附属図書館研究開発室特別研究員 田村 隆
附属図書館研究開発室特別研究員 今西祐一郎
本年度(平成22年度)の附属図書館研究開発室事業の一環として、本学が所蔵する伏見版『吾妻鏡』(52巻51冊、巻45原欠)の画像データベースを公開する。
『吾妻鏡』は鎌倉時代に成立した歴史書で、源頼政の挙兵から鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の帰京までを描く。徳川家康が愛読したことでも知られる。本学が所蔵するのは江戸時代初期に木版印刷された伏見版と呼ばれる稀覯本で、慶長10年の跋文には「大将軍源家康公、治世之暇翫弄此書」の一文が見える。附属図書館「樋口文庫」所蔵(612/ア/12)。
古活字版『吾妻鏡』には三種あることが知られている。川瀬一馬『増補古活字版之研究』(The Antiquarian Booksellers Association of Japan 、昭和42年)、および『振り仮名つき吾妻鏡 寛永版影印』(汲古書院、昭和51年)に付された阿部隆一氏の「解題―吾妻鏡刊本考―」によれば、
(1)慶長十年跋刊伏見版。四周双辺、有界、12行20字。巻首目録の末に「富春堂新刊」の刊記があり、巻末には承兌の跋文がある。宮内庁書陵部・内閣文庫・慶應義塾図書館・東洋文庫・尊経閣文庫・大東急記念文庫・成簣堂文庫・九州大学附属図書館・龍谷大学・京都大学谷村文庫・筑波大学・大垣市立図書館等所蔵。
(2)〔慶長元和間〕刊本。四周双辺、無界、12行20字。伏見版の承兌跋文を襲用。京都大学図書館・東大寺図書館所蔵。
(3)〔元和末〕刊本。伏見版の翻印本、寛永中の印刷と認められる。内閣文庫・国会図書館・大東急記念文庫所蔵。
の三種である。このうち伏見版は(1)のことで、刊行は慶長8年に『太平記』を刊行した五十川了庵が手がけたと考えられている。この伏見版に基づいて、寛永3年には整版の『吾妻鏡』が刊行された。白文の伏見版に対し、寛永版には訓点のほか振仮名が施されている。『吾妻鏡』にかぎらず古活字版は組版の技術的問題から多くの場合無訓であり、このように整版の時代になってから訓点・振仮名が加えられることも多い。この寛永3年版については『振り仮名つき吾妻鏡 寛永版影印』に影印が収められている。同じ板木を用いたものとして阿部氏によって以下の6種が指摘される。
(1)初印丹表紙献上本
(2)早印丹表紙本
(3)杉田良菴玄与求版印本
(4)野田庄右衛門寛文元年求板印本
(5)寛文元年野田庄右衛門求板後印本(双辺単辺混合)
(6)寛文元年野田庄右衛門求板後修本(単辺)
そのほか、寛文8年には平仮名版が刊行された。内閣文庫・陽明文庫・広島大学などが所蔵している(『国書総目録』)。
伏見版『吾妻鏡』の特徴の一つに、平仮名の活字を用いていることが挙げられる。ごく初期の使用例と言うことができよう。分量は多くはないものの、書状や和歌や目録などの記載に際して、所々で平仮名の活字が見受けられる。一例を示せば、巻4の冒頭近くの元暦二年の記事に、源頼朝から弟範頼へ宛てた消息が記されているが、以下の如く平仮名を多く含む内容であり、この消息部分は平仮名の活字が組まれている(図版)。
十一月十四日御文正月六日到来。今日従是脚力を立とし候つる程に、此脚力到来。仰遣たるむね委承候畢。筑紫の事などか従はざらんとこそおもふ事にて候へ。物騒しからずして能々国に沙汰し給べし。……
「つる」「むね」「こそ」などの連綿を表現するため、連続活字が用いられているのが確認できる。元和・寛永頃の均整のとれた活字に比べ、初期の古活字版に見られるごとく不揃いで大ぶりな印象を受ける。
尚、本データベースの検索システムの底本には、『新訂増補国史大系 吾妻鏡 前篇・後篇』(完成記念版、吉川弘文館、昭和39年)を使用した。底本は内閣文庫所蔵の北条本である。国史大系の頁数を入力すれば、対応する伏見版の画像が表示される。
本書は「樋口文庫」の所蔵であることを先に述べたが、本学では永らく肥後熊本藩の支藩、宇土細川家旧蔵の書物群「細川文庫」の所蔵と誤って伝えられてきた。『九州大学五十年史 学術史下巻』(昭和42年)に、
吾妻鏡伏見版等を含む主として国文学関係資料で、貴重図書・特殊図書が多いので、「細川文庫」として別置されている。
と記されて以来、『附属図書館要覧』などでも細川文庫所蔵として紹介されているが、このほど附属図書館資料整備室図書目録係の山根泰志氏の調査で細川文庫の書物ではないことが判明した。本書は、蔵書印と図書原簿によれば正しくは八女酒井田の漢学者樋口和堂の旧蔵書「樋口文庫」の一点である。本書の中にも樋口和堂の覚書とおぼしい以下の紙片が挟まれていたことが、画像スキャニング作業の過程で報告された。
この『吾妻鏡』は、昭和6年11月7~9日に旧制福岡高等学校で開催された展示会の目録『古版本・活字本・国文学書・浮世絵展観目録』(本学学術情報リポジトリ所収)に、
七、東鑑 第一 第五十一 二冊(五十一冊中) 九大図書館蔵
のごとく載っている。件の細川文庫が本学に受け入れられたのは昭和24年のことであるから、それ以前の目録に細川文庫本が「九大図書館蔵」として載ることはあり得ない。昭和12年の『古活字版之研究』にすでに「九州帝国大学蔵本」とあることについても同様の事情が言える。樋口文庫と樋口和堂の詳細は、本学百周年を記念して刊行された『九州大学百年の宝物』(丸善プラネット、平成23年2月)の「樋口文庫」解説(山根氏執筆)を参照されたい。