またお会いできてうれしいです.みなさん,夏休みはいかがでしたか?
わたしは最近,大変記憶に残る本に出会いました.今回の本棚の中に入っている,後藤秀樹著『天才と異才の日本科学史』です.なぜ開国からまだ間もない小さなくに明治日本が,自然科学の分野でいくつもの業績を残すに至ったのか.彼らの多くはサムライや農民から転身して,比較的年齢が高くなってから科学者になったというのに.
それは,自然科学の方法を使って自然の真実を探求する以前に,それを使わずとも自然を見つめる目を,彼らが持っていたからではないでしょうか.それは数式を使った論文でなくとも,彼らが書いた随筆のなかに現れてきます.科学者の名随筆を開いてみれば,ほら,かれらが自然をみつめるまなざしで,生真面目に語り掛けてきます.
もちろん,自然をみつめるまなざしは,日本人科学者だけのものではありません.近代という時代のなかで,各国は世界と伍するために,科学をすすめ,産業を興すしかなかった.たしかにそのような時代的な背景は厳然としてあるのですが,しかしその中でかつての科学者たちは自国のためだけでなく,産業のためだけでなく,必死に自然の真実を求めて限りある生を走り抜けていったのだと,これらの随筆はそう思わせてくれるのです.そして私自身もまた,彼らのようにはなれないとしても,One particleでありたいと,そう思わせてくれるのです.
科学者の頴慧かがやくとき,そこにあなたは何を読みますか?
期間:2018.10
場所:伊都図書館