疑問が残る。以下の事例などからすればむしろ、「尤も逆に」以下に示唆された、板本から着想を得て九大本絵巻が成ったとする見方こそ妥当と思われる。「通行本の挿絵を全部収めたであろうにかぐや姫月を見て泣くの絵が無いのは、どうしたことであろうか」という疑問のみを理由に絵巻が板本に先行したと見るのはいささか早計ではあるまいか。そもそも「通行本の挿絵を全部収めたであろうに」という前提は、必ずしもそうとばかりは言えまい。絵師による絵の取捨選択は、他作品の奈良絵本でもかなり自由に行われている。板本の12図から絵巻の絵師が半分の6図を選び取ったということであろう。 
 両者の本文を比べてみると、絵巻の誤写・誤脱は特に後半に著しく、忠実な書写態度とは言い難い。中には版面の状況によるかと見られる誤りもある。一例を示せば、

一こといひ置べき事ありけり (下巻17ウ)

とある箇所が、絵巻には、

一こといひ置べき事有あらけり

と記される。「有」が衍字となっている上に、「ありけり」を「あらけり」と誤る。これは板本の「り」の字が板木の摩滅で欠損しているのを「ら」に見誤ったのではないかと思われる。板本も正保三年版などでは明確に「り」に見えるが、後刷の無刊記本では欠損があるため、文脈上は明らかにおかしいものの「ら」に見えなくもない。あるいはまた、

たつの首の玉をえとらざりしかば (上巻21ウ)

と板本にある本文を、絵巻では、

たつの首の玉をえとらざるよしかば

とする。これも「りし」あたりの活字が欠けて読みづらいことが誤写を誘発したのではなかろうか。これらの欠損は無刊記版に存するものだが、他の板本を含めどのくらい広範囲にわたっているかは今後の調査に俟ちたい。その他、板本の「一すぢ」を絵巻では「一すじ」、板本の「火ねずみ」を絵巻では「火ねづみ」と記しており、四つ仮名の混同が見られる。

 奈良絵本は一般に「江戸時代の絵入り版本の前段階における絵巻から絵入り本への過渡的作品」(『日本古典籍書誌学辞典』)のごとく板本前夜の作品として位置づけられることが多いが、他作品、たとえば『うつほ物語』の奈良絵本・絵巻についても板本に基づいて製作したと見られる奈良絵本・絵巻が複数確認され、板本の成立よりも確実に先行する奈良絵本『うつほ物語』は見出されない(田村隆「奈良絵本『うつほ物語』の背景」『文学』第9巻4号、平成20年7・8月)。これらの事実をふまえれば、『竹取物語』に関しても、「奈良絵本→板本」というよりも「板本→奈良絵本」の流れを想定した方が自然ではあるまいか。『竹取物語』の板本に挿絵が加わるのは元禄五年版以降であるから、絵巻の成立はそれ以降、やはり近世中期頃と見てよいであろう。 
 ちなみに、上に掲げた場面については、諏訪市博物館所蔵『竹取物語絵巻』(諏訪市博物館による複製本が平成15年に刊行されている)にもほぼ同一構図の絵が見られるが、こちらは昇天前を描いたもので乗り物にはかぐや姫が乗っておらず、翁と嫗の側にいて別れを惜しんでいる。乗り物の雲のたなびきが逆になっていることから、進行方向も反対を示していることがわかる。これは天人がかぐや姫を迎えにきた場面を描いたもので、残された人間達の表情にも昇天の前後で違いが見られ、興味深い。

 

 

 『竹取物語』に関しては、他に本学附属図書館支子文庫に上下2巻2冊の奈良絵本が所蔵される。上巻30丁、下巻26丁。本書の本文もやはり板本によるものであろう。挿絵は上巻に7図、下巻に6図あり、奈良絵本にしばしば見られるように巻末の余白は本文を散らし書きにしている。

奈良絵本『竹取物語』(附属図書館支子文庫蔵)