このガイドのおわりに、近世文学研究の大家である、中野三敏氏のことばを紹介します。
中野三敏氏は、九州大学で教鞭を執られ、近世文学研究における功績により2016年に文化勲章を受章されました。
氏は、「近代以前の、日本に固有な文化を理解するための最良のインフラ」である和本を読める人が少なくなったことを危惧し、次のように述べています。
現代日本の読書人は、大好きな『徒然草』や『奥の細道』を、何によって読み、理解を行き届かせているのかといういうと、多分、ほとんどの人が活字に翻字された文庫や注釈書に拠っていること、想像するまでもなかろう。ここに至ってようやく、和本離れの根源的な理由に思い至ることになった。即ち和本を構成する基本単位としての文字の読解力こそが問題なのである。それは楷書の漢文を以てする経書や仏書を除けばほとんど百パーセント、その名もおぞましい変体仮名や草書体漢字によって記されている。そしてこれらの文字を、少なくとも江戸の一般人と同程度のスピードを以て読む能力を備えた読書人というものが、今や絶滅危惧種化しているという現状に、ようやく気づくに至ったのだからまことに能天気なことではあった。(中野三敏『和本のすすめ:江戸を読み解くために』岩波新書1336、2011年、岩波書店)
それゆえに、氏は和本に記された変体仮名や草書体漢字を読み書きできる能力、すなわち「和本リテラシー」の重要性を説きました。
さりとて、和本リテラシーを育てるのにしかつめらしい鍛錬は必要なく、「要はちょっとしたその気になるかならないかの問題」であるとも述べています。
独力での練習も、やってみれば簡単なことだが、変に喰わず嫌いな人が多いのではなかろうか。例えば『奥の細道』の板本(初版本・後印本・影印本・写真版・何でも可)と、その忠実な活字本(行数や字数、清濁、おどり字なども全く同じに翻字したもの)とを引き合わせて読み進めれば十分であろう。続けて『雨月物語』の一話や、『八犬伝』の一章、さらには上って『好色一代男』など、教材はいくらでもある。春本ならば上達間違いなし。(出典同上)
本ガイドでは、変体仮名を中心とした「くずし字」をめぐって、九大にある様々な資料を読みながら、和本リテラシーを鍛える構成になっていました。
くずし字が読めることで、予期せぬ資料が見つかるかもしれません。捨て去られそうなものに価値を見出し、救い出せるかもしれません。
資料はたくさんありますし、今後もどんどん公開されていくことでしょう。
まだ見ぬ資料に出会うため、くずし字を身につけたい。本ガイドを読んで、そうした人が一人でも増えたら幸いです。
本ガイドの作成にあたって、附属図書館研究開発室コンテンツ形成班職員の皆様にご批正を賜りました。また、東京大学総合文化研究科 田村隆先生、九州大学人文科学研究院 川平敏文先生、明星大学人文学部 勝又基先生には、本ガイドにつきましてコメントをお寄せいただきました。ここに厚く御礼申し上げます。