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日本古典籍 所蔵資料解説: 狭衣抄

附属図書館研究開発室等の事業において電子化された日本古典籍を中心とする資料とその解説をまとめたものです。また、活字本の対応ページから検索できる資料もあります。

解説

狭 衣 抄

附属図書館研究開発室特別研究員 田村 隆

 

 

 猪苗代兼寿の手になる『狭衣抄』は、『狭衣下紐』(里村紹巴著。天正十八年成立)・『狭衣文談』(伝三条西実隆著。文禄三年成立)に次いで成った、『狭衣物語』の注釈書である。成立は奥書から天和二年と知られる。本書はその内容の多くを『狭衣下紐』の説に拠りつつも、時に「引哥未勘」とされる箇所に引歌を見出し、あるいは「下紐説いかゝ」として新見を述べるなど、現行の諸注に連なる解釈を提出している箇所も多い。

 現在確認される伝本は宮城県図書館伊達文庫本(四巻二冊)、阪本龍門文庫本(四巻二冊)、九州大学附属図書館本(四巻一冊)、国立国会図書館本(四巻二冊)の四本である。各々の解題や四本の関係については、川崎佐知子「猪苗代兼寿『狭衣物語抄』に関する考察」(『古代中世文学研究論集 第一集』和泉書院、平成八年)・同「猪苗代兼寿『狭衣物語抄』の関連資料」(『詞林』三十一、平成十四年四月)、および拙稿「九州大学附属図書館蔵『狭衣抄』解題」(『文献探究』四十、平成十四年八月)を参照されたい。

 川崎氏が指摘するように、四本中、伊達文庫本には草稿本的性格を思わせる各種の書入・訂正が見られ(巻一「つゐにわか心と思ひはなれ聞えむ」の項の如く、補入の位置を誤る箇所もある)、それらが本文中に組み込まれた残りの三本、特に九大本と国会本は清書本的性格を持つ。但し、例えば伊達文庫本には他の三本に存する、

   

  かなしさも 今上の御哥御愛憐の心は若宮につくし給ひて此外に思物とは知給はぬと也(九大本一一七ウ)

   

の一条がないことを前稿で指摘したが、表現のレベルでは他にも同一一四オの、

   

  中納言佐大二の乳母 此兄弟とり分てむつましくてたかひに云事をなともらすへきならねとも皇太の隠し給しこ

   となれは無御跡にて書(云)へきことならすと思て大弐にもかたらぬと也

   

の項について、伊達文庫本では「無御跡にて書へきことならすと思て」を欠いていたり、あるいは、

  

  かすめよな 今上御哥飛鳥井君に立をくれてくゆるおもひをしらせ度と也(同一二三オ)

  

についても、「立をくれてくゆるおもひ」の部分が伊達文庫本は「立をくれしおもひ」という本文であるなど、この本のみを参照して他本が書写されたとは考え難い箇所が散見される。

 また、綿抜豊昭『近世前期猪苗代家の研究』(新典社研究叢書一一四、平成十年)はこの伊達文庫本を兼寿自筆と推測するが、「山きは」の「は」(同八オ)、「春宮」の「宮」(同五一オ)、「はまや」の「ま」(同六二ウ)を脱したり、「御遺勅」を「御遺物」(同五一ウ)、「源氏宮」を「源氏色」(同五一ウ)、あるいは「その由緒」を「そのよし緒」(同一二二オ)と書記したりする辺りには不審も残る。

 本稿は、九州大学附属図書館音無文庫蔵本を翻刻する。「牘庫(とっこ)」の蔵書印から奥州岩城平七万石の城主、内藤風虎(ふうこ)もしくは息露沾(ろせん)の旧蔵とおぼしい。すでにその一部は前述の拙稿に発表しているが、ここに改めて全体を掲載する。その際、発表後に気付いた誤植等は訂正した。尚、入江相政「狭衣物語」(『岩波講座日本文学』昭和六年)以来、本書は「狭衣物語抄」の名が通用するが、国会本以外の三本はいずれも外題に「狭衣抄」もしくは「さころも抄」と記されており、本稿の表題もそれに倣った。